~絶望は突然に~・2

 その場にいた誰もが、状況を理解するのに時間を要した。


 ふわふわしていまひとつ格好がつかない寝癖頭。

 トレードマークの眼鏡の下にうっすらと刻まれた寝不足の証は確かによく知った人物の特徴そのもので、本来なら彼は王都の魔学研究所にその身を置いているはずだった。

 しかし力の抜けたしまりのない笑顔は今はなく、凶悪に歪んだ笑みを浮かべてデュー達を見下ろしている。


 その背には、大きく広げられた二対の翼が。


「い、や……」


 一番その現実を認めたくないであろうミレニアが拒絶に首を振り、本能的にあとずさりをする。


 大好きで、優しかった叔父のザッハが、王と同じように魔物にその身を侵食されていただなんて。


「そうか、確かあの時……」


 オグマが思い立って口を開く。

 以前にも魔物化したザッハを、そうとは知らずに戦って撃破したことがあったが……


「忌々しい聖依術を使われなかったからね、一時的に引っ込んで潜んでいたんだよ」

「ザッハ、まさかお前まで……」


 動揺する王を視界に捉えるとザッハの目が一瞬鋭く憎悪を放った。

 ぞくり、身の毛のよだつ感覚と威圧に、デュー達は地面に足を縫い止められたようで。


 ザッハはそんな彼らに目もくれず、今度はカミベルに視線を向けた。


「ああ、お会いしたかったです。“父上”が恋い焦がれるお姫様が、どんな可憐で美しい女性なのかと……」


 そして、いつものように柔らかく微笑み、


「……そいつを目の前で奪ってやれば、どうなるかとね!」


 悪魔の如く豹変すると、頭を低くし信じられない速度で結界に、カミベルに一直線に迫り、右腕を突き出した。


「カミベルッ!」


 先程までの戦いで消耗したデュー達にそれを止める力はなく、咄嗟に動いたのは一番近くにいたモラセス。


「がは……ッ」


 耳を塞ぎたくなる音と共に凶器となった魔物の腕に胸部を刺された王が、ゆっくりと傾ぐ。

 ザッハは動きを止めて腕を引き抜くと、血を吐きながら膝をつく“父上”を冷たい瞳に映した。


「おじうえ! なんてことをするんじゃ!?」

「なんてことを? ……ミレニア、こいつはね……君のお母さん、僕の大好きな姉上を死に追いやったんだよ!」

「なっ……」


 ようやく身動きが出来るようになったミレニアが声を振り絞って叫ぶも、返されたザッハの言葉に気圧されてしまう。


「違う、それは……!」

「うるさいな、外野は黙っててよ」


 反論しようとしたスタードを鬱陶しそうに睨むと、ザッハは地に両足をおろし今度こそカミベルに手を伸ばした。


「あ……や、やめて……」

「ずっと閉じ込められて可哀想に……今出してあげよう」


 魔物化を解いた腕で無遠慮に結界をまさぐると、実体がない巫女の手を掴んだ。


「なんで、魔物を宿した身で結界に触れられるの!?」

「知ってるかい? 一時的に活動を休止すると、魔物の侵入を防ぐ結界も意味ないんだよ。だから鉄壁だった王都の内部にも君達にくっついて易々と入れたし、一度入っちゃえば好きに暴れられるのさ」


 人々の間で絶対の信頼を得ている結界の、どうやらそれが弱点らしい。

 フィノの声にそう返すと、背後で戦闘体制に入っていた一行に空いたもう片方の手をかざす。


「邪魔はさせないよ。みんなの心の拠り所、粉々にしてあげる」


 言いながらザッハは足下の影から黒い魔物達を生み出し、切り離す。

 前に王が影を触手のように操っていたが、今度は位置に関係なく個々に動くことができ、意思があるようだ。


「くっ、数が多すぎるわ……カミベルさんのところに近付かせない気ね!」

「かといって、これでは食い止めるのが精一杯でござる!」


 デュー達の背後には里へ戻る道があり、無数の魔物がそこを目指して蠢く光景におぞましさを覚える。

 カッセの手を離れ弧を描いて飛ぶ戦輪が、イシェルナの闘気を纏った回し蹴りがまとめて数匹仕留めるものの、それでもきりがない。


 その間に悠々とカミベルを結界から引き抜こうとするザッハ。

 苦痛に蹲るモラセスがどうにか顔を上げると、なけなしの力でねめつけた。


「……わ、たしが、憎いなら、私を殺せば良いだろう……!」

「あれ、しぶといですねぇ父上……それじゃあ足りませんよ。わかるでしょう?」


 けらけら笑いながらそんなことを言い放つザッハに、もはや昼行灯の面影はない。

 じわじわと光の壁から出た腕がもう一度魔物のそれに変わると、一気に後方へ引かれる。


「いやあぁぁぁぁ!」


 悲痛な巫女の声が、聖域に、里全体にこだました。

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