第60話 ミカのトラウマ

 水着コンテスト当日、特設ステージ近辺の医療テントにて。白衣姿の女医が急病人の救護に当たっていた。運び込まれたのは、水着姿のままの女性。コンテストの出場者だった。花嫁衣装ウエディングドレスをモチーフにした純白のビキニと、白い長手袋にサイハイソックス、花嫁のヴェールといった清楚な装いが元々の整った美貌をさらに引き立てていた。

 しかし彼女の顔面は蒼白で、表情は恐怖に歪み、意識は無かった。平和なはずの氷都市で、いったい何が起きたのだろうか。


「アバターボディに異常は見られません。これは心因性の…夢落ちでしょう」

「夢落ちですの?」

「夢渡り中の方や、夢召喚されている対象者が命の危険を感じるほどの怖い思いをしたとき。精神体の防御反応として、元の身体に瞬時に逃げ戻る現象の事ですね」


 そう、あの漫画とかでおなじみのアレである。


「ごめんなさい、ミカちゃん。わたくしがもっと前もって手を打っていれば」

「彼女は私が看ていましょう。ユッフィーさんは、お戻りにならないのですか?」

「いえ、エイル様。ミカちゃんが起きたとき安心できるように、ここに残りますわ。すみませんが、係の方にわたくしの棄権をお伝え願います」


 急病人はミカだった。出番中にステージで突然倒れた彼女を、ユッフィーが抱えてここまで運んできたのだ。


「…いいのですか?」


 エイルと呼ばれた女性が、心配そうにユッフィーを見つめる。彼女の髪には極光オーロラを思わせるグラデーションがかかっており。名札には、アウロラアバター:エイルと記されていた。その気になれば異世界テレビフリズスキャルヴをスマホ代わりに、水着コン会場の係員に連絡を入れるなど容易いことだ。

 女神アウロラが多数運用するアバターボディのひとつ。それが彼女で、エイルは個体識別用の名前だった。北欧神話の医術の女神から取られている。


「もともと、彼女のためにと思って企画したイベントです。わたくしは順位に興味などありませんし、今はそばにいてあげたいんです」


 そもそも、どうしてこうなったのか。それは様々な偶然が重なった結果だった。


「地球人の仲間が、増えたんだって!?」


 水着コン前夜。白夜の馴鹿亭で、ミハイルが久しぶりに会ったユッフィーと話している。今日のレッスンを終えたミキも一緒だ。フィギュアスケートのコーチとして毎晩氷都市に夢召喚され、アウロラの巫女たちの中でも花形の「舞姫」を目指す者たちを指導しているミハイルは。今日も多忙ながら充実した一日を過ごしていた。


「それが…困ったことになりましたの」


 ユッフィーが眉を寄せる。新たに氷都市へ来た地球人の中に、ビッグがいる。それは、偶然サウナで会ったマリスから聞いていた。


「へぇ、あのM Pミリタリー・パレード社の社長さんが、そんな災難にあっていたなんてね」


 ミハイルも、MP社のP B Wプレイバイウェブ偽神戦争マキナのプレイヤーだ。ダグラス・サンダース、通称グラサン大佐というキャラで人型兵器のエースパイロットをしている。


「クロノさんやビッグさんたちが、どうかしたんですか?」


 ユッフィーの困惑する理由を知らないミキが、不思議そうに首をかしげる。ミキは先日、親友のレティスが世話になったビッグたちへのお礼も兼ねて観光案内を買って出ている。


「ビッグ様は…イーノ様の『宿敵』なのです」

「えっ!?」


 ミキが驚きの声をあげる。あのちょっとお調子者で、うっかりなところのある中年男性は。ユッフィーの中の人であるイーノにとっては、ミキ自身が遺跡で遭遇した道化のような、ただならぬ因縁のある存在だと言うのだから。

 ユッフィーは冷静さを保つためか、あくまでもイーノは別人という体裁で二人の因縁について語った。彼の行動力の源泉は、軽薄なビッグへの反発心やライバル意識、先の事を考えないビッグに代わって集めた情報と綿密なプランなのだと。


「そんな事があったんですね…」

「彼…イーノ様は、人の批判をしている無駄な時間があるなら。自分自身の作品や、自分の理想のサービスをつくりあげる努力に全てを傾けるべきだと、ビッグ様のことを頭から追い出していたのですが」


 そのおかげで、イライラを感じることも少なくなっている。運営への不満を小隊掲示板で愚痴って、他のプレイヤーから文句を言われる事もだいぶ減った。

 今、マキナに残っているのは。MP社の運営上の問題点に気付いていないか、知っていても気にならないか、あるいは最初から好き放題やってる考え無しの人たちだ。イーノからすれば、まるで独裁政権のような息苦しさがそこにあった。

