満月の夜にご用心(仮)

来条 恵夢

第一章 散歩の弊害

なんだって俺が襲われにゃならんのだ?

 夜にも人は活動している。こんな、田舎とまでは言わなくても断じて都会ではないこの大神市おおみわしですら。


 例えば、コンビニの灯に誘蛾灯につられた蛾か、と言いたくなるくらいに群がる閑人たち。多分、高校生や大学生が多いんじゃないか。そうでもないのかも知れない。

 例えば、夜のお仕事の人々。綺麗なおねーさんおにーさんだけでなく、夜間受け持ちの警備員だとか、二十四時間体制の警察や消防署。コンビニの夜番もそうか。

 他にも、家の外には出なくても、だらだらと深夜テレビを見ていたり熱心にパソコンの画面を睨んでいる人もいる。


 そんなわけで、夜も案外、煌々こうこうと明るかったりする。


「…なーんーでっ、俺はそんな中殺されかけてんのかなっ?!」

「大人しくしなさい。抵抗しなければ、手荒なまねはしません」

「わー日本語お上手ー、って、そんなの信じられっかー!」


 コンビニにシャーペンの芯とついでにお菓子でも、と気楽に出かけた高校生男子を襲っといて、その台詞はない。

 ぎりぎりでけられたから良かったようなものの、直撃喰らったら今頃あの世じゃね、俺。

 鉄鎖持った異国美女に襲撃される高校生って、どこの何設定だよ。


「えーいっ、なんだってこういうときに限って人がいない! お節介おばさんとか、寝るな起きてろーっ」

「無駄です、人払いの術法を施してあります」

「そんなもんあるのかよっ、かむばーっく、俺の平穏ー!」

「二度は繰り返しません。大人しくしなさい。抵抗しなければ、手荒なまねはしません」

「…いやそれ、二回目じゃね? 繰り返してるけど?」


 しーん、と、沈黙が落ちる。ああ、聞こえる車の音がなんて遠い。別世界の音か、あれは。

 美女は、満月にはわずかに足りない月を背負い、停止している。鉄筋ビルの屋上を抜ける風が、九月になったばっかだってのに冷たいのは気のせいか。


 この間に逃げられないかと五階建てのビルの下方を見るが、下手に宙に浮けば体勢も変えられず餌食になりそうだ。鉄鎖の直撃は厭だ。

 っていうか嬉しいやつがいたら…是非、今の立場を変わってほしい。即刻。


 やがて、美女はキッと俺を睨みつけた。


「問答無用!」

「ええっ、合ってる気がしなくもないけど間違ってないそれっ?」


 美女の手元から、分銅つきの鉄鎖が蛇のように伸びる。勿論、俺目掛めがけて。

 冗談じゃない、と走って避ける。

 幸い、美女の動きは少年漫画の登場人物みたいに眼で追えない、なんてことはないから、その後ろに走って逃げることはできた。

 が、分銅ぶんどうが追って来る。走って逃げる。


「きゃっ」


 妙に可愛らしい声がして、人の倒れる音がしたのは、そのとき。続いて、重そうなものの落ちた音。

 見れば、美女は足に鉄鎖を絡ませて、荒れたコンクリートの地面に仰向けに倒れていた。これは、頭打ったな。後頭部直撃だ。


「うーん、何なんだ一体」


 まじまじと美女を見ると、まさに王道の美女だった。

 長くゆるくウェーブした金髪、今は閉じてしまっているが碧眼。まつげも長い。胸もそれなりに大きくて、腰もくびれてメリハリばっちり。

 何かの制服か隊服のようなものを着ているが、それがあつらえたように似あっている。

 …俺、漫画の世界にでも紛れ込んだのか、実は。


「ま、狼男って時点で漫画だわな」


 遥か頭上で輝く、少し欠けた月を見る。別に俺は、満月見たって狼になったりはしないけど。

 溜息は好きじゃないから飲み込んで、美女をどうしたものかと考える。

 身体検査でもすれば身分証か何か出て来るかもしれないが、理性をたもてる自信がない。そんなところを誰かに発見されたら、犯罪者は迷うことなく俺だ。


 まあ…放置したって、今の時期、風邪なんかひかないよな。


「どーぞ、これにりて俺のことは諦めてください。…しかし、なんだって俺が襲われにゃならんのだ? まさか、親父の後妻希望で息子が邪魔とかじゃないだろうな?」


 もう一度、美女を見る。

 年は、多分、俺より少し上くらい。親父とは離れてるが、あいつも年齢不明なところあるからなあ。

 今度はうっかりと溜息をこぼして、俺は、コンクリートの地面を蹴った。五階分を一気に滑空する。

 我ながら危機感の欠片もなく呑気だけど、まあいいだろう。

 月は綺麗だし、明日から新学期が始まる。これだけは片付けておかないといけなかった宿題は手付かずで、今夜は徹夜が確定だし。


 着地すると、改めてコンビニへと走った。

 走る必要はなかったけど、やっぱり、非日常からはなるべく早く離れたい。たらたら歩いて意識の戻った美女に見つかるのも嬉しくないし。

 走りながら、ズボンのポケットにねじ込んできた携帯電話を引き出す。これの着信音に足を止めたおかげで、頭上から降ってきた鉄鎖にやられずに済んだのだ。

 命の恩人は誰だ。


「…はるか?」


 幼馴染だ。時刻表示を見ると十一時で、小学生はそろそろ寝たほうがいいんじゃないかなんてお節介なことを考える。

 とりあえず、リダイヤル。ほとんど呼び出し音も聞かないうちに、つながった。


「もし」

『しぃちゃん、お姉ちゃんが出かけちゃった!』

「お、おお?」


 俺よりよほど礼儀正しい遼が、俺相手とはいえ挨拶も無視して、まだ声変わりもしてない声で叫ぶように言う。相当、焦っている。

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