オリジナル短編集

なつき

たそがれの姫軍師 1

 破壊の神、その力は最強にして最悪なり。眼差しは大地を焼き尽くし、一撫では海をも干上がらせる。歌を奏でるかの如く幾百幾千の破壊と殺戮の魔法を使いこなし、智謀策略をもって数多の世界を崩壊させる。

 来訪する世界全てを『たそがれ』へと導き、遠き時の彼方に刻まれしその名は。

 破壊神『――』


 上下左右から木々が生い茂るその森は、かつて『アブサラストの平原』と呼ばれていました。

 常に霧が視界を閉ざすこの森は。平原だった悠久の昔より勇者となれる資質を持つ者以外侵入する事を拒み続けて、今ではあまり訪れる者もいません。

 神聖不可侵、光達の祝福を受けた静寂の森。

 ……その森に、私は住んでいます。

 私の一日の始まりは。森の奥深くに行く前に泉で顔を洗う事から始まります。

 生き物の気配さえ感じさせない透き通った泉を水鏡に、私は自分の顔を見ます。

 特に代わり映えは……無いわよね? と、水鏡を見つめる私。確かにいつもと変わらない、夕陽か、ざくろ石を溶かしたような紅い髪を肩まで伸ばした髪型だし。右は黒い瞳で左が黄昏色の変わったオッド・アイだ。

 ……あの人が、大好きな髪色だと言いながら良く丹念に指で撫でてくれたっけと。不意に涙が零れ落ちて、泉に波紋を作ります。

 挫けている訳にもいきませんねと、私は涙を拭い瞑目して魔力を体内に集中させます。

「遠く悠久とおくを見つめる者、遥かなる過去を知り次なる世界を仰ぎ見る」

 歌うように唱えた刹那、霧が全て消え失せます。今日も魔法は好調です。私は少しばかり前向きに振る舞うと、聖域のーーアブサラストの平原の奥へと向かいます。

「とめどなく刻まれた時、かつてから連なり折り重なって今日も明日も変わらずに積み上げられる」

 奥へと向かうまで、私は歌うように聖域に満ちる魔力を集めます。別段、何をする訳ではないのですが。今後の楽しみなのです。

 そろそろ聖域の奥深くに辿り着きました。

 ですが。この場所は私にとって幸せと悲しみの交差する地です。

 天を貫くかのようにそびえ立つ大樹。その根元に小さな人影があります。幹にもたれかかるように瞳を閉ざして光のように白い髪の、まだ八才程の少年がーー剣に胸を貫かれて眠っています。静かに瞳を閉ざして眠るその姿は、誰の目にも死んでいるとは思わないでしょう。彼を貫く『凍てついた月光の輝きをまとう』刀身の、『翼ある太陽』の鍔を持つこの伝説の聖剣を引き抜けば。今にも起き上がって優しく微笑んでくれそうな気がしてなりません。

「おはよう、ルゥ」

 私は傍まで近寄り膝まずいて挨拶をすると、ひんやりと冷たい頬を撫でた。彼の身体は、優しく取り扱ってあげたいものです。

 だって彼はいつでも私と一緒にいてくれて、私の一番の理解者で……親友、だった。

『還流の勇者』伝説ーーご存知でしょうか? とある世界に語り伝えられる昔話を。

 遥か昔『女神の生まれ変わり』と云われた姫君を『たった一人で』魔王から護り、倒したと語り継がれる勇者の少年ーーこの地の名をファーストネームにいただく少年『ルーティス・アブサラスト』の伝説を。

 伝説には、幾つかの差異と誰も知らない真実があります。まずは一つ目、彼は魔王を倒したのではなく『封印』したということです。私には詳しい事は判らないのですが、多分、彼がその全てを掛けて封じ込めたのでしょう。……その瞬間を見ていない私には何とも言えません。

 そしてもう一つ。ここが一番大事な処です。大事なのでよく覚えて下さいね?

