第2話 落語小学生

 一歩間違えれば、受付のお姉さんに警察を呼ばれかねない程、風音にへばりついていた祖父・涼宮一郎を引き剥がし、ようやく落語会場へと辿り着いた四人。

「いやぁ、恥ずかしい所を見せてしまった。めんぼくない」

 ぽりぽりと頭をかきながら、一郎が会場を見渡す。予想以上に早くつきすぎてしまったせいか、三百人は入れる会場に設置されたステンレス製の簡易椅子に一番のりだった。


 腕時計をちらりと見ると、口演が始まるまで三十分は待ちそうだ。椅子によりかかりながら「私たち、疲れきってます」といった態度で、館内の 冷房で涼んで落ち着いている孫たちに目を向ける。

ただでさえ、炎天下の中で自分たちのために一時間も付き合って待っていたのだ。


 まだ退屈な時間がまだ一時間も続くとなれば、風音はともかく、じっとできない梓には苦痛だろう。

 子供のような癇癪は起こさないだろうが、最悪、風音を連れて帰ってしまうかもしれない。

「……そうじゃ」

 帰りに風音とあんみつを食べて帰るのを楽しみにしていた一郎は、ふと、名案が浮かんだ。

「まだ落語が始まるまで時間があるから、ちょっとそこいらを歩いてみんか?」

「えーっ。あとどれくらいで始まるの? ってか、落語って堅苦しいイメージあるんだけど。私たちは興味ないし、帰ってもいい?」

「なに言うとる。いい機会だから一度は見ていきなさい。落語ほど物語を表現することに進化した文化はないんじゃぞ。これも勉強じゃ」

「よくわからないんですけどー」

 梓がふてくされた顔をする。


「まぁまぁ、興味のないもんを無理やり勧められてもなかなか受け入れられんて。でも、今回は古臭いだけの落語じゃないんじゃなくて、むしろ、アズちゃんや風音たちの世代に認められるように今回の口演が開かれたんじゃ」

「私たちに?」

「そう。お前たちくらいの子供たちにもわかりやすいように話を作られているって言ってたから連れてきたんじゃ。ふたりも、将来どんな仕事につくかまだ決められんと思うが、若いうちから仕事については色々と知っておいた方がいいぞい。人生は長いようで短い」


 社会のレールを歩んできただけの一郎は、四十歳の時にリストラにあい、それからというもの右往左往しながらも、家族を養うために必死に生きてきた。そんな彼の言葉だから、それは少しばかり重く感じられた。

「まぁ、そんなわけだから。今から、楽屋に行って落語を語る人を見てこようじゃないか」

 彼はなんと、出演者を生でみてこようと言うのだ。

「おいおい。いれてくれるわけないだろう」

「大丈夫、大丈夫。スナップみたいなジャニさんとは違って、遠くから見るくらいは許してくれるじゃろうて」

 笑いながら、適当な口調で言う。

「……もう、しょうがないなー」

 一郎は性根が適当だからしょうがない。


 だが、この適当さは悪い所だけじゃない。

 近所で野球をしている少年たちがかっとばしたボールが庭に入っても、窓を割っても、へらへらで笑って許してくれるほどだ。「元気があってよろしい!」と言える人間はなかなかいない。

