第2話:マーティン・オハーリー

 イシュタリア要塞西部住宅地区、午前0時10分、2015年7月6日


                  


 眠ろうとしても眠れない。私は今、机に向かってノートに手記を書いている。

 照明は机の上の二個のオイルランプ。魔力で灯る部屋の照明は明る過ぎて気分ではない。カップに入ってるのは出涸らしの不味いお茶だが使用人達を起こすのは忍びない。睡魔が訪れるまでの暇潰しだ。

 筆記具はモンブランの万年筆。腕時計が壊れ、バッグ、スーツ、携帯電話など多くのものを手放してしまった今、かつての世界から持ち込んだ唯一の財産だ。品薄で高価だがオリジナルと寸分違わず調整されたインクも入手可能だ。この世界でも万年筆は製造されている、修理を専門とする術師もこの町にはいる。

 私の過去と繋がるモノはこれだけだ。神官、貴族、軍人。売ってくれとせがむ者はいるがこれだけは売れない。風俗を知り習慣を覚え、ここでの生活も段々落ち着いてきた頃、私は書き始めた。


                     


 この世界とは違う世界。


 それはどんな世界でも人々を魅了して止まぬ普遍的な幻想だ。遥か昔よりその存在は例外なく人類文明のあらゆる所で語られてきた。天国や地獄は言わずもがな魔界、妖精郷、影の国、仙郷、魔法使いの国、ナントカの国...etc.

 現世と異なる世界の伝説は、素敵な場所であろうが恐ろしい場所であろうが人々の間でそれは理想郷として語り継がれた。


 夢の世界は、いつだって人を魅了する。

 子供でなくてもある種の人は、歳をとっても自分達の日常と離れた世界に夢を見る。それこそどちらが日常かわからぬほどに。ある者は数年働いて次の数年を人種も言語も違う異国での放浪に費やし、またある者はコンピューターゲームの様な人工の世界の住人となり、毎日のように現世の仕事から帰る度にログインして仲間達と出会い箱庭の中で戦いながら旅をする。北欧神話にある神の館の住人の様に、死と再生を繰り返しながら遊び続けるのだ。求めるものはただ、「こことは違うどこか」なのだ。


 そんな生活を非難するものがいることは知っている。もっと働け、一個の人間という労働資源を効率よく社会に還元しろと。またはこう言う者もいるだろう、夢を見るからには必ず叶えろ、休まず後ろを振り向かず走り続け世界の諸人を動かす範となり続けろと。つまりは、お前の人生はお前だけのものではないという社会規範ってやつだ。


 それが良いか悪いかは各人の判断に任せる。それこそ本人達の選ぶ自由でなければ意味が無い。私はあの地球で、世界で最も人々に自由を与え、その事を最上の誇りとする国に生を受けた人間だ。半生を自分勝手な生活に捧げてきた私は遂に、ある事実に直面した。

 それはどんな夢も、叶ったその瞬間からそれは例外なく現実と化す、ということだ。



 20年前の話になる。


 あの時私は16歳で、ボストン郊外の古い家に住んでいた。元の家主は両親と仲の良かった中国人の老人の作家だった。世界中を旅している人で、とても優しく、色々な事を教えてくれた。子供は時々、大人を困らせる質問をするが親や学校の先生でも答えられない数々の私の疑問に彼は常に明確な回答を示してくれた。

 1年前、身寄りのない彼が海外旅行中に亡くなり、彼の弁護士が遺言状を持って私の両親を訪問した。内容は、ささやかな資産の一部と、彼の家を譲渡する、家にあるものは好きにして構わないというものだった。

 

 その家の外で私はよく塀に向かってボールを投げて遊んでいた。自分の名前を書いた軟式野球のボール。誕生日プレゼントのぴかぴかのグローブを左手に、壁に書いた的に向かってひたすら投げ込んでいたのだ。

