第76話 天地創世の試練(後)

 地底世界に雨が降っている。エルルのルーン魔法によるものだったが、今の彼女はケルベルスが貸し与えた星霊力によって、生身でありながら神の領域に迫るパワーを発揮していた。


「ただの霰弾ハガルのルーンがぁ、すごいことになってますぅ!」


 本来、こぶし大の氷のつぶてを降らせる魔法が。ひょうあられを降らせる大元である、雄大な雨雲を生じさせ。さらには天空から降り注ぐ氷塊が途中で雨へと代わり、大地に降り注いでいるのだ。まさしく「自然の猛威」を意味するハガルのルーン本来の姿と言えた。

 リーフやモモも、雨雲を描き出す紋章術で力添えしている。その降雨量は半端でなく、水たまりが池へ、池が湖へと瞬く間に変わってゆく。神の器であるアバターボディの使用者でなくても、全員の力が底上げされているのは明らかだ。


 やがて、いくつかの湖が合わさって海と呼ばれるほどの水が大地を覆った。早速、マリスが海に飛び込んで海中の様子を探ってみる。

 夢魔法による具現化で即席のゴーグルを作り出して、水中を見て回るも。何か足りないという違和感が拭えなかったマリス。水面に顔を出すと、一声叫んだ。


「まだ海になってないよ!よくかき混ぜよう!!」

「であれば、乳海攪拌にゅうかいかくはんの故事にならうがいい」


 乳海攪拌とは、ヒンドゥー教の創世神話に登場する出来事だ。ケルベルスに知識を与えた地球人は、よほど物知りか検索マニアだったのか。


「我の身体である世界樹を柱とし、三つの大蛇を綱引きの代わりとして。神と悪魔と人とが、順番に引っ張り合うが良い。さすれば海から、様々なものが生まれよう」


 オリジナルからは、多少アレンジされているが。冒険者たちがどうにか引っ張れるサイズに姿を変えたケルベルスが、神チーム=アバターボディ使用者のユッフィーたち、悪魔チーム=魔人化したマリスと中二病っぽさ満点のクロノたち、人間チーム=いきなり運動会みたいなことになって割と楽しんでるアリサやミキにレティスたちの三つに分かれてしっかりと三つ首の大蛇を掴んだ。


「せえ〜のっ!」


 メルが音頭を取って、神チームが綱代わりの大蛇を引っ張る。唯一生身のエルルには少々きつかったが、目の前で真剣に綱を引くユッフィーやファミリーの仲間との共同作業だと思えば頑張れた。ここでもドワーフ族ふたりの怪力は存分に活かされている。

 軸になっている世界樹がキリモミ式発火法の火きり棒のように勢いよく回転し、海がかき混ぜられた。同時に摩擦熱で、氷の融けた冷たい水が暖められる。


「そぉ〜れ!」


 人間チームはアリサを中心に、ミキやレティスの女性陣が元気良く声をあげた。インドア派のリーフは、やや振り回され気味だ。クワンダは地味ながらもしっかりと、低い声で唱和し、周りのペースに合わせて綱を引く。遠い昔、地上世界で厚い氷の下からローゼンブルク遺跡を掘り出す工事に加わっていたのだから、このくらいは昔取った杵柄だ。

 海がかき混ぜられて起こる波は、やがて地底世界の海全体に波紋を広げた。それは陸の様々な地形にぶつかって反射し共鳴しあい、やがて地球のような海流や潮の満ち引きを生んでいく。


「海っぽくなってきたよ!あと少し!!」


 悪魔チームのマリスたちに、世界樹を中心に巻き起こる大渦潮となった海水の飛沫がかかる。その味は確かに塩辛く、本物の海水同様に砕かれた岩から多様なミネラルが溶け込んでいることを実感させた。

