第91話 四季の扉

 大いなる冬フィンブルヴィンテルの到来以降、数百年以上に渡って雪と氷に閉ざされてきた世界、バルハリア。

 その間、都市丸ごと凍りついたままのローゼンブルク遺跡や、氷結の呪いに囚われ氷像の魔物アニメイテッドと化した者を元に戻す手段は。誰がどんな努力を重ねても、見つかることが無かった。


 だから、リーフは自分の頭に浮かんだ考えを「飛躍した仮説」と呼んだ。状況的につじつまが合っていても、常識的には認めがたいからだ。


 それでも地底世界の誕生は、ここ数百年無かった「新時代」の到来を予感させた。そこでは実際に、大いなる冬の影響が及んでいなかった。


「新たな時代の風が、凍りついたわたくしをこの庭園と共に目覚めさせた…そう思いたいものですわね」


 封印の扉が開かれた経緯を聞き。極地方において一日中、陽の昇らぬ期間「極夜」の名を冠するはぐれアバター・カーモスは、驚きと共に微かな希望の訪れを胸の内に感じていた。


「リーフさん、大発見ですね!」


 いつものセリフを先取りするように、ミキがリーフに笑顔を向ける。

 一本取られましたと、笑みを返した後。リーフは神妙な顔になって。


「姉さんや、レオニダス様をはじめ。氷像の魔物アニメイテッドとなった多くの冒険者たちを救えるかもしれない…」


 リーフのその言葉は、勇者の落日から唯一生還を果たしたクワンダ、ミキ、アリサの三人の心にも。大きな波紋を及ぼしていた。

 あの日の光景が、凍りゆくふたりの姿が。三人の脳裏に蘇る。


「また、何らかの儀式を行うことで。他の凍った区画も目覚めるんじゃろうか?」

「だとしたら、その手がかりを探すのが今後の目標か」


 アリサとクワンダが話していると。


「でしたら…心当たりがあります」


 カーモスの申し出に。一同はハッとなった表情で、彼女に注目した。


「この庭園は、全体が四つのエリアに区切られていて。それぞれが四季を象徴しています」

「では、いま僕たちがいるのは『夏の庭園』ですね」

 