 力の全力で的に向かって投げ込む。

 的に当たった球は、一度バウンドして勢いよくグローブに吸い込まれる。

 たったそれだけだが飽きなかった。

 周りに気兼ねなく直球や変化球を織り交ぜ、的に当てるのがささやかな楽しみの一つだった。塀が傷つくのを嫌った母は、家の古い物置小屋から頑丈な木の板を見つけ、これを的にして投げ込むように言った。その板は3フィート四方もあり、テーブルの天板の様なぶ厚く、いかにも頑丈そうな板だった。どれほど昔のものだったのか何か文字が書き込まれてたが表面は黒ずみ、よく分からなかった。かつての家主は訳の分からないガラクタを世界中から買い集めていた。本人は色々自慢げにその由来を話していたが埃をかぶって放置されていたそれらはどう見てもガラクタにしか見えなかった。

 母にも、当時の私にも、その価値など分かる筈もなかった。


 あのときの事は忘れない、今となっては一生忘れないだろう。

 1995年の夏のある日、にわか雨の天気予報がテレビで伝えられる中、私はいつもの様に塀に向かって投げ込んでいた。空は朝から曇ってはいたが雨は降っていない。だが私が遊びを始めると灰色の雲は黒味を帯び始め、遠くから雷の音が聞こえ始めた。

 遠くなら問題はない、そう思って的に向かって投げた瞬間、突然、周り全てが閃光に包まれ、物凄い音が耳に飛び込んできた。

 近くに雷が落ちたのだ。思わず頭を抱えて私はしゃがんだ。経験がある者なら分かるだろうが、理屈抜きに雷は怖い、古来より神の怒りと言われていただけの事はあるのだ。それが終わり我に返ると、ボールを取り損ねたことに気付き後ろを見た。


 ボールがない。


 家の周りは広い野原で、ボールを見失う訳がなかった。何処を探しても見つからなかった。100ヤード先の林にも、塀の中の庭や私が投げた家の反対側の野原も全て探したが見つからなかった。手がかりはない。ボールは完全に消失したのだ。新品のボールだ、無くしたと言って母に小言を言われるのも嫌だったので自分の小遣いですぐに買い直して名前を書き込み、何事も無かったように過ごした。


 だが忘れはしなかった。あれから思い出しては何度も探したが、ボールは遂に見つからなかった。誰かが持っていった可能性は皆無だ。元々あの家はかつての家主が山の麓の森を開いて作ったもので、最も近い家からも優に1マイルは離れており道も荒く寄り付く者がいなかった。この森に妖精でも住んでいて、私にいたずらをしているのではないかという妄想が頭をよぎった。だが追求は長くは続かなかった。進学の為に私は寮制の高校に入り、成績も良かったのでそのまま地元の有名な大学に入り、卒業した。


 私は、次第にオカルト的な話に興味を持つようになっていた。出来損ないの御伽噺だがそれはそれで楽しいものなのだ。そして大学を出てから、記者としての仕事をしながらある噂話を追うようになっていた。この地球の住人ではない者が時々地球を訪れ、地球で作られた色々なモノを持ち帰っているというものだ。いわゆるエイリアンの話に見えるが少し違う、地球の住人ではないが彼らは人間なのだ。

 彼らの文明とはすなわち魔法の事だった。一部では地球より高度だが工業力は今の地球に及ばず、自分達で作る手間を省くために、そして星の中で激化した戦争を終わらせるために優秀な完成品、つまり兵器を持ち帰っているのだそうだ。

 小さなものは時計や拳銃やライフルなどの小火器、大きなものは車や飛行機、更には軍艦すらも運んでいるという。権力者達は彼等を追っているが手も足も出ないのが現状だとか、極秘で取引をしながら世の中に知れぬよう厳重に情報管制を敷いているとか、地球は既に彼らの支配下にあるとか、様々な説が流れていた。

 私はいつしかこの怪しい噂話の追跡に夢中になっていた。それもそのはず、この怪しい噂話の登場人物の一人の正体が我が家のかつての家主だと分かったからだ。私はアメリカを出て、世界に点在するその話の在り処をしらみつぶしに探していった。