 アラクネ族やゴルゴン族の故郷、異世界オケアヌス。その名は外洋の海流を神格化したものだと、オリヒメが思い出す。自分たちはそれを作り出しているのだ。


「新しい世界では、故郷での過ちが繰り返されないようになれば良いわね」

「そうっすね、ヒメ」


 クロノも黙って聞いていた。そして、ふとつぶやく。


「誰も除け者にされない世界、か」

「作ればいいじゃん、ボクとクロノがアダムとイブになってさ」


 マリスがクロノを誘う。普通なら気の遠すぎる、荒唐無稽な話だ。けれども今、自分たちは地底世界の創世に関わっている。それならやってみるかと、そんな気持ちさえ湧いてくる。


(この海にやがて生まれてくる美しいものが、理不尽な迫害から守られるように)


 ミカもそんな願いを込めて、綱を引いていた。するとそれらの想いが、世界樹に新たな黄金の果実を二つ実らせた。


 神話において、乳海攪拌が行われた期間は千年。しかしこの場においては体感時間で一時間と少しくらいで、実に色々なものが地底世界に生じていた。

 岩だらけの暗かった洞窟には昼夜が生まれ、命の源たる海ができた。そこには潮風が吹けば、寄せては返す波もある。陸地はほんの一握りだが、生き物以外なら大抵そろっていた。全ては地底に蓄えられた莫大な星霊力と、神の器アバターボディと、人の意志の成せる業だった。


「これまでに実った果実は6個。12の功業も半ばまで来たわけだ」


 神話と違い、我が身を綱引きの綱にされる苦しみで猛毒を吐くことも無しに。努めて冷静な様子でケルベルスが冒険者たちに伝えた。さすがに、みなくたびれた様子だ。それでも、ここまで来た達成感はあった。


「ここらで休憩にしません?もうへとへとで」


 地面に大の字となっているリーフ。ごく短い時間の間に、空は太陽と月が出入りを繰り返し。今は再び、満天の星空となっていた。あの星の光は、おそらくは地底に染み込んだ天空からの星の光そのものなのだろう。地の底でありながらも、嘘偽りの無い本物。


「回復魔法だって、アリだもんね!」


 レティスが弓に、星霊力の矢をつがえる。揺籃の星窟で見せた活力の矢を放とうとするが、ふと思いつきで天に弓を向ける。今の私は、なんてったって女神様。


「見てくださぁい、流れ星ですよぉ!」

「ええ、とっても綺麗ですの」


 エルルがユッフィーと夜空を見上げる。その流れ星は、レティスが夜空に放った光の矢だった。その矢が幾重にも分裂し、流星雨となって見上げる者たちの心を癒す。同時に、身体の疲れさえもがスッと引いていった。


「あ、オーロラなの」


 モモが夜空の一点を指差すと、暖かな南国の空に光のカーテンが踊っている。それは、天空を滑りながら舞い踊るミキの姿だった。極光の天幕オーロラヴェールの揺らめく残像が、地の底で本物になったのだ。


「ところで、お腹すいたね」


 メルが小さく鳴っているお腹に手を当てながら、夜空を眺めていると。エルルが小さな金色のゴブレットを取り出して、それに刻まれたルーンを発動させた。


「はぁい、どおぞぉ♪」


 エルルがメルやユッフィーに、杯に入った光る飴玉のようなものをすすめている。


「なになに?食べれるの?」


 メルが、それこそ飴玉のように目を丸くしていると。


活力のルーンウルでつくった、栄養ドリンクみたいなのですよぉ。お一人様、一日一個までぇ。食べ過ぎ注意ですぅ」


 厳密には回復魔法の一種で、大いなる冬フィンブルヴィンテルの影響下では無用の長物になっていた術らしい。回復魔法がOKならと、エルルも事前に用意していたものだった。


「ぼくにもいいかな?」


 モモが興味本位でひとつ、飴玉を口に入れると。エルルの好きな、フルーティなエール酒の味と香りが口中に広がった。


「これ、ビール味なの」

「エルルちゃんらしいわね」


 モモから感想を聞いて、納得した様子でミカもひとつ口に入れる。栄養ドリンクとは言い得て妙で、ただの飴玉ではあり得ない凝縮された効き目が速やかに染み渡り、疲れを癒し小腹を満たす感触があった。今のエルルの力はかなり底上げされているから、効果も高まっているのだろう。