 彼は『たった一人で戦った』のではない……のです。

 彼の隣には私が居ました。私は彼の唯一無二のパートナーとして、共に戦った。彼が私を護り、私が彼を護り。お互いがお互いを支えあって魔王とその軍勢ーー魔獣達の支配する戦場を駆け抜けました。

 この戦いの中で夕陽のような紅い髪をなびかせて黄昏色のオッド・アイで敵を見据え、数多の策略も駆使して敵軍を自壊に導いた私は『たそがれの姫軍師』と讃えられ、『還流の勇者』という二つ名を持って知られる彼の伝説は、言の葉で語り伝えられている……筈です。

 どうしても森から出られない私は憶測で図るしかないのですが、多分……そう言い伝えられていると思います。

 彼と私は自分達の持てる力全てを掛けて、互いの大事なものの為に戦いました。

 ……でも、その代価でしょうか? 私と彼は共に生きる平和な生涯が訪れた事はありません。

 ーー情けないよね、私。幾千の魔法が使えたのに、大事な人の生涯すら守れなかったなんてーー。

 忸怩たる、思いです。彼はずっと私を助けてくれたのに……私は不甲斐ないと痛感する日々です。

「遥かなる未来を想いし過去の想いよ。想いを光に、光を粒に。輝きに世界の辿りし道筋を刻め」

 ですが、挫けてもいられません。私は魔力に命令をかけて、集めた魔力の粒達をそっと覗き込みます。

『魔法を使う為の力』ーー魔力ですが、この世界に在る魔力には今まで辿られた歴史や個人個人の生涯の記録、果ては平行世界や『隣り合う宇宙』の記録まで、溶け込んでいるのです。魔法使いならそっと触れるだけで、幾つもの世界を。知ることができるのです。ただし、知れる規模には限界もあります。小さな小瓶に海の水は全て入れる事は出来ませんからね。

「世界をその身に宿し者達、久遠の祈りを叶えし生命いのち達よ。世界を重ね祈りを繋げ互いの想いを互いの内にーー。ふふっ、ねえ見てよルゥ! 私、こんな魔法も使えるようになったのよ!」

 私は魔力を集めてかつての私には出来なかった『魔力と対話できる』魔法を、永遠の眠りについているルーティスの名前をニックネームで呼んで、披露します。尤もの話、ルーティスならこの程度の魔法はいつでも使えるのでしょうが……。でも、彼はきっと一緒になって喜んでくれる筈です。

 淡い藍玉色の霧が満たし、上下左右から大木が生い茂るこの森。仰ぎ見れば優しい光が、霧を貫いて降り注いできます。

 彼が良いと言うのなら、ずっと一緒にこの森に居たいわ。私はそう思いながら、そっと魔力に彼の伝説を語ります。この人の生涯だけは、刻の砂に埋もれて欲しくはないのですから……。


 彼と初めて出逢ったのは。魔王を倒す永遠の戦いの最中でした。その時の彼は王国の騎士見習いで、王国を侵略した魔王を退けた功績から打倒魔王の役を姫君から承っていました。

 馴れ初めはこの森がまだ平原だった頃。私達は初めてこの地で邂逅し、会話をしました。一族の中で最強にして頂点の力を秘めた私は。この地に封じ込められていたのです。


 ーーよくあることさ、……こんなのはーー。


 初めて彼が語った言葉、無邪気そうでありながらどこか物悲しい言葉でした。

 幽遠の歳月を封印されていた私を見つけた彼は。手を差し伸べてこう仰って下さいました。


 ーー共に行こう。僕のパートナーになってよ!ーー。


 一族の中でも呪われた程の力を持った私に生まれて初めて、そんな事を言ってくれて。私はとても嬉しかったのです。

 彼と共に歩む事を決めた私に、彼は戦略と戦術を教えてくれました。どうして? と尋ねる私に彼は優しくこう諭してくれました。


 ーー力を使うならね、その力がどんなものなのか、今僕らのいる世界にどんな影響を及ぼすのか。どちらの未来に向かうのか、君が行きたい世界の助けになるのかを正確に知るべきだよ!ーー。


