第26話 ローズマリー
次の日は、昼頃にヘンリエッタがやって来て、いつものギルドでナタリヤと合流する。
ローレルたちはまだレベルが足りないので家に置いてきた。三人で転移門をくぐり、イルノカの8階層に出る。
そこから一気に最奥までを目指すのだが、途中で出てきた敵はすべてナタリヤが倒してくれたので、なにも面倒なことはなかった。いつも通り、作業のように簡単に倒している。
途中で出てきたイビルアイも、窪みの中で待ち伏せてこともなげに倒して見せた。
そして5時間ほどかけて最奥にある宗主の住処までやってくる。
「何度か見たことがあるから知っているんだけど、ここの宗主は逃げるのが難しい相手だから気を付けてね。ボクだけなら逃げられるだろうけど、ヘンリエッタには無理だと思う。ボクだって完全に戦い始めたら逃げられるかもわからないよ」
その言葉を聞いても、ヘンリエッタは表情一つ変えていない。
ここで待っているかと聞いたら、私の命など気にするなと怒りだした。
でかい空洞の中に入って現れたのは、真っ黒いタールで出来た枯れ木のような体に白い仮面のような無機質な顔がいくつもついた魔物である。
質量などあるのかという体を揺らしもせずにやたらと素早い動きでこちらに向かってきた。
魔法でも使ってくるのかと思ったが、やってきた攻撃はただのパンチである。関節も何もない体で、俺のところまできっちりと攻撃が伸びてくる。
俺がその攻撃をかわすと、伸ばしてきた手か足かもわからないようなものにナタリヤが槍を突き立てる。
黒い霧が噴き出して、宗主は金属を切り裂くような悲鳴を上げた。
ナタリヤが敵の注意を引き付けたので、宗主の攻撃はナタリヤに向かう。
しかし、触手のような腕を何本も増やして、攻撃と防御を同時にやってくる特殊な攻撃にナタリヤは対応しきれなかった。
すぐにナタリヤの体中から血煙があがり始めた。
避けられないような攻撃はナタリヤに受けさせるべきではない。彼女はコンビニへ買い物に行くのですら躊躇しそうな恰好で戦っているのだ。
意味が分からいのだが、攻撃の瞬間に敵がぶれたように見えて、攻撃と防御行動が同時に行われているような感じだ。
さすがにこれはナタリヤでも防ぎようがないし、あの数を避け続けるのはさらに困難だ。
まずは触手を減らさなければ近寄ることもできない。
コウモリを飛ばしてみるが、それは簡単に撃ち落とされてしまった。
しかし、その魔力を火薬に変えて爆発させる。触手のような腕を何本も吹き飛ばしたが、悲鳴と共に新しいのが生えてきて状況は変わらない。
ヘンリエッタが放った燐光の妖魔も、触手の先を削るだけで胴体までは届かない。
これ以上はナタリヤが持ちそうにないので、仕方なく俺が太刀を担いで駆ける。
間合いに入った途端いくつもの触手がやってくる。体に刺さった触手をつかみ取り、束ねて口に咥えた。これでもう邪魔は出来ないだろうと、間合いに入ったところで太刀を振り抜こうとした。
敵は触手を引き抜こうとしたが、竜の顎の力で噛んでいるのだから抜けるわけがない。
しかし俺の体が浮いて、踏ん張りのきかなくなった太刀が力なく敵の体に刺さっただけになってしまった。それでも太刀の端っこが仮面のような物体を傷つける。
そしたら今度は悲鳴ではなく怒りを感じさせる叫び声を轟かせた。
仮面を攻撃しろと叫びそうになって、俺はそれを思い留まった。
仮面が弱点であることは二人にもわかっただろう。
変な命令をして、それを命がけでやられてハチの巣にされても困る。
敵は触手を増やして後ろの二人を牽制しはじめた。
俺は血液の刃で咥えていた触手をすべて刈り取った。口から触手を吐き出すと、黒い霧になって敵の体に吸収されていった。
触手を切られて叫んでいるのは、どうやら罠のようなものであるらしい。本体はあの仮面だ。
俺は太刀を捨てて、韋駄天の能力に出せる全力のスピードで突っ込んだ。
触手が何本も体に突き刺さるが、今度は俺の上半身がダミーである。筋肉も骨も内臓も血液の中に仕舞い込んである。
最後は触手をかき分けるようにして進み、敵の懐までたどり着く。そこで右腕で仮面の一つを掴んだ。
どんなに力を込めても壊れないので、右腕を火薬に変えて爆発させる。
爆風で空を舞う羽目になったが、半分以上の仮面を跡形もなく吹き飛ばすことに成功した。
仮面が減ると、さっきよりも明らかに触手の数が減っている。
倒し方がわかればこっちのものだ。あとはひたすらがむしゃらに、あの仮面を目指して走ればいいだけだ。
足を刺されようが目を潰されようが、それを治しながら前進して、残った仮面を殴りつけるようにして手首から先を火薬に変えて爆発させた。