「お酒の味?ウイスキーボンボンみたいだね」

「いただきますの」


 メルとユッフィーも、光る飴玉を口にする。ドワーフは本来、酒飲みとして知られる種族。氷都市でも容姿と背丈で子供扱いされることが多かった二人には、大いに口福となった。

 ふと、エルルを見ると。ひとつ残った飴玉を口にせず、ユッフィーの方を物欲しそうに見ていた。


「エルル様?」

「あ〜ん、してくださいですぅ♪」


 ええ、と微笑んでユッフィーはリクエストに応じた。エルルもユッフィーに飴玉をお口に入れてもらって、幸せそうな笑みを浮かべた。


「さて、次の試練だが。これは特別に困難だぞ」


 休憩が済んだ後。レティスやミキの趣向が功を奏したか、世界樹の枝にひとつ果実を実らせたケルベルスが低い声で告げた。


「地底世界に命の息吹を吹き込み、真に生きた世界とするには。神の器たるアバターボディの真価を発揮させ、創世神の権能を行使せねばならぬのだからな」


 今の地底世界は、まだ「よくできた箱庭」なのだと聞いて。仏作って魂入れず、画竜点睛を欠く。ユッフィーの脳裏にそんな言葉が浮かんだ。


「見込みならあります。ただし、地球人がアバターボディでそれをやった場合、果たして精神が崩壊せずに済むかは未知数ですの」


 不吉な発言に、ユッフィー以外のメル、ミカ、モモ、そしてエルルが一斉にユッフィーを見た。これまで地球人は、いつも安全な場所からRPG感覚で冒険を楽しんできた。それが中の人であるイーノの狙いでもあった。


「今回は、命がけになるかもしれません。ですから無理にとは言いませんわ」


 話の内容はあまりよく聞こえていないが、その尋常でない様子は離れた場所にいるクワンダやマリスたちからも確認できた。


「あいつら…何をやろうとしてる?」

「ケルベルスの話からして、アバターボディのリミッターに関することじゃろうか」


 クワンダの疑問に、アリサが答える。


「わらわはの…冒険者にアバターボディの使用を解禁するかどうか揉めておった頃に、有識者として意見を求められたことがあってな」


 神の力に、人の精神は耐えられない。よって安全のために限度を設けて、アバターボディの暴走を防ぐのが第一。それがアリサの答えだった。


「…なるほどね」


 マリスはダイモニオンの秘技、魔人化状態を維持していた。それで強化される身体能力には、視力も聴力も含まれる。だから遠くのユッフィーの話も聞けるし、盗賊として訓練した読唇術で読むこともできる。


「ユッフィーはこの試練に命を賭けようとしてる、結構本気でね」


 それで、クロノやゾーラにオリヒメの顔色も変わった。実のところ、アリサもウサビトの耳を左右別々に動かして、聞き耳を立ててユッフィーの声を拾っていた。


「あやつ、無茶をやろうとしておるな。じゃが今回は、小隊ごとに独自の判断を許可しておるゆえ」

「強くも止められないか」


 知らないのはユッフィーだけ。その一挙手一投足は、クワンダたちにしっかり注目されていた。


「望みがあるなら、我も全力で手助けしよう。黄金の果実のパワーを用いてもいい」


 ユッフィーのアバターボディの中で、イーノが思案する。氷河期世代にADHDにひきこもり。その三重苦の中でも、バルハリアでの日々は大きな救いになっていた。冷たい世間に不要とされ捨てられたおっさん、異世界で英雄となる…そんな夢も見させてもらった。