 およそ八才位の少年とは到底思えないその発言でしたが、自分もそうだと思っています。

 今でも魔法を使う時、その事を理解できます。彼のその想いを受けて、私は魔力にその思想を封じ込めます。こうすれば、誰かが受け取ってくれる筈ですからね。

「ねえルゥ? こうして魔法の修行をしてたら……また、逢えるよね?」

 少しばかり、不安な私は。肩越しに眠る彼に話しかけます。彼からは様々な事を教わってきましたので、やはり独りだとどうしても。心が握り潰されるような不安に駆られるのです。

 でもきっと。大丈夫な筈です。私の道に間違いはありません。

 ただ……ほんのちょっぴりだけ。悩みがあるのです。

 彼は永遠の眠りについている為に八才頃で成長が止まっています。対する私は……十五才位になってしまいました。

「年上のパートナー……大丈夫かな?」

 目下、これだけが一番の心配です。ふわりと綿毛のように飛んできた魔力の粒子から。魔王討伐の旅の記録が零れ出てきます。


 ーー私にも、夢が、願いがあるんですーー。

 ーーへぇ! どんなものだい?ーー。

 ーー願いは……私達の一族を救いたい事です。その為に新しい戦略・戦術を作っているのですーー。

 ーー夢は? なあに?ーー。

 ーーいっ言えません!!ーー。

 ーーそりゃないよ。君から振っといてーー。

 ーーで、でも……ーー。

 ーーまぁいいや。んじゃ、僕の願いでも言おっかな?ーー。

 ーー願い……ですか?ーー。

 ーー願いは絶対に叶えるものだからだよ!ーー。

 ーーそう……なのですか?ーー。

 ーーそうだよーー。

 ーーそれで? ルーティスの願いは……何?ーー。

 ーー……君と一緒に、ずっといたい。かな? アレ? どうしたんだい?ーー。

 ーー……何でも、ありませんーー。

 ーーふーん……ーー。


 ……もしかしたら、気づいていたのかも知れませんね? ルーティスはとても感が良いですから。そんな彼ならきっと、「別に問題無いよ?」と言ってくる事請け合いです。ですが本心では年上が苦手だったら……と、やっぱり不安です。本当に、出来る限り喜んで欲しいですからね。

 また一つ、魔力の粒子。今度はどこの魔力でしょうか?

「その身に在りし記憶。喜びも哀しみも我が内に」

 呪文を唱えて読み取ります。

「……これは、懐かしいなぁ……」

 流れ込む記録。それは大事な記憶でした。

 魔王を倒す旅の最中、ちょうど私達は東に在る島国ーーかつてはヤマトと呼ばれた国『タカマ『』を訪ねた際の思い出です。あの当時の私は名前が『呪われた一族の呼び方』しかなく、ルーティスもまだ、『君』と呼んでいました。タカマを訪れたその時はまだ冬の時期でした。私はタカマの民家の生け垣に咲いていた花を見て、とても気に入ったのです。滞在中、ずっと見ていた私に彼は呪文を織り込んでその花をあしらった髪飾りを作ってくれたのです。