 アメリカ国内は言わずもがな、英国、ドイツ、東欧、北欧、ロシア、日本。

 そして彼の祖国である中国にアメリカへの帰還、私の放浪と巡礼は10年に渡った。


 運命としか言いようがない。調査の途上で自分が嘘をついてることすら忘れてるような精神異常者や自称魔術師、あるいはただの薬物中毒患者、そんなろくでもない連中も腐るほど見てきた。だが何かに引き寄せられるように私はフィクションにまみれた与太話から真実を取捨選択し、手繰り寄せ、長い時間をかけた作業の末、遂に私はその真実、彼の残した足跡、動かぬ証拠に辿り着いたのだ。

 彼は予期していたのだろう。ネバダ砂漠の奥地、神の谷と呼ばれる場所の岩山の中の巨大な洞窟が、そのアジトだった。隠し扉が勝手に開き、私を秘密基地の中に招き入れた。床に描かれた見たことの無い模様、魔術に使うであろう様々な道具。そして年代ものの机の上に、私宛の手紙が残されていた。私にしか文面が見えぬように巧妙に細工された手紙が。


 本物の魔術を初めて見た私の驚嘆と感動は、未だに表現すべき適切な語句が分からない。あの優しい老作家の正体は、いわゆる高位の魔法使いだった。

 しかも中国どころか地球の出身ですらなかった。彼の手紙には、自分がどんな人間なのかという簡潔な説明と、私の来訪を予期し、それが外れて欲しいと願いながらも来たからには言うべきことは言う、自分は死期を迎え直接警告する機会がないからだ、と書かれていた。


〈ここまで来たと言う事は、止めても無駄かもしれませんが…あちらもこちらも夢の楽園などではありません、そもそも楽園とは人の心の中にしかないのです、努々それを忘れぬようにしてください。

 昔の戦争の後遺症の進行で私はもうじき命を終えることとなります。国へ帰り生まれた土地で眠りにつきます、私の力は才ある若者が継承するでしょう。ここに居ればその、私の力を継ぐその人物が現れるでしょう。

 君の考えてることは分かりますが、親御さんの為にもやめておきなさい。その先は夢の国ではなく現実の国です。そこにいるのは神でも妖精でもなく生きている人間です、その意味が分からなければ、または分かってもその事実を覚悟できないならまだ間に合います。引き返しなさい、真実を君に残したのはそのためです。〉

 

 手紙の最後にはそう書かれていた。


 ここに足を踏み入れる事を許した意味を考え、彼の警告の真意は激励だと取り、私は待った。近くの人里に家を借り、隠れ家を往復する生活を半年ほど過ごした。だが何も起きなかった。

 部外者を入れたということがもし分かってるならここには誰も来ないのではないか?

 時間と共に興奮も冷め、新たな手がかりが必要ではないのかと思い始めた時だった。 ある日の朝突然、秘密基地の魔法陣が音を上げて光を帯び、年端も行かぬ少女が私の目の前に現れた。私と同様に驚く彼女の口から零れる言葉は、あの老魔術師の言葉を全て裏付けるものだった。


 旅界術という大魔術が彼等の星には存在する。私の理解ではあるが全ての魔術は、

 人間をハードウェアとした機能型ソフトなのだが、ハードが対応するソフトしか使えぬ様に、高度で特殊な技術である魔術は使う人間を選ぶ。必然的にそれは選ばれた少数だ。凡人にとってその力は、畏敬と同時に恐怖の対象でもあった。

 その為彼らは人間社会で生きていくのに不便を強いられ、迫害を受けることも珍しくなかった。力を買われ人間に協力する事はあったし、心ある人々との交流も珍しくはなかったが、現代に残る数多の伝説や神話に記されているように、結局最後は社会から排除されるか不本意な退場をするのが例外の無い結末だった。


