第6話 満月

 あの満月が疎ましくて、僕は酷い気分のまま君の作ってくれたシチューを口にする。

 温かくて愛情の込められたシチュー。

 なんて鬱陶しいんだ。

 君はジャガイモや玉ねぎが最近高いと不満を告げる。

 だからチラシを眺めては特売日に大量に買うのだという。

 国産品の肉には手がでないから夕方遅い時間に安売りしている輸入肉を買うのだという。

 それでもこれだけおいしくできたという。


 肉は柔らかく、ジャガイモはフカフカで、ニンジンの甘みがよく出ている。

 頭が痛い。

 僕の舌を満足させられたことで、君はとても上機嫌になる。

 嗚呼、今夜は満月。


 食事が終わると僕の胃はすっかり満たされて気持ち悪くなる。

 君はいい紅茶を知り合いから頂いたとあまり聞いたことのない人の名前と紅茶の話を始める。

 誰だ、それは。そんな人は知らないと思いながらも、なんだかわからない名前の紅茶が入れられるのを眺めている。

 嫌な臭いだ。

 なんでそんな面倒なことをしてまで、飲みたくもないお茶をつき合わなければならないのかと思っているところに

 そういえば、おいしい羊羹があるのよと、君は冷蔵庫から一口サイズに切られた羊羹を取り出す。

 あなたのためにとっておいたのよと、つまようじに差して羊羹を差し出す。

 甘いものは苦手なのだと思いながら、僕は美味しそうにそれをほおばり、トイレの芳香剤のような香りのする紅茶でお腹に流し込む。

 胃の中には先客がいて、順番はまだだと押し戻してくる。

 嗚呼、気持ちが悪い。


 僕は煙草を吸いにベランダにでる。君は鼻歌を歌いながら台所で洗い物をする。

 調子の外れの君の歌は、サッシを閉めても聞こえてくる。

 空を見上げれば真ん丸に肥った月が、汚い面をさらしている。

 あの表面のざらざらを見せつけられると、なんだか体中が痒くなる。

 嗚呼、今夜は満月。


 君はいつにもまして機嫌がいい。

 ベランダから下をみると、羊羹を戻しそうなので、僕は仕方がなく夜空を眺める。

 満点の星空に我が物顔の月がある。

 仕方がないので、僕は月に向かって吠えるしかなかった。

 嗚呼、僕は犬なんだ。


 でも満足はしない。

 満たされることに僕は抗い続ける。

 もし、それができなくなったら、犬でもいられなくなる。


 煙草の煙が月の光に吸い込まれていく。

 幾億もの星たちが、細かく瞬きをしながら僕を見つめている。

 あの不快な旋律が終わるまでは、しばらくここに居たかったのに月の灯りがまぶしくて、僕は部屋へと戻る。


 君の後姿を眺めながら、欲情する己の業を持て余す。

 嗚呼、今夜は満月。

 僕は溺れそうだ。

 この部屋は君で溢れている。

 息ができない。

 僕は呼吸がしたくて仕方がなくなり、君に無理やりキスをする。


 水道の蛇口から水が流れる。

 君の鼓動が気を狂わせる。

 嗚呼、今夜は満月。

 君の鼻歌が耳にこびりついて離れない。

 調子外れはやめてくれ。

 黒く長い髪の毛がまとわりつく。

 君の生暖かい体温が、僕の指先を絡め取る。

 部屋の灯りは着けたまま、肌と肌が触れ合う。

 静寂がうるさい。

 僕は音を立てずに君を求める。

 君の吐く息と水の流れる音。


 振り返ればベランダから満月が覗いている。

 そんなところにあるはずはないのに。

 僕はおかしくなって、君の耳元に囁いた。

 愛しているよ。

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