 ここで臆していても、引き下がっても何も変わらない。数は少ないが、氷都市に来ている勇者候補生の後輩たちにだって示しがつかない。

 何より、勇気と無謀は違う。今選択を迫られているのは、リスクはあるが勝算もある。そんな人生の分岐点だ。このまま旅に出ないまま、停滞した日本で大いなる冬の牢獄に囚われて日常に留まるか…それは、もう嫌だった。


 イーノが腹を決める。そして仲間に呼びかけた。


「アバターボディで創世神の権能とやらを使うには、一人では厳しいと思いますの。よって、負荷分散にご協力頂けると助かりますわ」


 四体のアバターボディで各自の負荷を四分の一まで抑え、ケルベルスの黄金の果実のパワーも使って、神の力の暴走から精神を守る障壁を張れば。

 死にそうな思いはするだろうが「全員死なずに」済む見込みがある。ユッフィーはそう仲間に説明した。


「生身のわたしぃはぁ、見てるしかないんですねぇ?」


 心配そうなエルルに、ユッフィーが首を横に振る。思えば、地球人だけがアバターボディで安全な場所から、ゲーム感覚で冒険を楽しんでいた。でもエルルたちには、それが現実で。いつだって生身で、命を張ってきたのだ。


 今、この瞬間くらいは、地球人が痛みを引き受ける。


 この歪みを認識しない限り、地球人と氷都市の人々が真に分かり合うことは無い。ユッフィーは、そうも考えていた。ここで命を張ることは、世界の違いを越えて本当の仲間になるためのステップなのだと。


「いいえ。大切な家族のエルル様がそばにいてくれるだけで、支えになりますわ。これから、わたくしたちは『新世界という赤ちゃん』を産むのですから」

「世界を産む…そうですねぇ!」


 エルルの表情が、パッと明るくなった。


 創世神の権能の行使には、女性が赤子を出産するのにも等しい苦痛を伴うらしい。産みの苦しみだ。もし仮に男性がその苦痛を経験した場合、耐えきれずに死ぬとさえ言われている。


「こんな形で、子孫繁栄するとは思わなかったけど。私は嬉しいし、誇りに思うわ」


 以前、アバターボディで子供を産めるか試してみたいと爆弾発言をしていたミカ。彼女はユッフィーの提案に、真っ先に手を取って賛同した。


「マキナだけでなく、こっちでもお母さんになるとは思わなかったの」


 モモは、偽神戦争マキナの世界においては既婚者で、養子もいる。風変わりではあるが、とても暖かく安らぎのある家庭だ。

 新世界は、長きに渡って牢獄に囚われてきた星獣たちの母なる大地になる。子供たちの元気に駆け回る姿を想像して、モモもユッフィーの手を取った。


「あたしね、そもそも恋とか愛すら分からなくて。赤ちゃん産むなんて想像もつかないけど。母さんは通ってきた道なんだよね」


 みんな、家族なんだから。苦しみも喜びも分かち合おうと、メルはミカとモモの手を取って。四人の女神が輪になった。


「わたくしが合図を出します。果実のパワーの方、お願いしますわ」

「承知した」


 ケルベルスがその巨体で、小さき女神たちを見下ろす。クワンダたちやマリスたちが固唾を吞んで見守る中、ユッフィーはその一言を高らかに宣言した。


「オーロラブースト!ブレイクアップ!!」


 その言葉を聞いた途端。クワンダ、アリサ、ミキ三人の脳裏に「勇者の落日」での光景が蘇る。仲間の多くを一瞬にして失い、絶望的な状況の中。己の身命を賭して、退路を切り開いてくれた猛将レオニダス。そして超人的な演算力で切り札の転移紋章陣を高速起動させた、花の乙女べルフラウ。


 その二人が我が身を犠牲にして使った切り札を、ユッフィーは見様見真似で難なく発動させた。もとより、使うだけならさほど困難はないのだ。覚悟さえあれば。


 自身に蓄えた女神の加護を急速に解放することで、迷宮の呪いから身を守るための力を代償に、個人の限界を遥かに超えた爆発的なパワーを発揮する冒険者の奥義。

 しかもそれは、ただの強化ではなく使い手の本質を体現した唯一無二の個性的な効果を発揮させる。レオニダスは幻影兵の軍勢を具現化して率い、ベルフラウは世界樹の英知で一瞬を二十四時間に引き伸ばすほどの超絶的な集中力を発揮した。