 そして魔術師というのは本来、世界そのものを研究する学者だ。その知識や力を生活の道具や戦いに使うのは本来の目的とは違う。だからこそ人目を避けるのだがうまくいかないのが世の中の決まりだ。

 遥かな太古に、魔術師達は、地球とは比較にならぬほどに魔力に満ちた、意思を持つ星を発見した。星の言葉を聞いた彼らは人間世界での戦いのために魔力と貴重な時間を使う不毛と決別し、同志と共にそこに移住する事を決めたのだ。それはいわゆる普通の人間だけではない。


 生来魔術の行使に長けた種族も存在し、その外見は人間とは違う者たちがいたのだ。伝説に残る様々な魔族、妖精族はかつては地球にいた魔術に長けて進化した人類の亜種の事だ。また彼らは長い歴史の中で他の生命とも融合し、見かけこそ大きく違えど人間の因子を継承し人間と変わらぬ知性を有する者も珍しくなかったのだ。

 本来の肉体と不可逆的に物質化した魔力が血肉として融合する彼らを、人間は人外、人間ではないものとして扱い、多くの場合敵として排撃した。

 自分達の存在定義を厳しく人間は規定しているが、彼らの方では基本的には同種の生命だと認識している。ものの考え方は人間とさほど変わらないが、人間とは違い魔法の力が生命に完全に密着しており、そのために人間との共存は、必ず強烈な不協和音を孕んでいた。

 そんな彼等にも星の声は転機だった。彼らもまた、魔術師の呼びかけに応じ星の声を聞き、平和を求め皆その星への移住を決意したという。この時に、かの星は地球と接続するための通路を用意してくれた。更に星はその意思によってヒトに新たな力を分け与えた。


 その者達こそ旅界術師という魔術師だ。その数はは20名とも30名とも言われる。


 魔術の力を持つものは皆、新しい安住の地を求め、星の架け橋を渡って行った。

 地球に残った魔法の担い手は僅かとなり、ある者は更なる深淵に、ある者は敢えて巷へと溶け込み、ある者は人知れず星へ渡った。

 移住がひと段落すると、星は自らが設けた扉をひっそりと閉じた。

 そこから気の遠くなるような時間を経て、移住者達の共同体が歴史を経て分裂と統合を繰り返し新しい国家と文明を確立させた頃に、彼らは地球のある土地に因みその星に名前を付け、その名をそのまま国の名とした。


 アルカディア。


 奇しくもそれは現代の地球で楽園の代名詞として使われる単語だ。神秘の力とそれに生きるものは地球の歴史から退場したが、旅界術師は今も尚星を行き来している。この魔術は唯一、地球由来の術ではない。星からの賜物だ。

 術師個人が死のうが術式はそれ自体の意思で新たな主を探し出す。

 術式が認めれば、生前の譲渡もありえるのだそうだ。

 つまり彼女は、あの老作家の術を継承したということだ。


 私は、遂に本物の旅界術師に出会えたのだ。

 彼女は自分の重大な役目不相応に警戒心がない純真な人物で、30代半ばの大人の男としては恥ずかしいくらいの不器用な接し方しか出来ない私の様な人間をあっさり信じ込んだ。そして私も、そんな彼女に何かしてあげたいという一心になっていた。

 今から考えれば充分過ぎるほど怪しかったのだが、彼女は、自分の任務遂行に何が必要か実は全く分かっていなかった。しゃべっているアメリカ英語こそ完璧だったが、任地たるこの国の事に全く不案内だったのだ。


 助けてあげるから一緒にやろうと私は彼女に取り入り、彼女はすんなりとそれを受け入れた。そして彼女の仕事を手伝うために、彼女の持ち込んだ貴金属や宝石を換金し、彼女が手土産に望む物騒な道具を集めた。何度も逮捕されかけたが魔術師としての彼女の手腕が危機を回避した。地球の人間とはかけ離れた存在だと自分で言うだけのことはあると思ったが感心してる暇は無かった。

