第86話 利用価値

「その仮面、着用者の精神に何か細工してるんじゃない?」


 膠着状態に陥った地球人同士のにらみ合いに、マリスが第三者視点で声をかける。地球人でない彼女からすれば、やはりレベルの低い争いなのだ。正気ではないと。


「要するに、その仮面で異世界テレビフリズスキャルヴに捕捉されず好き勝手できると煽っておいて。裏で自分の目的のため、地球人を手駒に使ってるわけか」


 クロノが、マリスの指摘から推理を展開させた。


「道化のやりそうなことだよ。怪しいアイテムに考え無しに飛びつくと、身の破滅を招くかもね?」

「道化にいいように利用され、捨てられた『いばら姫』の二の舞ですわね」


 勇者の落日のとき、ミキが語った「はじまりの地」の物語。ユッフィーの中の人イーノも、夢渡りで迷い込んだ遺跡で直に聞いていたし。それを元に書いたイーノの小説を読んでいる仮面の男たちも、知っている情報だ。


 それだけに、マリスの懸念は真実味があり。仮面の一団を動揺させるには、十分な効果があった。


「やっぱり、異世界モノに付き物のご都合チートなんて、そんなにないの」


 モモが、優しいお姉さんとしてたしなめるように仮面の男たちへ呼びかけるが。


「ご忠告どうも。…お前らをヤってから考えさせてもらうよ」


 その一声を合図に、仮面の男たちの殺気が膨れ上がった。もはや全面対決は避けられない。


「飛び道具はやめとけ。壁に反射して面倒になるぞ」


 敵が手にしているのは、どれも近接武器ばかりだ。


「せっかく、ユッフィーちゃんたちが優しく夢落ちさせてあげようとしてたのにね。じゃ、悪い夢見てもらうよ」


 マリスが鋭い眼差しを敵に向ける。


 空模様が、その場の空気を表すように変わってゆく。今日は元からハッキリしないくもり空だったが、雲の色までもが暗くなり。しまいにはゴロゴロと雷の音さえ響かせるようになった。


 しばしの間、武器を構えてにらみ合う両者。ユッフィーとクロノは愛用の杖を、モモは巨大な絵筆を具現化するも。マリスはまだ、無手のままだ。


「マリスちゅわ〜ん、拙者の嫁になってくだされ!」

「やだね!」


 それが、戦闘開始の合図となった。


 小太りの変態男が、背中の触手をマリスに伸ばす。その動作は、どことなく獲物に素早く舌を伸ばすカメレオンのようだ。 

 なお、カメレオンの舌は0.01秒で時速90kmにも達するという。その加速性能はジェット機をも上回る。とんでもない早撃ちだ。


 当然、マリスもあっという間に触手に絡め取られてしまった。しかもネバついた粘液が、少しずつマリスのチューブトップを溶かし始める。肌には一切、傷をつけずにだ。

 マリスがイメージの力で具現化させている衣服に、変態男がキモオタならではの妄想力を活かして「溶かされた状態」に上書きしているのだ。


「マリス!」


 クロノが声をあげる。すぐに自身の杖から漆黒の刃を生やして、マリスを縛る触手を断ち切ろうとするも。


「前がお留守だぜ、厨二ボーイ!」


 仮面の男のひとりが、具現化した刀でクロノの大鎌を阻んだ。そのままつば競り合いに持ち込まれるクロノ。


「グヘヘへ、マリスちゅわ〜ん♪」


 変態男の背中から、何本もの触手が伸びてマリスを舐め回す。腕や太股に首筋、胸の谷間、果てはホットパンツの中にまで侵入しようとやりたい放題だ。


「マリス様!」

「それなんて、エロマンガなの」


 ユッフィーとモモも、マリスを助けようと必死だが。こちらはこちらで化けの皮を剥ごうとする悪趣味な仮面の男たちに攻められており、手が回らない。

 特にユッフィーは、同時に二人を相手取る状況で。敵の攻撃をさばき切れずに少しずつ、女魔法使いの衣装を切り刻まれている。

 地球では、バルハリアほどアウロラの加護オーロラヴェールが強くないのだ。


「あはは、ちょ、やめ、くすぐった…」


 変態男の執拗な責めを受けて、マリスが悲鳴をあげ…ているのかと思ったら。


「な〜んて、言うと思った?」


 大胆不敵なその言葉に、敵味方の手が止まる。思わず、マリスに集まる視線。


「マリスちゅ…わん?」


 明らかに、変態男の様子が変だ。

 マリスを多数の触手で蹂躙しようとすればするほど、男の小太りな身体は痩せ細っていき、目に見えて衰弱してゆく。逆に、マリスの方が肌艶が良くなっていく。


「触手を通して、逆に吸われてるのね。サキュバスみたい」

「拙者、マリスちゅわんに吸われるなら本望でござるよ〜っ!!」


 そのまま、キモオタな変態男の姿はみるみる細く小さくなってゆき…妄想の力を吸われ尽くして。恍惚の表情を浮かべたまま、夢落ちしていった。


「エナジードレインか」

「ボクの中のマリカちゃんが、不味いって言ってるけどね。悪夢を見せるつもりが、天国の夢を見せちゃったみたい」


 クロノの問いに、マリスが苦笑いを浮かべながら答えた。


「さすが、マリス様ですの。夢渡りの民は、地球の伝承で夢魔サキュバスの同類だと見られることもありましたわね」


 マリスの頭脳プレーに、ユッフィーが戦意を奮起させる。ドワーフの剛力を活かして、仮面の男二人を同時に突き飛ばす。精神体では、想像力こそパワーなのだ。


「うおっ!」

「…ちっ!」


 ユッフィーが吼えた。いかにもドワーフらしく、ラグビー選手たちの戦いの雄叫びウォークライの如くに。あるいは、北欧神話の狂戦士バーサーカーか。


「人生は、楽しくなければ。どんなに先が見えず、希望が無くても。いつでも、そうあろうとするイーノ様に。あなたたちは、嫉妬しているだけですわ!」


 思えば、子供の頃から人を笑わせるのが好きだったイーノ。それが、彼のロールプレイの才能の源。もし少し違った人生を歩んでいたなら、イーノは俳優か芸人にでもなっていたかもしれない。


