第5話 【古典】『王子の狐』(後編)
左近の話し方は滑らかで、才能も感じさせる。だが、客の年齢によって、その聞き方はまるで違っていた。
ちらりと横を見ると、元々落語が好きで来たような大学生くらいの青年はオチが読めているのかにやにやとした顔で聞いていたが、小学生たちはストーリーが頭の中で想像できないのか、退屈そうにしていた。
「そば屋に入ったオキヌは真っ先にきつねそばなどを注文し、差しつ差されつやっていると、権兵衛に酒を呑まされたオキヌはすっかり酔いつぶれ、すやすやと眠ってしまった。そこで権兵衛は
『しめた!』
と思い、
『勘定は女が払う』
と言い残すや、狐を置いてさっさと帰ってしまいました。しばらくして、店の者に起こされたオキヌは、男が帰ってしまったと聞いて驚いた。
びっくりしたあまり、耳がピンと立ち、尻尾がにゅっと生える始末。正体露見に今度は店の者が驚いて狐を追いかけ回し、狐はほうほうの体で逃げ出したのでした」
左門が扇子を開き、自慢したくてたまらないという笑みを浮かべながら、会場に語りかける。
『おう、聞いてくれや。こないだ、人間に化ける狐を見て、そいつを化かしてやったんだぜ』
「狐を騙した権兵衛は得意げに友人にその話をすると、
『ひどいことをしたもんだ。狐は執念深いぞ』
と脅かされます。最初は馬鹿馬鹿しいと思っていた権兵衛も、一晩、頭を冷やすと
『悪いことしなぁ』
と、王子まで詫びにやってきました。巣穴とおぼしきあたりで遊んでいた子狐に
『昨日は悪いことをした。謝っといてくれ』
と手土産を言付けると、その子狐、穴の中では痛い目にあった母狐がうんうん唸っている側まで来て、
『今、人間がきて、謝りながらこれを置いていった』
と母狐に手土産を渡しました。警戒しながら開けてみると、中身は美味そうなぼた餅ではないですか」
『母ちゃん、美味しそうだよ。食べてもいいかい?』
『いけないよ! 馬の糞かもしれない。人間は狐を化かすんだからね!』
「……おあとがよろしいようで」
わはははっ!
再び左近が深々とお辞儀をすると、客席から笑いがおこった。
「えっ? 今の笑いどころはどこ???」
現代の一発ネタで笑わそうとするコメディ時代を生きている梓には、話の内容は理解できたが、笑いのツボには届かなかった。
今のがフリで、ここから面白いことを言うのだと思っていたのだ。むしろ、よくいままで黙って聞いていたものだと、風音が感心していたくらいだった。
「アズには難しすぎたかの。狐が人を化かすのではなく、狐が人を化かすということを狐がさも当たり前のように言うのが面白いんじゃ」
昭雄は左近の話に満足したようだ。梓に笑いながらそっと教えてくれた。
「ふむー。それはわかるんだけど。なんだかなー」
納得のいかない梓。
前座が終わり、黒いカーテンがするするっとステージにおりてきた。一時休憩らしい。
「よーし。……ロビーに行ってくるね。風音、行くよ」
「えっ、ちょ、ちょっとっ」
「おーい。どこに行くんじゃー」
一郎と昭雄は寂しそうな声をあげたが、二人に行き先を告げれば十中八、九止められただろう。
風音の手を引っ張りながら、梓は聞こえないふりをして勢いよくロビーへと飛び出した。
「……左近に友達?珍しいな。見に来てくれたのかい?」
【関係者以外立ち入り禁止】の扉を潜り抜け、何食わぬ顔で『滝川師匠』と書かれたネームプレートが飾ってある部屋をたずねると、人のよさそうな、まだ三十代くらいのおじさんが本を読んでいた。
左近はいないかと訪ねると、彼は梓たちを学校の友人と勘違いしたのか、部屋に入るよう勧めてくれた。
「いえ、実は私たち、今日、ロビーで知り合っただけなんですけど……」
勧められるがまま、二人は座布団に座る。
「ほほぅ。そんなことが。売店で買い物を頼んだ時かな。ところで、今日はふたりで来たのかい?」
「いえ、二人ともおじい……いえ、祖父と」
なぜか、梓は緊張して言い直してしまった。
「そうか。それで、左近の噺は聞いたかい?」
話題が前座で噺をした左近に変わった途端、梓が立ち上がって叫んだ。
「そう!それなんですけど。今回って、私たちみたいな子供にも笑わせるための口演なんじゃないですか?」
「確かに、その通りだが……理解できなかったかな?左近の噺は私も裏で聞いていたが、落語の基本に忠実であったにも関わらず、噛み砕いた噺をしていたと思うが」
「生まれた時から落語の世界にいる左近くんならともかく、私たちには難しいと思いました。童話を聞いているようでした」
風音も後ろから梓の援護をする。
「なるほど……それは実に興味深い。どのようにしたらいいと思うかね?」
「いや、それは素人の私たちには『なんとなく』としか言えませんよ。昔の言葉を多く使ってるからわかりにくいとしかいいようがないですし。ただ、言葉では言えませんが、いい方法がありますよ?」
「いい方法?」
梓は風音と左近の父、誠十郎を見比べて、にやりと笑った。
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