第90話 追憶の庭園

 地球では、マリスとクロノが札幌市に夢渡りして。北海道全土が地震の影響で停電という、予想外のトラブルにあっていた頃。


 クワンダファミリーの四人、クワンダ・アリサ・ミキ・リーフは。先日の地底世界での「女神と乙女たちの水浴び」の儀式により、封印の解けた扉の先に広がる未知の領域の調査に乗り出していた。


 前人未到の場所ということもあって、一行は道化との遭遇を強く警戒していた。あるいは、勇者の落日の際に起きた「誰かの望まないことが具現化する」罠の作動。


 今は、転移紋章石という緊急の脱出手段がある。それでも、少しも気を緩めてはいない。何かあれば即撤退の構えで、少人数で臨機応変に動く。それが今回の探索方針だった。


 熟練の冒険者三人は、クワンダが先頭、アリサが右翼、ミキが左翼を警戒し。その後ろから、紋章士リーフが付いてくる形で陣形を組んでいた。

 リーフは、ゴーグル型の情報端末を身に付けている。揺籃の星窟での経験を元に、より通信障害に強くなるよう改良を重ね。タブレットのように画面をのぞき込む必要も無くなった、視界に重ねて各種表示を行うタイプの試作品だ。


 凍りついた回廊を、油断無く進んでいく四人。


「もう少しで、広い空間に出ますね」


 視界の片隅に表示された、自動更新の簡易マップを見て。リーフが他の三人に伝える。やがて一行は、難なく大広間に到達した。


「…これは!」


 周囲の風景を見て、ミキが息を呑んだ。


「遺跡が凍ってない…じゃと?」


 アリサも、異様な光景に思わず声をあげる。そこは、多種多様な植物が良く手入れされた室内の庭園だった。

 かつて都市を丸ごと凍らせた、災いの種カラミティシードの暴走が引き起こした「大いなる冬フィンブルヴィンテル」。それは滅亡前の壮麗な都の姿を、数百年間そのままに保存していた。


「ここが、長い間凍らずに放置されていたのなら。もっと、荒れていて当然ですね」


 リーフが不思議そうに、広い庭園を眺めている。とはいえ、花を愛で草木に親しむハナビトだけあって、彼の表情はどこか楽しそうだ。


「ここにあるのは…南国の植物ばかりです。僕の髪に咲いてるのと、同じのもあります。地球名、マダガスカルジャスミン。ちなみに有毒ですからご注意を」


 リーフが、小さく白い花の近くに歩み寄って指し示す。その花は、ジャスミンのような香りを漂わせていた。


「誰かが、手入れしてるんでしょうか?」


 アニメイテッドか、まさか道化か。その想像がミキの警戒を高めていくも。


「でも、危険な反応は見当たりません」

「俺の勘でもな」


 リーフの情報端末と、ベテラン迷宮案内人の直感は。ミキの懸念を否定していた。


「…危険は感じないが、さっきから妙な既視感を覚えるな」

「おじさまもですか?」


 クワンダとミキが顔を見合わせる。二人とも、ここに来たことがあるような。そんな気がしてきたのだ。


 ミキは滅亡前のローゼンブルクで生まれ、子供時代を過ごした。そしてクワンダは庭師ガーデナーの追っ手から逃れ、この地に落ちのびてきた蒼の勇者のひとり。

 確か、もうひとり…誰か、アウロラのアバターと。三人でこの庭園を散歩した。


 幼いミキが、庭園の見るもの全てに新鮮な驚きを感じながら。軽い足取りで辺りを走り回っている。それを微笑ましく見守っている、クワンダとアウロラ。その姿は、まるで家族のようでもあった。


「…今のは?」


 不意に、ミキとクワンダの脳裏に浮かんできた、鮮明なヴィジョン。


「幻惑の罠か?」


 どこか懐かしく、心を癒す追憶だった。だがここは、危険な遺跡の中。以前とは違った形で、何らかの罠が作動しているのかもしれない。


「二人とも、どうしたのじゃ?」


 アリサが不思議そうに、クワンダとミキの顔をのぞき込む。その視線に気づくと、クワンダはハッと我に返った。


「気を引き締めて、もう少し探ってみるか」

「端末に、人の反応があります」


 今度はリーフが。みんなに注意を呼びかける。


「まさか、他の冒険者でもあるまい。いま調査に来ているのは、わらわたちだけのはず」


 アリサが警戒を高める。自分たち以外に誰かがいるとすれば、それは敵の可能性が高い。


「反応の動きからして、庭園内を巡回しているみたいです」


 リーフが周囲の簡易マップと、反応が出ている赤い点を空間に投影する。向こうはこちらに気づいているのか、知っていて知らぬ素振りを見せているのか。


 一行は、慎重にその反応を尾行した。何者かがリーフの端末に偽情報を送信して、罠へと誘導している可能性も視野に入れながら。


「…姉さん?」


 今度は、リーフが妙な動きを見せた。今追っている正体不明の反応が、勇者の落日の際に遺跡深部で消息を断った姉…ベルフラウに見えるというのだ。

 常識的に考えて、それは有り得ないはずなのだが。


 懐かしき妖精郷、ロスロリエン。その緑あふれる地に、四季の花が咲き乱れる庭園があった。幼き姉弟が、花園で隠れんぼに興じている。ちょうど今のように、リーフがベルフラウを探しているのだ。