最後は敵も俺を近づけないように必死になっていたが、触手の数が減ってそれもかなわない。
もう少しというところで巨大な触手が首に絡みついてきたが、足を延ばして強引に火薬での一撃を残された仮面に食らわせたやった。
最後は触手よりも多いコウモリを近距離から一斉に食らわせて残った体を吹き飛ばす。
興奮が収まってくると、体中の痛みがぶり返してきた。
触手に刺されたところが、神経を直接かき回されたみたいに痛む。
俺は腹立ちまぐれに、敵が残した灰の山を蹴飛ばした。
俺は振り返って二人の安否を確認する。
ヘンリエッタは少し離れたところで、女座りになってナタリヤの方を気にしているようだった。
ヘンリエッタは足をちょっとやられたくらいだったので、俺はナタリヤの方に駆け寄る。倒れてうずくまっている彼女に嫌な予感がした。
体を転がして上を向かせると、死んではいないことにひとまず安堵する。
しかし、攻撃を受けて目が黒い穴に変わっている。
その痛々しい姿に、俺は神代魔法を唱えた。見る見るうちに穴は塞がって、眼球さえ元通りになる。
ナタリヤが俺を見て笑ったのを確認し、今度はヘンリエッタを万能なる霊薬で治療する。
大蝦蟇を呼び出すことさえ魔力が足りているか不安になるほど、俺も魔力を使いすぎていたが、なんとか大蝦蟇は現れてくれた。
瓶に入っていた残り少ない液体をヘンリエッタに掛けると、足に受けていた傷も塞がった。
「駄目かと思いました。倒したのですね」
「ああ、めっちゃ痛かったけどな」
そうですね、と言ってヘンリエッタが笑う。
それにしてもヘンリエッタどころか、ナタリヤまで歯が立たないほど強いとは、宗主なんて軽々しく挑むようなものではない。
倒せないから残っていたので、そんなものに無理やり挑めばこんな危ない戦いになるのだ。
ナタリヤがこちらにやってきて言った。
「はははっ、全然役に立てなかったね」
「いや、よくやってくれたよ」
「こんなものに挑みたがるんだから、ヘンリエッタって突き抜けた馬鹿でしょ。放っておけば、そんなことしか思いつかないんだ」
「こんな奴を相手にするのは二度と御免だな。もう魔力が残ってないぜ」
「それでハルトは、なにか能力を得たんですか」
俺は多動機会という能力が増えたと言った。
魔法なのか何なのかもわからない、あのぶれたような見た目になって、一つの動作に二つ行動を割り込ませる能力だろう。
これのおかげで、ただでさえ多い触手が倍近い働きをしていたのだ。ナタリヤでも敵の攻撃を捌けないはずである。
ぶ厚い鉄の鎧を身に着けていたヘンリエッタはそれほどの怪我をしなかったから、特にナタリヤと相性の悪い相手だった。
俺はとてつもなくでかい中枢を大蝦蟇に食わせると、ナタリヤに肩を借りながら立ち上がろうとしているヘンリエッタに、もう少し休んでいるように伝えた。
そして宗主の広間で妖魔探しを始める。
この階層で誰も来なかった場所だからと期待したが、期待以上の収穫だった。
さっきのがもう一体出てきたらと考えたら怖かったが、特に敵が出てくることはなかった。
そんなことをしているうちに魔素が濃すぎるのか魔力が完全に回復している。魔素が濃いにしても魔力の回復が早すぎると不審に思ってステータスを確認したら藻草のレベルが上がっていた。
何故か大蝦蟇のレベルも上がっている。敵を倒したらレベルが上がるような妖魔ではないからどちらも偶然だろう。
俺のレベルも上がっていて、戦闘力の数値が3000を軽く超えていた。
一通り見て回ったら二人のところに戻って、元気に復活したナタリヤに敵を倒してもらいながら転移門の場所まで戻った。
妖魔拾いに時間を使いすぎたせいで遅れてしまい、何度も転移門を開くことになったと追加料金を請求される。
家に帰ると大蝦蟇のレベルがもう一つ上がっていた。
入れておくのが怖くなったので、俺は中枢を取り出して地下の貯蔵庫に置いておくことにした。変わった様子は見えないが、もしかしたら多少は消化されたかもしれない。
現在の俺の妖魔は、藻草Lv3、大ヒキ蛙Lv1、大蝦蟇Lv3、地蜘蛛Lv2である。
新しく手に入れた妖魔の石も箱の中に移した。こんな場所に置いておくのは不用心かもしれないが、たまに変なものまで消化してしまう大蝦蟇の中に長く入れておくよりはマシだと思っている。
一応、使い魔を作り出して地下室を監視させておくことにした。
ヘンリエッタたちも疲れた顔をしていたので、泊っていくかと尋ねたら揃って頷いた。
二人ともかなり汚れているから、あとで風呂に入らせてやれば喜ぶだろう。
