第42話 魔族




 完全に想定外だった。

 俺は強すぎる後悔の念に襲われて思わず立ちすくんだ。

 身体は冷え切っているのに、全身から汗がまるで滝のように吹き出してくる。

 このくらいのことは想定しておくべきだったのだ。




 作戦決行日の当日、昼過ぎ頃になって王家の騎士が俺たちを迎えに来た。

 そしてヘンリエッタの従士を名乗る俺は、疑われることもなく城内へと通された。

 従士らしく鎧は胸当てのような簡素な形に変形させて、腰には街で買った小さな魔導剣だけをさげている。

 ナタリヤとローレル、アリシアは、メイド服に着替えて、武器と防具はすべて俺の大蝦蟇の中に入っていた。


 魔導剣は昨日のうちに買っておいたアイオライトという素材でできたもので、魔道体の質としては最高峰のものである。

 小さなナイフ程度のものなのに、馬鹿らしいほどの額を請求された。

 試しに自分の体を斬りつけてみると、刃が血液に触れただけで魔力をごっそりともっていかれた。だから効果があることは間違いない。


 そうやって準備を終えていた俺たちは、なんの障害もなく迎賓用の広間――二階席が改造され、兵士がぎゅうぎゅう詰めで入っているホール――へとやってきたのである。

 少し高くなったところに立って、我々を出迎えたのは国王だった。

 眼孔が落ちくぼんだ顔には精彩がなく、体はやせ衰えたように生気がない。

 そして、その後ろには仮面で顔を隠した例の魔族が立っていたのである。


 名前はモルガンと表示され、レベルは99とある。

 能力の欄にはいくつかの妖魔に加え、真祖血界魔法の文字が入っていた。

 魔力と体力は1200前後。

 そして、その戦闘力の欄に表示されていた数字は9999である。

 つまり、レベルも戦闘力もまったくの不明という事だ。




 危険度第一級の紅血族であることは間違いない。

 ルイスが最悪だといっていた最強の一族である。

 俺は冷静になろうと、周囲の状況に目を配った。

 二階には、どうやって詰め込まれたのか100人を超える兵士が息を殺して潜み、国王の両脇には戦闘力800程度の騎士が12人並んでいる。


 想定した範囲よりも、二回りほども騎士たちの戦闘力が高い。

 いや、どう考えても戦闘力が高すぎる。予想の倍ほどの戦闘力と人数だ。

 周りの君主たちが連れて来た騎士など、どれも500かそこらの戦闘力しかないのにである。

 いや、そもそもモルガンという魔族一人にすら勝てるかどうかわからないのだから、他の戦力などどうでもいいのだ。この場で戦いを起こすこと自体、絶対に避けねばならない。


 あまりの事態に貧血気味になっていた俺は、急に誰かに手を握られた感触がして思わず手を引っ込めた。

 俺の手を握ったのは、不安そうな顔でこちらを見上げるローレルだった。

 自分よりも不安になっている者を見ると、安心するのはなんでだろうか。

 俺はローレルの手を握りなおして、力強く頷いてやった。


 俺は急に冷静さを取り戻して、周囲の音が耳に入ってくるようになった。

 壇上では国王が皆に向かって、長旅に対するねぎらいの挨拶をしている。

 ローレルたちを死なせるわけにはいかない。

 彼女たちは、こんな戦いに命をかける理由などないのだ。


 もし戦いが起こったら、彼女たちだけはなんとしても逃がそう。

 俺の勝手でこんなところに連れてきてしまった以上、生かして返す責任が俺にはある。そのためにも俺が死ぬわけにはいかない。

 俺はもう一度、壇上の魔族を観察する。

 モルガンは俺の知らない妖魔ばかり持っていて、藻草は持っていなかった。


 HPもMPも1200前後で、そこから回復することは多分ない。それに、HPから換算しても、レベルが500とかあるわけじゃないだろう。