 やがて、リーフが愛しい姉を見つけ、背後から抱きしめる。驚くベルフラウ。姉弟は勢いで柔らかな芝生の上に転がりながらも、じゃれ合うように抱きあった。


「リーフよ、どうしたのじゃ?急に抱きついたりして」


 気がつくと、リーフはアリサに抱きしめられていた。母のように優しい、ウサビトの武者姫の抱擁。つい、そこに姉の面影を見出して。ずっと抱きしめていたくなる。


「あ、アリサ様!これは…」


 リーフが顔を真っ赤にして、アリサから飛び退く。


「リーフさんも、見たんですね」


 ミキが、リーフの顔を見る。その口調には、女性に対して突然抱きついたことを咎めるような感じは無かった。


「わたしたちはファミリーですし、ハグくらい自然だと思いますよ」


 少しイタズラっぽい笑みを浮かべて、今度はミキがリーフをハグする。さほど大きいとは言えないものの、アリサよりは豊かな柔らかい感触を感じて。リーフの顔がますます赤くなった。


「これで、三人か」


 クワンダが、何とも言えない表情でリーフを見る。四人のうち、三人までが不思議な過去のヴィジョンを見た。しかもそれは、みんな心を癒すようなものだった。

 これは、一体何を意味するのか。果たして、何かの罠なのか。


「アリサも、そのうち過去を見るかもな」


 クワンダに視線を向けられて、アリサが少し恥ずかしそうな顔をする。


「わらわも、何か錯乱するかもしれんのか」


 そのとき。一行が追跡していた謎の反応が、動きを止める。そして、こちらに近付いてきた。


「…!」


 四人が警戒を強める。

 しかし次の瞬間、それは意外な声によって行き場を失った。


「ずいぶん、仲がよろしいのですね」


 まるで貴婦人のような、優雅な物腰。そこに敵意や悪意は感じられない。

 ゴシック調の、黒い喪服ドレスをまとったその姿。黒いヴェールで半分覆われた、その素顔。

 そして、後光のようにまとっている…オーロラの煌めき。


「アウロラ様…!?」


 アウロラの巫女であるミキが、驚きの声をあげた。


「ええ。わたくしの名はカーモス極夜。アウロラのアバターです。今は情報リンクが切れていますから…はぐれアバター、とでも言いましょうか」

「はぐれアバター?」


 リーフが、疑問の声をあげると。カーモスはヴェールで覆われている方の手にはめた、長手袋を外して素肌を一行に見せる。そこにあったのは、マネキンのような手。

 アバターボディは、様々な種族の能力や特徴を再現できる「異種族エミュレータ」だが。起動してない状態では、のっぺりしていて性別も無いマネキンのような姿だ。


「ご覧の通り、アバターボディに不具合が生じていまして。お見苦しい姿で、失礼いたします」


 再び、手袋をはめるカーモス。ヴェールで覆われた顔の半分も、おそらくはマネキン状態なのだろう。


「そうか」


 なぜここに、アウロラのアバターがいるのか。

 その理由に心当たりがあって、クワンダがつぶやく。


「あの日、逃げ遅れたアバターの一体か」


 数百年前。蒼薔薇の都ローゼンブルクが、災いの種カラミティシードを巡る欲深き者たちの争奪戦の最中に暴走を起こし、周囲を無差別に凍り付かせていく中。

 クワンダは新たなる希望を守るため、幼いミキを連れて都を脱出した。


 蒼の勇者たちが、あの場にいながら。力及ばず多くを救えなかったクワンダはその後、市民たちの生活再建に全力を尽くすことを誓った。


「わたくしは、長い間眠りについていたようなのです」


 カーモスに、都市滅亡後の記憶は残っていないという。

 また、他のアウロラアバターとも情報の共有が切れたままらしい。


「では、氷都市のこともご存知ないのですね」


 ミキが、カーモスに問いかける。


「都は、別の場所に再建されたのですか?」

「ええ。数百年経った今も、大いなる冬フィンブルヴィンテルは続いていますが」


 ミキの返事を聞くと、カーモスはどこか複雑ながらも。ひとまずは安心したような表情を見せた。


「それは、みなさんご苦労をされましたね」

「遺跡に取り残されながら、アニメイテッドにはならずに済んだのかの?」


 アリサが、つじつまの合わない点を指摘する。この、遺跡内にありながら凍り付いていない、摩訶不思議な庭園のことも含めて。


「かなり、飛躍した発想の仮説なのですが」


 リーフが、カーモスも含めた一同に自分の考えを説明する。


「夏のレリーフの扉。あれの封印が解けたとき、この庭園やカーモスさんも同時に、眠りから覚めたのかもしれません。凍っていた状態から」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る