 

 だからこそ、マキナで運営側の失態を誤魔化すためにBANされたミカをかばい、氷都市で居場所を作ってあげようとしていたのだ。彼女はまだ、ビッグから受けた理不尽な仕打ちから完全に立ち直っているとは言い切れない状況だった。


「まさか、ビッグ様が別の道化に襲われ地球に帰れなくなっていたなんて。本音を言うと、今すぐにでも地球に帰って頂きたいところです」

「といっても…烙印の影響を克服するには、長い時間を必要とするでしょう」


 かつて、旅芸人の一座に加わり異世界「はじまりの地」を旅していたミキは。道化に目をつけられ、災いの種カラミティシードを生み出すための負の感情を得るべく、仲間を皆殺しにされ胸元に×字の傷を刻まれた。ショックから一時記憶を失うまで追い詰められ、立ち直れたのは数年後。百万の勇者ミリオンズブレイブたちの仲間に囲まれ、落ちこぼれでありながらも周囲から目をかけてもらって少しずつ心の傷が癒えていった。

 ミキは自分の体験を振り返りながら、傷跡の残る胸元に手を当てていた。


「では、ビッグ様が難民として氷都市に受け入れられ。エルル様のように地元に溶け込んで、親しい友人に囲まれる日を待つ他無さそうですわね」


 その間、マキナの運営やMP社の舵取りはどうなるのだろう。今は残りの社員が協力して頑張っているようだが、いつ燃え尽きるとも分からない。

 イーノはMP社やマキナとの関わりをできるだけ減らして、プログラミングの勉強や小説の執筆に打ち込むことで。いつまでも悪びれないビッグへの怒りを忘れよう、捨て去ろうとしていた。けれども、これではそれにも差し障る。


「悩んでも仕方ありませんか。ミカちゃんとビッグ様が鉢合わせしないように、皆様にもご協力をお願いしますの」


 再び水着コン当日。イベントを見物に来ていたMP社の三人は、あまりの人混みに流されて、社長のビッグとはぐれてしまっていた。


「うちの社長、どこでしょうね」

「どっかで面倒起こしてないといいんだが」


 ポンタとジュウゾウの二人は、アロハシャツのような南国風の装いで来ていた。気温は日本の真夏並みで、あたりを見回せば冷たい飲み物やカットした果物を売る屋台が立ち並んでいる。とても、ドームの外がマイナス50度になることも珍しくない永遠の冬の世界とは思えなかった。

 二人は、ビッグの危なっかしさを良く知っている。オフ会でまだプレイヤーに伏せて置かねばならない情報をうっかり口にしてしまったり、別のオフ会では直前に車に足をひかれてしまって出席できなくなり、急遽テレビ会議システムを会場に持ち込んで対応したり。

 ましてや、今は難民申請中なのだ。トラブルを起こせば、受け入れの審査にも響きかねない。


「すげぇ人混みだな、ステージが見えねぇ」


 そのビッグは、会場の最前列近くでコンテストを見ようとしていた。すでに立ち見でぎゅうぎゅうだ。しかし背の高い種族の者が邪魔になって、ステージ上の様子が良く見えない。


(ちっ、こういうとき精神体になれりゃいいんだがな)


 クロノにあちこち追い回されるうちに、ビッグの夢魔法の腕前は驚くべきレベルに到達していた。精神体になって壁をすり抜けたり、ドローンのような視点で周囲の様子を探ったりもお手の物だ。

 しかし今は、貸し出されたアバターボディが枷になって抜け出せない。市から品行に問題無しと認められ、市民の資格を得なければ。その制限は解除されないのだ。


 そこでビッグは、ある思いつきを試してみることにした。そしてそれは幸か不幸か偶然にも上手くいってしまった。それが悲劇をもたらすことになろうとは。


「エントリーナンバー36番、タスク・ミカ!」


 司会者がミカの名を呼ぶ。舞台袖からミカがモデル歩きで颯爽と現れ、ファッションショーのような客席に張り出したランウェイを歩いていく。その立ち居振る舞いは洗練されていて、まるで本職と見間違うほどだ。背中に展開された光翼は、神々しささえ感じさせる。

 花道の端まで歩いたミカが、ヴェールを翻して軽やかにターンしようとしたそのときだった。ミカは、観客席に信じられないものを見た。


 どこかで見たような覚えのある男の首が、宙に浮いていた。それは幽霊のように半透明で気配が薄く、多くの観衆はそれに気付いていない。しかし、中の人が夢魔法に素養のある地球人であり。なおかつ並の冒険者を上回る基礎能力を持つアバターボディを使用しているミカには、鮮明に見えてしまった。

 ミカの表情が凍りつく。その顔が誰のものかを思い出したからだ。しかし男の素行の悪さから考えて、氷都市に夢召喚されるような人物ではない。女神アウロラが、あの男をこの美の祭典に招くはずがないのだ。


(…あ!)