 もともと戦闘向きの種族だとすれば、Lv100ちょっとという事も十分に考えられる。

 これなら一対一であれば、ぎりぎり俺一人で倒せる可能性も見えてくる。

 しかし、周りにいる騎士団が向こうにつくような展開になれば、倒せる可能性はゼロだ。


「さあ、それでは料理と酒を楽しむがよい。それなりの余興も用意してある」


 その言葉で国王の挨拶は終わって食事会となった。

 運ばれてきたワインに、エリオットはさりげない仕草で銀のネックレスを浸し、変色しないことを確かめている。

 銀が変色しないという事は、少なくとも強酸性の毒ではない。


「それで、肉眼で見た感想はどうです。やれそうですか」


 エリオットがらしくない真剣な表情で俺を見た。

 冷静さを失っているのか、いつものように自信に満ちた態度ではない。

 俺は冷静さを取り戻した頭で、自分の考えを話す。


「あれは紅血族だ」俺の言葉にエリオットが息を飲んだ。「だけど、アイツ一人なら俺だけで倒せるだろう。ただ、周りの騎士共が予想よりも強すぎる」


 自信はないが、周りを勇気づけるためにあえて断定した。

 ここまで来たらやるしかない。


「な、なるほど。ですが、それはどのくらい確証のある話なんでしょうか。紅血族と言えば、人間が倒したなんて前例がありませんよ」

「強すぎて、完全には力を測りきれない。だけど、まあ大丈夫だろう。それよりも壇上にいる騎士団が厄介だ。あいつらが一人でも魔族の側についたらわからなくなるぞ」

「どちらにしろ、ここで仕掛けるわけではありませんから安心してください。僕に任せてもらえれば、ちゃんとしたお膳立てを用意しますよ。それより何があっても、この場で動くのはやめてください。戦局が流動的になり過ぎて、どう転ぶか全く予想できません」

「そ、それはいいんですがね、二階のバリケードの裏はどうなってますかね。さっきから頭の上がチリチリしてたまらない。あの手摺の裏ですよ」


 俺たちの話にルイスが口を挟んできた。


「兵士を100人くらい隠してるな」


 俺が答えると、ルイスだけじゃなくローレルとアリシアまで体をこわばらせた。


「気取られるな。ここで変な動きをして、相手を刺激するんじゃない」


 ヘンリエッタが三人をたしなめる。

 三人とも視線を上に向けるのだけは耐えてくれたので、気付かれてはいないだろう。

 俺は、なるべく中央に近い壁際を陣取った。手摺の裏に控えている兵士たちを魔法の射程に入れておくためである。

 アリシアが料理を取ってくれたが、口に入れる気にはならなかった。


 魔族のモルガンを観察していると、魔族にもオスとメスがあるのか胸のあたりに膨らみがあるように見えた。

 心なしか顔も細く、それが冷たさを感じさせて嫌な気持ちになる。

 相変わらず国王から付かず離れずの距離を保ち、その周りで王家の騎士が取り囲むようにガードを固めている。

 ホールには君主たちの連れて来た騎士がそれぞれ固まって、周囲に視線を配っていた。


 どこを見回しても緊張した顔が並び、酒に手を付けているのはエルマンくらいのものだ。

 パーティーの最初の余興として始まったのは、国王に対する献上品のお披露目だった。

 和やかに進んでいたが、国土最南部のテーベを治めるクレール家が、南部でしか取れない珍しい鉱物で出来た剣を献上すると空気が変わった。


 場に引っ張り出されてきたのは、やせ衰えたみすぼらしい身なりの男だった。

 拷問でも受けたのか、血のにじんだ包帯を体中に巻かれ、その足取りもおぼつかない。


「この男は余の暗殺を企てた悪漢である。口も割らぬし、一つチャンスをやってみようと思う。余興として、こやつに剣を持たせてみようではないか。余に勝てば晴れて無罪放免とする」