「あいつら…!」

「あの技は危険ゆえ、あえて教えんかったというのに!!」 


 クワンダとアリサが、思わず顔を見合わせる。

 しまった。二人ともそういう表情だった。


 ユッフィーの中の人イーノは、しっかり見ていたのだ。あのクリスマスの夜、夢渡りで迷い込んだローゼンブルク遺跡で、勇者の落日の一部始終を。

 自分にもできそうな、最後の切り札。しかしただでさえ強力な力を有する神の器、アバターボディでそんなことをすれば、何が起こるか分からない。だからこそユッフィーは最後まで、切り札の使用をためらった。仲間を巻き込むことも。


「新たな勇者のために、巫女として祈りましょう」


 まるで舞台役者のように、ミキが冒険者たちに呼びかける。

 自分が暴れ回るのでなく、憧れの巫女らしく支える戦いができる。ミキはその巡り合わせに感謝して、四人に女神の加護オーロラヴェールを分け与えた。


「そおですねぇ!」


 エルルも力強くうなずいて、四人に祈りを捧げる。元からここには、遺跡内と違って踏み込んだ者を即座かつ永久に凍らせる呪いなど無い。たとえA V Pオーロラヴェールパワーが尽きても、無尽蔵にある星霊力の方で何とかなってしまいそうなくらいだ。だからこの環境では、リスクは思ったほどでもない。

 ここでもまた、大いなる冬に慣れ過ぎて固定観念になっていたことを部外者が打ち破ってくれた。ベテラン冒険者たちは一本取られた気分だろう。


「ちょっとみんな、力貸してよ」


 マリスも本職には及ばないまでも、巫女の修行を積んでいる。意図を察したゾーラやオリヒメが、マリスの近くで祈り始めた。


「これでも足しになるか?」


 クロノは女神アウロラとの関わりがそれほど深くないので、より得意な夢魔法でユッフィーたちに力を送った。


「…これが、産みの苦しみ!」


 オーロラブーストを発動させた時点で、ユッフィーのアバターボディに施されていた暴走抑止用のリミッターは焼き切れてしまった。もともと、勇者候補生の受け入れが決まったときにアバターボディの運用を変えるにあたって、現在の技術で追加した付け焼き刃だ。未解明部分も多い、古き神々の遺産を制御し切るには無理があった。


 全身が燃えるように熱い。この熱量は、人間火力発電所なんてもんじゃない。メルトダウン寸前の原子炉か、地上の太陽と呼ばれる核融合炉並みだ。

 それだけでなく、まるで女性が出産する時の陣痛を思わせる痛みさえもが腹の中で暴れている。ユッフィーにかかる負荷を一部肩代わりしているミカ、モモ、メルにも等しく同じ痛みが走っていた。


「これ、下手な重傷よりよっぽどキツっ…!」


 脳筋ガールを自認するだけあって、メルは少々のダメージも気にしないファイトスタイルだ。痛みには強いつもりだったが、外傷とは全く異質な内部からの痛みに悲鳴をあげたい気分だった。

 アバターボディを介して出る神の力の奔流が、脆弱な人間の精神など消し飛ばさんばかりに荒れ狂っている。それを危ういところで押しとどめているのは、仲間たちの祈りを束ね上げた女神の加護と、ケルベルスが解放した黄金の果実のパワーによる精神障壁。それでも熱と痛みは相当なものだ。


「みんな落ち着いて!ヒッヒッフーなの!!」

「モモちゃん、それ昭和丸出しですわ!」


 四人の中で一番、安産型なお尻のモモが言うと、何となく説得力があるが。実際はこの場でのラマーズ法の呼吸など、気休めになるかどうかも怪しい。それでも立ってるのも難しい激痛の中で、気をそらすくらいのユーモアにはなった。苦しい表情ながらも、おかしくて笑いが込み上げてしまうユッフィー。