 気付いた頃には、私の居場所はこの国にはもう刑務所以外無い事を知った。

 彼女を悪く言う権利はないが頭が足りないと言うか余りにものを疑わないその性分は正直、自分の命運を預けていいものか悩ませるに充分だったが、後退の選択など既に無かった。そして私は、彼女の手に片道切符を差し出したのだ。


 だが夢は叶った瞬間から現実となる。地球から170光年離れた星。地球側からも近年になって存在が確認され、ザイトス94nと名付けられているそれだ。

 二つの衛星を持ち自転周期も公転周期もほぼ地球と同じという奇跡の地球型惑星。科学技術の粋を結集した観測衛星によって発見されたその姿は未だ、真の姿を天文学者には見せていない。

 そこは新たなる人類の故郷となっていた。

 広大な海に、砂漠、ジャングル、氷原を擁す三つの大陸を持った星。

 巨大な台風が吹きすさぶジャングル、零下50度を越す地獄の氷原、

 砂の海に島や大陸の様に浮かぶ数多のオアシス。

 そこにたどり着いた私を待っていたのは決して歓迎などではなかった。


 侮っていた多くの懸念は、果たして現実のものとなった。現地の憲兵や山賊、武装組織に追われ散々逃げ回って色々盗んで壊しまくった挙句に一週間後捕まった。

 結局我々は密航、超高位魔術の無免許使用、器物損壊や窃盗その他諸々の罪で逮捕された。死人が出ずに済んだのは幸運だった。当局は私を彼女共々裁判にかけた。

 

 天真爛漫な彼女の正体は、実はとある貴族の娘で術師の卵だった、それも無免許の。旅界術師は、現在はその力の性質上国家によって管理されるべき存在となっている。才能は有り余るが若く色々とトラブルが多い彼女を師匠達は、正式な旅界術師としての認可を与えていいものか悩み修行の続行を命じていた。

 そんな大人達を愚鈍と断じた彼女は―まぁ仕方ない事だが―年寄り達に一人前と認めさす為に誰の許可もなく地球に渡ってきたのだった。そして私は、不正な力の行使を行った若い旅界術師の存在を嗅ぎ付け、あまつさえ本星まで付いて来た、すこぶる付きの怪しい男という烙印を押された。

 ここへ来た経緯を説明し不当な偏見だと抗議しても、彼らの考えは変わらなかった。

 私の先例となった近代の渡航者が皆全員何らかの形で星の歴史の句読点となっているのは明白な事実で、好き勝手にはさせられないと言うのが担当者達の共通の見解だった。


 彼女は結局罰せられなかった。高位の貴族の娘であった彼女の両親の働きもあり、彼女への罰は極めて軽いもので済まされ、結局優れたその力を自分の師匠たちに認めさす事に成功した。彼女は自分だけ助かった事には満足せず貴族としての権力で私の処遇を巡っても当局に圧力をかけたが、却ってそれが仇となった。

 寧ろ担当者達への感情任せの数々の言動とが私の立場を更に悪くしていった。

 私の提供した様々な道具―あまり褒められぬ手段で入手した最新鋭の自動小銃や、その他小火器等―は歓迎されたが、先に触れた様に最前線で現地部隊を引っ掻き回した連中に何の罰を与えずに済まそうと言う者はいなかった。

 そこにある救世主が現れた。その人物は私の相棒の師匠で、軍の大物でもあった。彼女の頼みに折れて、自分の監督下に置くので収容所行きは許してやって欲しいと介入してきたのだ。結果としてジャーナリストとしての能力と地球の様々な知識を国の為に使う事を罰の代わりにするという名目で、軍の一級分析官としての仕事と、軍属の使用人達のついた大きな邸宅―それはその、件の軍の大物の資産の一つで、私は使用人の暇つぶしを兼ねた邸宅の管理人代わりだった―を与えられた。