俺はご飯を食べて、風呂で汚れを落としてからベッドに入った。
さっきまで命がけの戦いをしていたとは思えないほど穏やかな時間である。
明日は何もせずに過ごしたいなと考えていると、ノックの音がしてナタリヤが俺の部屋に入ってきた。
「ちょっと、いいかな」
「……ん」
「あのさ、やっぱりボクは男の人が苦手みたいなんだ。ハルトだけは特別だと思ったんだけど、ヘンリエッタのことばかり気になって、どうしても放っておけないんだ。あんな無茶なことばかりして見ていられないけどさ、きっとヘンリエッタは僕がいないと駄目だから」
「そうだな。それでいいんじゃないか」
「ごめんね。それと宿で初めて会った時のことも謝らせてよ。いきなり男が部屋に入ってきたから頭に来てあんなことしちゃったんだ。あの時は、その子のことを傷つけるつもりはなかったよ。まさか奴隷を庇って動くとは思わなかったし、あんなに速く動けるとも思わなかったしね。それじゃ、お楽しみのところを邪魔して悪かったね」
そういってナタリヤは部屋から出て行った。
「あの、私の裸見られてしまったんですけど……」
「そうだな」
「ご主人様と繋がっているところまで見られちゃいました」
「ああ。でも許してやってくれよ。根っからの冒険者で、そんなことを気にするような神経なんて持ち合わせていないんだ」
「……う、……ぁう。ご、ご主人様! 私は落ち込んでいるんです。動かさないでください」
隣の部屋からは浮気をしたくせにと叫ぶヘンリエッタの声が聞こえてくる。
きっと今夜は二人とも燃えることだろう。
それもアリシアのベッドの上でである。知らない他人を自分のベッドに寝かせるというだけでも嫌がったのに、アリシアには本当にすまないことをしたと思っている。
寝具の置いてある部屋で、空いてるのがそこしかなかったのだ。
「あの二人は、いったい何だというのですか」
「新しい家来と新しい子分かな」
「そうなのですか」
それにしても、こんなところを見られて、ナタリヤに何も言われなかったのは意外である。この世界では奴隷とそういうことをするのは数に入らないのだろうか。
次の日ヘンリエッタに聞いてみたら自慰のようなものだと教えてくれた。奴隷を人間扱いしないなんて酷い話だと言ったら、ヘンリエッタもその通りですと同意していた。
朝ご飯を食べたらヘンリエッタは城に報告に行くというので、俺は一人で街を歩いてみることにした。
大通りを歩いていたら、一等地だと思われる場所に新しい店が出ているのを見つけた。
覗き込んだ俺は凄く嫌なものを見てしまった。
「ずいぶんと羽振りが良さそうだな。俺から巻き上げた金をこんなにも溜め込んでたのか」
「おや、きなすったかえ。見ておくれ、これが孫娘じゃ」
マリーの隣には気立ての良さそうな12歳くらいの女の子がいる。
それよりも豪勢な店構えが気になってしょうがない。
「どんだけ俺から買い叩いたんだよ。いくらなんでも儲けすぎだろ」
「そうではないわ。いらん妖魔の石を貴族どもに高く売りつけやっただけだわい。それで、魔眼の効果はどれほどのものじゃった! はよ見つけたものみせとくれや」
「そう興奮するなよ。すぐ見せてやるからさ」
俺は勝手に店の奥に上がり込んで、自分の家の地下室に転移門を繋げる。
そして木箱に溜め込んだ妖魔の石を担ぎ出して部屋の床に置いた。
「鑑定は時間がかかるか」
「うむ。そこで昼飯でも食べていればよかろ」
俺はマリーの孫娘に昼飯を用意してもらって食べた。
見たこともない肉が出て来て、その肉の美味しさに驚く。
「どこで、こんないい肉を手に入れたんだ」
「例の妖魔で、ここに来るまでの道すがら狩りをしての。最高級の肉ぞえ。滅多に食えるもんでもないから味わってお行き」
「あの鳥を使ってるのか。あんなもので飛んでたら目立つんじゃないのか」
「なあに、夜の間に往復できたわい。最上級の騎乗妖魔ぞ」
「あたしが乗せてきたのよ」
マリーの孫娘が無邪気な笑顔で言った。
「大丈夫なのか。分別が付くまで待つ話はどうなったんだ」
「見た目以上に賢い子じゃから心配せんでもよい。あんまり待てば生きているうちに乗れんのだから、しょうがなくよ」
「あたしはちゃんと秘密を守れるわ」
「どうだろうな。お嬢ちゃんの名前は」
「ローズマリーよ」
妖魔に関して相当な英才教育でも受けているのか、この歳で使えるだけの魔力を確保してることが凄い。レベルなのか、生れた時から藻草でも育てているのか、マリーが何かしているのは間違いない。
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