「イーノ、貴様ぁ!!」


 図星を突かれたのか、顔の無い男たちの悪意が暴走した。その荒れ狂うどす黒いオーラは、クロノの展開した牢獄障壁サイキックプリズンに亀裂を生じさせるほどのプレッシャーを放っている。

 さらに、まるで憎悪の高まりに呼応するように。激しい雷鳴が轟き響いた。


「くっ…耐え切れないか?」


 夢渡りの民に目覚めたと思しき、クロノの力を持ってしても。男たちの暴走は止められない。これは明らかに、仮面が男たちの理性を削り。悪意のエネルギーを強引に引き出している感じだ。

 ついに、クロノが張った流れ弾防止用の結界もガラスのように割れて、破られてしまう。けれども、ユッフィーは止まらなかった。ここで暴力に屈するわけにはいかない。


「だからと言って。自分を負け組と決めつけるのは、短慮ですわ」


 ユッフィーが、仮面の一団に呼びかける。それは敵としてではなく、同じ現代日本の「大いなる冬」を生きる者としての肉声だった。

 単純に、悪者をやっつければいいという話ではない。今の日本に閉塞感をもたらしている原因は、ひとりひとりの心の中にあるのだから。みんなが小さな勇気を出してそれに向き合うほかない。


「上から目線で見下しておいて、何を今さら」


 棘のある言葉が、ユッフィーの胸を刺すも。彼女は呼びかけを止めない。


「誰にでも、素晴らしい才能の種が眠っています。迷走する世間に振り回されず、荒んだ世相に毒された人にも傷つけられず。その種を芽吹かせることができれば、あなたもきっと」

「御託は聞き飽きてんだよ!」


 顔のない男たちの怒声が、雷鳴のように大気を震わせる。

 そして。ユッフィーたちの背後に、新たな仮面の一団が現れた。


「さっきは、よくもやってくれたな」

「オレたちを舐めやがって」


 どうやら、新規の増援ではなく。最初にマリスの不意打ちで夢落ちさせられた者が再び夢渡りで戻ってきたらしい。確たる信念も無い割には、大層な執念だ。


「もう油断はしねえぞ」

「ゲヘヘ…マリスちゅわんは俺の嫁」


 こちらは、クロノの設置した壁に攻撃を跳ね返されて夢落ちした者か。

 さらにはまた、しぶとくキモオタ復活。


「ああもう、しつこいっ!」


 さすがのマリスも、顔をしかめた。

 形勢は4対8、万事休すか。


(地球だと、紋章術も効果が落ちるのね)


 モモも慣れない戦場で善戦していたが。夢魔法について、さらなる修行の必要性を悟っていた…そのときだった。


「みなさぁん、お待たせですぅ!」


 エルルの声がしたかと思うと、至近距離で特大の雷が落ちた。


「グワアァァァッ!?」


 一同の視界がホワイトアウトし、凄まじい轟音が「精神体なのに」耳鳴りを起こさせるほど暴れ回る。全員、わけが分からなかった。


 数秒後、視界に補色残像が残る中でようやくあたりが見えてくると。仮面の男たちが、四人まとめて即座に夢落ちさせられていた。


「やりましたぁ!」


 エルルが、ユッフィーの周りをひらひら飛び回って喜び。両手を握って上下にブンブンする。


「今の、エルル様がやったんですの?」

「アウロラ様にアドバイスを頂きましたけどぉ、やったのはわたしぃですよぉ♪」


 一気に、またも大逆転だ。ヒーローは遅れてやってくる、そんなところか。


 ところが。


「エルルちゃん、後ろ!」


 マリスから、険しい警告の声が飛んだ。


「お前は…!」


 クロノも、ただ事でない様子だ。


「ノーフェイスのみなさん…そこまでですよ」


 冷たく、落ち着き払った声が。仮面の男たちを一瞬で静かにさせた。


「ふえっ…きゃああ!」


 何事かと思って、エルルが振り返ると。

 そこにいるはずのない、ゾッとするほどの気配に恐怖と身の危険を感じて。エルルは思わず、ユッフィーに飛びついた。


「あなたは…『いばら姫の道化』!」


 エルルを安心させるように抱きしめながら、ユッフィーが道化に真剣な眼差しを向ける。


 いつかは、こんな日が来ると思っていた。

 勇者候補生たちと、道化との遭遇。


 しかしそれは、予想されていた「夏のレリーフの扉」の向こうではなく。

 よりによって、地球の日本。北海道地震直後の、札幌市上空でだった。


「申し訳ないのですが…ビッグさんたちには危害を加えないで頂けませんかね」


 あまりに意外な、道化の言葉。今ここにいる「彼」とは、別の分身なのだろうが…ビッグたちM Pミリタリー・パレード社の三人に「烙印」をつけて、精神が地球へ帰れないようにしたのは道化の仕業ではないか。

 クロノが、道化にそう指摘する。


 仮面の男たちも、その態度に疑問の色をにじませているのが察せられる。


「お前がなぜ、ビッグをかばう?」


 クロノの問いに、道化は簡単ですよと答えた。


「彼ら三人には、やってもらいたいことができたのです」

「利用価値がある、ということか」

「ええ、その通りです」

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