第13話 遺書
凛が、そのブログ、”俊介のマイホーム日記”を見つけたのは彼を弔ってからしばらくした後の事だった。杏たちにアパートを強制的に大掃除されて、立ち直ろうと思いかけたあの日の翌日だ。遺書も書かずに逝った兄、どうして何も伝えてくれなかったのだろう?おにいちゃん何があったの?なんで死んだの?ネットで自殺者にまつわる様々な情報を検索していた凛は、ふと他の誰も見ることのないブログを見つけた。どうしても見つけられなかった幼いころの思い出を、衣替えしている時に押し入れの奥から見つけた、そんな偶然であった。
そのブログは、妻や子供たちへの掛け値なしの愛情と、生を謳歌する楽しみ、自己実現の追及への建設的な歩み、そういった健全で善良なサラリーマンの心境に満ち満ちていた、少なくとも妻の家庭の事情で転職して、半ば強引に敏文のいる部署に配属されるまでは。
その部署での仕打ちは、あくまで俊介の主観的な日常の心境の吐露ではあるが、本当に酷く容赦のないものであった。兄の心情を推し量り、食い入るように読み続ける凛。
まず敏文は、転職した俊介に対して負い目をじわりじわりと逃げ道を塞ぐように認識させ、敏文に従属せざるを得ないような心理状況を、言葉と圧力と餌とそして暴力で巧みに構築していた。
それは、洗脳した妻や子分を使って殺人者に仕立ててしまう凶悪殺人犯が、鼠を袋小路に誘い込む時に使うような悪魔の手口で、根が真面目な俊介にとっては無条件に精神的奴隷に追いやられてしまうに十分なものであろうことが推測された。
[今の仕事が停滞しているのは、全て自分が悪いんだ。敏文さんの意に添うように動く他に、自分が社会の中で生きていく術はない。子供たちのためにも頑張ろう。]
自殺に追いやられる数か月前から、ブログを付けている時間や本人の絶望的な訴えからすると残休出は毎月のように200時間を超えていたようだ。毎日のように決まってー自身が就寝する時刻なのであろうー夜10時頃に敏文の自宅から、強制的に持たされている社用携帯に罵倒の形で次々に仕事を詰め込まれ、その日も確実に徹夜になっていた。
「ひどい。。。」
そのようにして徐々に俊介の肉体的疲労と精神的緊張はピークを迎え、その後は自死を決意したまま、それでも狂ったような深夜残業に駆り立てられている。そして、その日を迎える。
[今日、死ぬことにした。紐は用意してある。そこの手すりに括り付けて首を吊れば死ねるだろう。]
貪り読む凛、あまりに切羽詰まり一切の思考能力がなくなってしまっているのであろう、あれだけ毎日のように書かれていた最愛の家族の事にまったく触れなくなっている。それも凛の感傷に拍車をかける。そして、あまりの悲しみに打ちひしがれていた彼女に気づくゆとりなどなかったが、明らかにおかしい記述があった。
日記は明らかに死んだその日の後も続いていた。
[仕事がどうやら、ひと段落着いた。それでもまだ会社にいなければならない。子供たちのためにも。俺はここから永久に離れることはできないのであろうか。この終わらない牢獄からいつになったら解放されるのだろうか。]
[今度は、残された武田さんが監禁状態のような責め苦に遭っている、この惨状の輪廻を断ち切るには、、、あいつを殺すしかない。。。]
[今、3:51だ。武田さんは今日もまた徹夜で設備の組立をやっている。あいつは早々に帰宅して酒でも飲んで眠りこけているだろうというのに。]
[今日もまたあいつが工場でのさばり続けている、あいつを殺すにはどうしたらいいのか、最近はそればかり考え続けている。気が触れそうだ。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す、、、、]
お兄ちゃん、まだ苦しみ続けているのね。
死んだ後もブログが更新されているのは明らかにおかしいことではあった。しかし、凛は素直にそう思った。そしてある事を絶対凍土のような冷たさと硬さで決意するのだった。
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