「国王陛下、今日は皆様が列席されている場。どうかお控えください」


 騎士の一人が一歩前に出て膝をつき、国王にそう告げる。

 すると国王は顔を真っ赤にして騎士に歩み寄り、鞘に入ったままの剣で殴りつけた。

 端正な顔立ちをした騎士は、口の端から血を流しながらも、国王から視線をそらさない。


「余のすることに口を挟むか!! 剣の腕を披露するだけであるぞ!」


 殴られた金髪のハンサムな騎士は、隣にいた女性騎士に支えられて立ち上がる。

 立ち上がった騎士は、歯でも折れたのか口の中から何かを取り出すような仕草を見せた。

 この二人の前だと国王の醜悪さが際立って、余計に神経を逆なでしそうなものだが、国王の方はそれに気づいてさえいないようだった。

 見てる方としては、声をかけたことより絵面の方にハラハラする。


 哀れにも剣を持たされたみすぼらしい男は、立っているのもやっとというありさまで、無理やり国王の前に立たされた。

 もはやこうなっては国王に怪我をさせても打ち首、負けても良くて半殺し、神に祈りながら国王の剣を受けるよりほかにない。

 その哀れな姿を見ているだけで、自分まで同じ境遇に立たされているかのような錯覚を覚えて体がすくむ。


 甲高い硬質そうな音と共に鞘より引き抜かれた剣は、残酷なほどの鋭さを持った刀身を光らせた。

 男は水も与えられていないのか、視線すら定まらない目でそれを見ている。

 男の周りから人が離れると、国王は無造作に男に歩み寄った。

 モルガンもそれに合わせて、右手を軽く上げてローブの袖の中に魔力を貯めるような反応を見せる。


 いつでも援護が出来るように、何かしているのだろう。

 振るわれた最初の一撃を暗殺者だった男は恐怖に震える手でありながらも、かろうじて防いだ。

 しかし、国王の振るう剣は薄造りで軽い。

 まるで竹の棒でも振るかのように、軽い力で返す刀が振るわれると、男はその素早い二撃目には反応できずに悲鳴を上げた。


 ボロボロの服と一緒に、血をまき散らしながら男の腕が床の上を転がる。

 そして容赦のない次の一振りで、男は腹を割られて血にまみれた内臓を床に広げた。

 むせかえるような血の匂いと臓物の匂いが広間に満ちた。

 皆が息を飲んで凄惨な光景を見つめる中、唯一エルマンだけが、お見事と言って拍手を送っていた。

 しばらくすると、ぱちぱちと散発的な拍手が混じり始める。


 狂人である国王と、それに勝るとも劣らぬ狂人のエルマンが催す宴、自分はそんなところに紛れ込んでしまった憐れな間抜けではないかという気がしてくる。

 腕を落とされ腹を裂かれた男は、まだ死にきれずにうめき声をあげていた。

 周りを見回しても、この中の誰かが命じて差し向けた暗殺者であろうに、手を差し伸べようとする者はおらず、ただ拍手を送っているばかりである。


 そんな拍手の中、金髪の騎士が床に転がる男にナイフでとどめの一撃を刺し、周りの者に片づけさせるように指示を出した。

 まだ俺なら救えたかもしれないが、それをすればこの場で戦いを起こすことになる。黙って見送らざるを得なかった。

 そして国王への献上品の贈呈がまた始まった。


 俺は体中に力が入って、まるで石にでもなってしまったかのように表情すらうまく作れない。

 エルマンはぶ厚いカギの掛かった魔法書を送り、それに喜んだ国王は声を荒げて興奮した。

 そしてバルベル家が槍を送ると、国王はそれを得意げに振り回してみせる。

 国王が槍を持っただけで、俺は嫌な予感がして手に汗がにじむ。


「お見事です」とエルマンが社交辞令を送った。


 ナタリヤに比べれば鋭さも何もない振りだが、確かにそれなりに扱えている。

 一応の訓練は受けているのだろう。

 それで槍の腕を披露したくなったのか、国王は周りを見渡した。

 国王について知っている周りの奴隷たちは、すでに外聞もなにもなく逃げ去った後だった。走って逃げだしたものまでいる。


 その中で、国王の目に留まったのは、13歳になるかという年頃の男の子だった。

 国王の目がそこで止まると、周りから一斉に人が離れる。

 男の子は鋭い眼光で国王を睨み据えて、腹の座った態度である。

 それでも大の大人に勝てるわけもなく、国王が手加減をするとも思えない。


「そこの少年に武器を与えよ」

「その少年は私の息子ですが」


 怒気をはらんだ声を発したのはエルマンだった。

 その声の迫力は、気の狂った国王を一歩後ずらせる程だった。

 しかし、そのことが国王のプライドを傷つけたのか、顔つきが狂気に染まる。


「そろそろ戦い方を教えても良い頃合いだろう。いつかは戦いを覚えねばならぬ。余がそれを教えてやろうと言うておるのだ」

「本気でそうおっしゃるのですか」

「陛下!!」


 叫んだのは王家の筆頭騎士であろう、金髪のハンサムだ。


「下がっていろ。いつかは血を流すことも覚えねばならぬ。なぜ止めようとするのだ」


 そう言ったのは、騎士と国王の間に割って入ったモルガンだった。

 中身こそ見えないが、右袖の中に隠した手には、おぞましいほどの魔力を纏わせている。

 そのやり取りを聞いていたエルマンは、無言で大蝦蟇を呼びだすと、その中から槍を引き抜き刃につけられた覆いを投げ捨てた。

 パーティーの空気にはそぐわない、ギラリとした青白い穂先が現れる。


 国王の息を飲む音が聞こえた。

 そんなものを出してしまったらもう後には下がれない。

 エルマンが行ったら俺も飛び出すべきだろうかと考えていると、それを押しとどめるかのように槍の穂先が俺の目の前に現れる。

 お前は出るなというエルマンの意思表示だろう。


「では、最近は戦いから遠ざかっている身であるこの私に、一つ戦いをご教授願えませぬか」


 エルマンの迫力はさらに国王を一歩後ずらせる。

 対峙する二人の身長差はもちろんの事、その迫力の差はまるで虎と猫である。

 国王が小さいのではなく、エルマンが大きすぎるのだ。

 するとモルガンが二人の間に入って言った。


「それでは、この私めに陛下のもとで戦う栄誉をお与えください。これが戦の模擬戦であれば、部下の使い方も披露せねばなりません。そうでしょう、国王陛下」


 そう言って、モルガンは国王の前に立つと優雅なしぐさでお辞儀をしてみせた。

 気取ってはいるが、血を見て興奮しているのはあきらかであり、エルマンに向けているのは獲物を見る視線である。





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