 舞台袖から、ミカを見守っていたユッフィーも異変に気付いていた。現状考えられる、最悪の事態。なんとか止めなくては。しかしもう遅かった。

 男の首がにゅ〜っと伸びて、ミカに近づく。そして目が合った。


「あ、あなたは…!」

「なんだ?もしかして見えてるのか!?」


 次の瞬間、ミカの頭の中が沸騰した。操り人形の糸が切れたかのように、その場に崩れ落ちる。会場から悲鳴が上がった。


「やべっ、バレた!」


 男が急いで首を引っ込めようとする。ところがそれを見咎める者がいた。


「待たぬか!妖怪ろくろ首!!」


 会場の警備をしていたアリサだった。呪いや霊などに鋭敏な彼女に、多少の隠形おんぎょう術など子供だましだ。アリサがウサビトらしく、跳ねるように不審者を追う。思わぬ真夏の怪談となった。


「ミカちゃん!」


 騒然とする会場。ユッフィーがステージ上に飛び出し、ランウェイを走ってミカに駆け寄る。小柄ながらパワフルなドワーフ族の膂力りょりょくを活かし、気を失ったミカをお姫様抱っこすると舞台袖へ消えていった。


「ボス、こっちだ!」


 市内でアリサから逃げる不審者、ビッグが植え込みの影から伸びた腕に首根っこを掴まれる。そのまま子猫のように引っ張られて物陰に消えた。


「何をやってるんですか、社長」


 ポンタとジュウゾウも、背が足りないからといってアバターボディから首だけを幽体離脱させ、横着しようとしていたビッグを見つけていた。手の甲に封印の紋章を描かれていた彼に、本来そんなことは不可能だ。地球人向けのアバターボディは、使用者が初めから夢魔法の達人だった場合のセキュリティが少々甘かったが。それをぶっつけ本番で回避するなど、まさに即興の天才ビッグでもなければ無理だろう。


「あやつ、どこへ逃げおった」


 三人が息を潜める中、近くでアリサが油断なく周囲を見回す。しかし案外早くに諦めたのか、会場へと戻っていった。


(追っ手をまいたか?)


 ビッグがほっと安堵する。だが彼らは、氷都市のセキュリティの厳重さを知らなかった。この市内に、女神アウロラが異世界テレビフリズスキャルヴを使って見れない場所などほとんど無い。目に見えない監視カメラがそこら中にあるに等しいのだ。冗談でなく、女神様は何でもお見通しだ。みんなに慕われる女神様だからこそ、それが許される。アリサはそれを知っていた。

 案の定、三人は後で呼び出しを受け。アリサにきつく叱られるのだった。


 彼らが幸運だったのは、氷都市で非常に尊敬を集める蒼の民のひとり、レティスを以前に助けた実績があったこと。有能な者ほど、増長に陥り易い。それはかつての百万の勇者ミリオンズブレイブにも重なるものがあった。


「あれ…私?」

「ミカちゃん!」


 水着コンの投票も終わり、後夜祭の始まったイベント会場。医療テントでミカが目を覚ますと、ユッフィーが泣きながらぎゅっと抱きついてきた。


「ごめんなさいですの!」


 ビッグが氷都市に来ていたことは、事前にマリスから聞いていた。けれどミカを不安にさせたくないと思い、黙っていたのだ。もし会場でビッグを見かけたとしても、近づかなければ揉め事にはならない。そう思っていた。


「ミカちゃん、だいじょぶ?」

「ずっと付いてたなんて、ユッフィーちゃんは優しいの」


 メルとモモも、水着にパーカー姿でお見舞いに来てくれた。


「みんなありがとう。私はもう平気よ。それより、せっかく王女の企画してくれたお祭りだったのに…私の方こそ、ごめんなさい」

「ううん、いいんですの」

「素敵なお友達ね」


 ユッフィーとミカを見て、エイルが微笑む。そこに、ゾーラも顔出しに来て。


「ユフィっち!愛しのエルルんがやってくれたっすよ!!」

「そうそう、エルルちゃんがね」

「なんと…」


 メルとモモも、何か知っているらしい。ミカはユッフィーと手をつないで、表彰式の様子を見に行くことにした。

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