 ーーこの髪飾り、魔法の杖と同じ効果が有るから。魔法を使う時に使うといいよーー。

 ーーありがとう、ルーティス!ーー。

 ーーあの紅い花……確か『椿』って云うらしいね。僕もあの紅い花は好きだなーー。


 ルーティスが、好きな花だと言っていたから。私は呪われた一族の呼び名ではなく、その花の名前でーー自分の名前を『椿』と、呼ぶことにしたのです。


 ーールーティス! 私、自分の名前を決めたよ!ーー。

 ーーどんな名前だい?ーー。

 ーー『椿』よ! ルーティスが好きだって言ってた花!ーー。

 ーーそれで、いいのかい?ーー。

 ーーいいわ!ーー。

 ーーなるほど、じゃあ僕はその椿の中でとびきり最高の一輪を手に入れられたってことか!ーー。

 ーーえっ……? ……! ぁ、うーー。

 ーーアハハっ!ーー。

 ーーだったら私だって! ルーティスの事は『ルゥ』ってあだ名で呼ぶから!!ーー。

 ーーそりゃ構わないよ? 『椿』やっぱり可愛い花だね!ーー。

 ーー~~もぅっっ!!ーー。


 懐かしい……。あの戦いは私の中で一番幸せな時間だったかも。魔力をその身に流して、五感をもって記録を体感します。

 そして次の魔力粒子は。魔王の棲む城へと攻めこんだあの日の記録。忘れられない……あの日の、記録。


 ーーやっぱりな……! 椿、魔王は封印する事にしようーー。

 ーーそれでいいのですか……?ーー。

 ーーそれが今一番、マシな手だよ……ーー。


 彼は魔王に向かい合い。

 何かに気がついていた眼差しで魔王を封印して、そう呟いた。

 その後、私達はそれぞれの世界に一旦帰る事にしました。私は一族を救う為に、ルゥは……『魔王は倒さずに封印する方が良い』と王国に帰って説得する為に。別れる際泣きじゃくる私に、彼は呪文を唱えて『翼ある太陽』の形をした宝石という、とっておきの力をくれました。


 ーールゥ……これはなあに?ーー。

 ーー『神の力』さ。僕の用意出来る中でもとびきり最強の、ね。きっと椿の助けになる。じゃあまたね、いつかまたーー。

 ーーはい、いつかまた。貴方の生涯と重なりあうようにーー。


 挨拶と約束を交わして、私達はそれぞれの世界に帰って行きました。

 私は一族の元に帰還する一歩前に世界に不穏な空気を感じて。慌てて引き返しました。引き留めるべきだったと、逸る気持ちを制しながら。アブサラストの平原に差し掛かったその時に、愕然としました。

 かつて私達が初めて出逢い、言葉を交わしあったこの場所は。上下左右から大木が生い茂る不可思議な森へと変貌を遂げていたのです。


 ーーこれはいったいっ!?ーー。


 私は急ぎ足で森の奥深く、かつては一本の大樹だけがそびえ立っていた場所。私とルーティスのーー出逢いと約束の地へ向かいました。阻む霧を魔法で払い、私が大樹の根元へと辿り着いた時には……ルーティスは、すでに胸を聖剣に貫かれて、瞳を閉ざしていました。

 それを見た私はその場で膝を折り、泣き崩れました。間に合わなかった、護れなかった……と。

 ーーこの伝説の誰も知らない真実。それは魔王と戦った勇者は……二度と故郷に帰ることはできなかった……というところです。

 ひとしきり泣いて、気がつきました。

 彼はまだ、死んでいない、と。

 どうしてそんな事が判るのか? それはルゥが私にくれた『神の力』です。この力はまだ……輝きを、力を失っていません。恐らくは何らかの理由で解けてしまった封印を、自分の全てを賭して再封印したのでしょう。

 彼の『神の力』は、まだ生きている。だからきっと……彼も生きている筈なのです。

 それを知ってからずっと。私は魔力が満ち溢れているこの聖域ーーアブサラストの平原で。魔法の修行をしながら待ち続けています……いつかきっと、帰ってくる筈ですから。私はこうして魔力から記録を読み解く程の技量もありますので、魔力が満ち溢れている聖域は彼の魂の帰還を知るのにちょうど良かったのです。

 ーールゥ、私はずぅっと待ってるよ。幾星霜の昼と夜が過ぎても……ーー。

 私は瞳を閉じて、魔力に彼への想いを注ぎます。もしかしたら、彼に届くかもしれないと信じて。


 ーー僕はあなたの剣、あなたの盾。僕はあなたの最強の力、押し寄せる闇を災いを、全てをかき消す最強の魔法。共に足音を重ねて共に同じ夢をーー。


「……あ」

 今一瞬だけ、彼の魔法が聞こえました。魔力に織り込まれた彼の言葉が、私の中に入り込んできたのでしょう。

「……私は、ここにいるよ。貴方はどこ?」

 魔力は、答えません。判っていた事です。ですがこれは、彼から励まされた気になりました。

「ルゥ、私はずっと待ってるよ。もし、来てほしいなら言ってね。私、どこへでも行くしーー私からだって、そっちに行くよ!」

 私は、霧を貫く光のように。霧の先を見据えて決意を呟きました。

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