 使用人たちは3人で、リーダーの男1人と部下の女2人だった。皆軍人出身の眉目秀麗な男女で、地球人の基準から言えば高校生かそれ位に見えるが皆、私より遥かに年上だった。犬や猫のような耳、いかにも魔族と言った面持ちの褐色の肌に角が生えていたりする者もいた。私の身の回りの世話から、地位にふさわしいマナーの教授、分析官としての私の仕事の支援、その他諸々を喜んで引き受けていた。

 だが武器の所持は一切許可されず、外出は使用人達の同伴が義務付けられ、外部との交信は例外なく記録され、肉体、精神の状態は医師により定期的に診断を受けた。そう、使用人達の任務は護衛ではなく私の監視だった。

 更に私の肉体にはこの星の民が皆持っている生きるために必要な魔術を行使するための力に加え、この邸宅の敷地と住宅地を囲む巨大な要塞都市そのもにかけられた結界を単独では抜けられぬように機密に接触する人間の保護措置と称して呪的処置が追加された。ちなみにこの措置に期限は伝えられてはいない。

 囚人というには極めて上等な扱いだが、齢三十六で私は事実上の終身軟禁となったのだ。昔は何らかの縁で渡る者もいたが色々なトラブルが絶えず現在では地球からの渡航は禁じており、確かに例外はあるが私の様なケースの場合、自由の身にする選択肢は無く

終生を監視下で過ごすしかないのだ。上等な家で過ごせるだけマシというものだろう。

何らかの功績でも挙げれば待遇も変わるかも知れないがそれは決していい話ではない。

自分の待遇を説明された時、彼女の師匠からその事は警告された。この星でそれだけの「功績」とは命がけの仕事だと。そうした機会は戦争でも起きなければ訪れない、だからそんな事は願わないでくれ、なるべく不自由はさせないから残る一生をここで平和に全うしてくれと。身も蓋もないがもっともなことだ。


 執事やメイドたちも同じだ。実際に戦闘任務も経験している彼らにとって、ここで呑気なご主人様と召使の間柄を演じている今こそが、偽りであってもかけがえの無い平和なのだろう。

 好き勝手に生きてきた私だ、ここらで誰かの為に生きるのは義務なのだろう。疑問は腐るほどあるが生きていれば知る機会もあるだろう。あの旅界術師の少女も、いずれは立派に成人し貴族として魔術師として世の為にまっとうに働くようになるだろう。


 仮にも物書きとして生きてきたのだからここでの事も色々と書き残して行こうと決意した。

 地球に帰ったら、と思っていたがもう一生帰る事は無いだろう。この文章も永久に世に出ないかも知れない。私の寿命が尽きて後に、遺品を調べる役人達の酒の肴にしかならぬものかも知れない。それでもいい、今はただ自分の為に書いていくことにする。


 実はあのボールは今、私の手元にある。

 机の上の、劣化を避けるために魔術的な細工の施されたガラスケースの中で照明を浴びている。表面には私の字で「マーティン・オハーリー」と私自身の名が緑色のマジックで書き込まれている。長い年月の後も劣化してないのは地球からの珍しい漂着物として丁寧に保管されていたからだそうだ。この星には無い名前なので、私が逮捕されてすぐに誰が所有者か分かり、三流以下のライターに過ぎぬ私をこの星の秘密に近づけた運命の道標に誰もが畏敬の念を持ったそうだ。

 70年前の戦争で巨大な武器を運ぶために作られた、これまた巨大な魔法の通路は、その役目を終え後顧の憂いを絶つ為に徹底的に破壊されて尚、術式の余りの巨大さ故に、残った力が不規則にこちらとあちらを微妙に繋げてしまうらしい、人間は分からないが、

野球のボールなら通ることもある、そういう経緯で通路の残骸に吸い込まれたのであろうと、私にこれを届けた、廃通路の監視を生業としている魔術師は説明していた。

 このボールが私に戻ってきたという事実は、私の旅がもう終わったという事を示しているのかもしれない。

                          

                                 

                                

   



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