「昔、筋肉ムキムキの有名アクション俳優が新薬の実験で妊娠・出産する役を演じるコメディ映画がありましたけど。わたくしたちは少なくとも、見た目は全員女の子ですの!」


 四人のうち二人は、確実におっさんだ。それをネタにした自虐とも言えるギャグにモモも苦笑いを浮かべる。


 苦痛のあまり、頭が変になったか。ともすればそう思われがちなユッフィーたちの言動だが。修羅場を何とか和ませようとする、おっさんたちの悪戦苦闘の賜物には違いない。

 アリサは異世界テレビフリズスキャルヴで地球を研究対象とすることも多いリーフから、その映画に関するあらましを聞いて思わず声をあげて笑ってしまった。


「確かに、子を産むはおなごのいくさよな!わっはっは」

「あいつら…呆れた豪傑ぶりだな」


 アバターボディの出力が上がっているせいか、危険防止のために離れた場所で見ているクワンダたちの声までが耳に入ってくる。ミカは、自信たっぷりにこう言い返してやるのだった。


「母は強しよ!」


 そのうちに、神の力を示す神々しい光の輝きが四人を覆い尽くした。視界がホワイトアウトするのと同時に、体内から何かが下の方へスッと抜けていく感覚がした。


 卵のような形の光球から、さらにまばゆい光条があふれ出る。それはたちまち周囲の景色を塗り替えてゆき。殺風景な岩だらけの崖はこけむす岸壁に、海底には珊瑚や海藻が生い茂り、白い砂浜には南国に相応しい種類の植物が生えそろって林となる。仕上げに、どこかで魚の飛び込む水音がした。


 激しい光が収まり、視界がひらけてくる。すると一番間近にいたエルルが、思わず驚きの声をあげた。


「まぁ、みなさぁん!」


 そこには、古代の彫刻のように白くゆったりとした衣をまとった…四柱の女神たちがいた。具体的な効果は不明だが、ユッフィーのオーロラブーストによる変身だろうか。まとう雰囲気も、清く澄んだものに変わっている。彼女らの表情は慈愛に満ち、特に全員に生えている翼が目を引いた。


 ミカの光翼は、6対12枚にまで増えて燃えるような輝きを放っている。もはや戦乙女というより、熾天使とでも呼ぶのが適切だろうか。

 モモにも腰のあたりから光翼族らしき翼が生え、天女らしさを増している。メルには内側から光る水晶の翼だ。

 そして、ユッフィーの背には大きな蝶の羽。それは相棒の妖精竜、ボルクスの羽がそのままユッフィーから生えたような姿だった。


「ボクちゃんも、わたくしの中で頑張ってくれていたのですね」


 肯定を示す思念が、ユッフィーの脳裏に響く。今のこの姿は、相棒と一心同体に合体したもののようだった。

 その姿に、どういうわけか説明不能なモヤモヤを感じながら。クロノは周囲を見回す。先程までの地底世界とは、根本的に違う…まるで母の胎内から生まれ出た赤子が力強く産声をあげるような。そんな生命の息吹が周囲に満ちているのを、他の冒険者たちも敏感に感じ取っていた。


「産まれたの!みんなおめでとう!!」


 モモが宙返りして喜ぶ。戦乙女ヴァルキリーが三人のパーティでは、バランスが悪かろうと。バルハリアでは偽神戦争マキナと設定を変えて標準的な人間ヒューマン族を選んだモモだったが。その装いはだんだん浮世離れしてきて、ついにまるっきり天女のようないでたちとなった。


「四人で産んだ、私たちの子ね」

「う〜ん、そう言われると何か恥ずかしくなってきた…!」


 ミカの言葉に、メルが顔を赤くする。


「貴重な経験でしたわね」


 ユッフィーが世界樹を見上げる。その枝には、二つの果実が実っていた。

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