 確信を持って、リーフが指摘する。自分たちは「夏のレリーフ」の扉から入ってきたのだし、中の植物も南国由来のものばかりだ。


「他の三つの庭園は、まだ凍ったままですが。そう考えて差し支えないと思います」


 ご案内します、とカーモスが一行を先導する。

 遺跡の奥で見つかった庭園は、大きな回廊状になっていて。一行は反時計回りで、季節をさかのぼっていく。


 庭園はかなりの広さだ。回廊の中央部は壁で遮られており、相当の面積があるはずだが、扉も無い。

 十数分歩くと、園内の風景が一変し。春をテーマとした装飾の施された区画に出る。もっとも、周囲は全て真っ白に凍りついたままなので、違和感が半端ないが。


「あれは…?」


 ミキが、回廊の外側に見える大きなレリーフの扉を指差した。


「『春の扉』か?」


 熟練冒険者の習慣というか、ほとんどクセみたいなもので。周囲に警戒の目を光らせていたクワンダが、ミキの指した扉のレリーフに目をやった。

 そのまま、足早に扉の前まで歩いていく。その扉のレリーフの中だけは、色鮮やかな桜の花びらがひらひらと舞っていた。


「春と言えば、花見よな」

「ええ、桜ですね。このレリーフ」


 扉の前で、アリサとリーフが巨大なレリーフを眺めている。そこに浮き彫りにされた桜の木は、ほぼ実物大だろう。とんでもない職人技だ。


「花見で儀式か。夏のレリーフの時もそうだったが、この条件をすぐに満たせる場所は…地底世界を除いて、バルハリアには無いな」


 難しそうに、クワンダが顔をしかめる。地底世界に桜があるかは、現状全くの未知数だ。


「なあに、三つの扉のうち攻めやすいところから封印を解けば良いのじゃよ」

「それもそうだな」


 アリサの出した答えに、一同もうなずく。


「続いて『冬の扉』へ、皆様をご案内いたしますが」


 カーモスの声と表情が、にわかに緊張の色を帯びる。当然、一行の注目はそこに集まった。


「くれぐれも、お気を付け下さい。招かれざる客人が、出入りを繰り返しているようですので」

「…!」


 不意に、ミキの胸元の古傷が疼いた。とっさに手を当て、道化に刻まれた烙印の痕をかばうしぐさに。クワンダとアリサが気遣うように、両側からミキの顔をのぞき込む。


「ミキよ、大丈夫か?」

「はい、アリサさん。何とか」


 ミキが手を離すと、×字の傷跡はうっすらと青白い光を発していた。それは一行が歩みを進め、冬の庭園に入り、遠目に見えるレリーフの大扉へ近づくほど明るさを増してゆく。

 カーモスの言う「招かれざる客人」とは、以前三人が交戦した道化で間違いないだろう。


「俺も感じるな。庭師ガーデナー災いの種カラミティシードの残滓を集め、何かに使った『残り香』がな」


 背中に、巨狼の星獣ベオウルフを宿した恩恵なのか。クワンダの蒼の民としての感覚は、以前にも増して研ぎ澄まされているようだった。


「クワンダ様がそう言うなら…」


 その反応を聞いて。リーフが急ぎ、災いの種の残滓が影響しているなら、それが通信障害などの形で出ているはずだと情報端末の設定を調整する。


 クワンダファミリーの四人と、庭園の案内役カーモスが「冬の扉」の前に立つ。そこには、女神アウロラの象徴でもあるオーロラが浮き彫りにされていたが。

 そこには、心安らぐような緑の色彩は無かった。むしろ不吉の前兆とされる、空が燃えるように赤いオーロラだ。

 

 その赤く燃える空の下に浮き彫りで描かれているのは、激しく吹き荒ぶ猛吹雪と。武器を携えて互いに殺しあう多くの兄弟たちと、画面奥に控えている氷の魔狼。


「このレリーフだけ、作風が違うように感じます」

「今までは、季節のお祭りでしたものね」


 冬の扉を見上げて、そこはかとない違和感を感じていたリーフに。ミキもまた自分の感想を素直に述べた。


「この扉だけ、あの道化が術で作り変えたような感じじゃな」


 呪いのアイテムには人一倍敏感なアリサが、扉が放つ異様な気配を肌で感じ取っていた。ウサビトの耳も、ピンと立って警戒態勢だ。


「迂闊に触れると、引き込まれるやもしれん」

「今は見るだけに留めておくか…」


 冬の扉については、開け方のヒントすら判然としない。クワンダも気を切り替えて、残りの扉を見に行くことにした。


◇◆◇


「結局、わらわだけが幻を見なかったのぅ」


 最後に残った「秋の扉」を見た後。アリサが少し残念そうにつぶやく。


「皆様は、この庭園で過去の追憶に触れたのですね」


 ミキやクワンダ、リーフから話を聞いて。カーモスは神妙な顔で考えを巡らせていた。


「はっきりとした理由は分かりません。けれど『季節のお祭り』でわたくしや庭園が目覚めたことにも。その庭園が過去の懐かしい記憶を見せたことにも、意味があると思います」

「カーモス様はもしかすると、氷結の呪いから解放された最初の証人なのかもしれません。僕も、新たな希望が見えてきました」


 そう言うリーフの姿は、アリサたち三人の目に少し頼もしげに見えた。


「では一度、戻って報告といこうかの」


 そのときだった。


 日も沈んだ、ススキの野原が秋風に揺れ。まあるい月が夜空に昇る。

 ウサビトをはじめ、トヨアシハラの十二支の獣人たちが。花見のように茣蓙ござを広げて、一杯交わしながら月を愛でる。


 その中に、二人の兄と楽しく談笑しながら。月を見上げる幼きアリサの姿があった。


 アリサは、三人兄妹の末の妹だった。二人の兄は故郷トヨアシハラを地獄に変えた宿敵・邪暴鬼じゃぼうきとの戦いで、いずれも命を落とした。

 二人の犠牲により、右腕を斬り落とされた邪暴鬼。アリサはその腕の骨から鍛えられた妖刀を、今も愛刀としている。民を守る、兄たちの想いを継いで。


 今も、兄たちはそばで見守ってくれているのだろうか。


 ふと、アリサの胸に。ウサビトの姫として従う者たちを不安にさせないため、長年押し込めてきた懐かしき想いがあふれてくる。


「あ、兄者!」


 アリサの目の前で、どんどん遠ざかる二人の面影。


「待ってたもれ!わらわは…!!」


 知らず、涙がとめどなくこぼれ落ちる。

 泣きじゃくるアリサを、誰かがしっかり抱きしめてくれた。


 その腕の感触と、伝わる温もりは、幼いアリサを戦乱から守り抜いてくれた二人の兄たちのそれにも似ていた。


 寡黙な彼は語らない。けれども。

 俺なら、ここにいる。


 幼子のように震えるアリサを。クワンダは何も言わずにただ、優しく抱いていた。

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