 適当に生きていけるというのは、心に余裕があるということ。風音はそんな祖父の笑顔が好きだった。

「いいよ。私はとりあえず行くけど、アズちゃんはどうする?ここで待ってる?」

「ジュース買ってくれるなら行く」

 ベロを出して体温調節していた梓が椅子の背もたれによりかかると、大きく伸びをして昭雄の方を向いておねだりをする。

「はいはい。買ってやるから」

「じゃあ、行く。でも、椅子確保してなくて平気? せっかく一番前とれたのに」

「荷物とか帽子とか、パンフレット置いておけば大丈夫じゃろ」

そう言って、膝に抱えていた小さい鞄を椅子に置いて(もちろん貴重品は持っていく)、出入口へと歩き出した。


 重い扉を開けて、ホールに設置されているエスカレーターをおりると、玄関ではお姉さんたちが今日の口演のパンフレットを来場者たちに配っていた。

 ちらりと目をやると、意外と梓や風音と同い年くらいの子供も多くて驚いた。

 退屈で眠るならともかく、会場で泣き叫ばれたらどう対処するのだろうか。

 風音は場が荒れる所を想像してしまい、ちょっとだけ嫌な予感がした。


「おーい。どうしたー?」

「ううん。なんでもない~」

 一郎に呼ばれて、風音はあわてて考えるの止めて、祖父の元へと駆け寄った。


【関係者以外立ち入り禁止】


 売店をすり抜けた通路の先、人気のない扉の前には張り紙でそう書いてあった。

「やっぱり、ここは入っちゃだめなんだよ」

「むむむっ。近くの公民館にお笑い芸人が来た時は打ち合わせしている所くらいは見れたんじゃがな」

「そりゃ、さすがにウチに来るような三流芸人とは違うじゃろう。厳重な 警戒は無いにしても、テレビで見るような落語家も来るようじゃし。一般人が勝手に入ってきて、サインしてくれなんて集まられちゃ収集つかなくなるじゃろ」

「むむーっ……しょうがないかのぉ」

「しょうがないね。戻ろうか」

 まだ、未練がましく扉を眺めている一郎の上着の裾を風音が掴み、引っ張るようにして来た道を戻ろうと振り返った瞬間。


「あ、すいません」

 通路を歩いてきた子供とぶつかりそうになる。

「いえ、こちらこそすいません」

 あわてて謝ると、ぶつかりそうになった梓と風音と同い年くらいの子供もお辞儀をする。

 両手に売店で買ったと思われる御菓子や飲み物が入った袋を両手に持っていた。もしかしたら、この子供は口演側の関係者なのだろうか。


 よく見れば、目の前の子供は、一般の家庭なら出歩くのにまず着ないような立派な羽織を着ていた。

 一瞬見ただけでは、女の子と見間違えそうな可愛らしい感じの少年だ。

 中学生では、アルバイトとも思えないし……。と、風音が少し首をかしげると、一郎も同じことを思ったらしい。その子供に声をかけた。

「もし、ここから先は関係者以外立ち入り禁止じゃぞ?通り抜けするなら 反対側から行ったほうがいい」

「あ、大丈夫です。僕も関係者ですから」

 そう言って、胸元に吊るしている証明書を見せる。

「ええっ? あんたが?」

「そうです。まだまだ若輩ですが、それなりの稽古は積んでますよ。一応、今日の前座に出させていただいてます。滝川左近といいます」


「滝川って……あの、四代目滝川伸介のお孫さんかい?」

 その名前を聞いて、一郎も昭雄も目を見開き、興奮したように子供の顔をまじまじと見つめる。

「ええ。そうです。祖父は来ませんが、父と来ました」

 二人の反応に、左近と名乗った子供は得意がるわけでも、自慢するわけでもない、純粋な笑顔を向ける。

「…………?」

 梓と風音はお互いに見合わせ、なにひとつ理解できない状況に、同時に首をひねる。

「伸介さんは知っているよ。四代目は『王子の狐』が実に秀逸だった」

「それでしたら、今日、僕は『王子の狐』をやるつもりなので、祖父と比べられてしまいますね」

「何の話してるの?」


 風音が一郎にこそっと囁いた。

「ああ、落語の演目の話さ。それぞれ、落語家には得意な演目があってね。どうやら、彼は落語の世界で有名な所のお孫さんらしい」

「それで関係者なんだね」

「そうさ。お前たちと同じ年頃でもう落語の世界に入っている。子供の頃からずっと親が仕込んできたんだろう。お前たちも見習うといい……え?」

 風音と一郎がひしょひしょ話をしている間に、梓がズカズカと左近に歩み寄り、「ふーん」と値踏みをするような、無遠慮な視線を投げかける。

 身長は梓の方が高いので、見下ろす形となり、喧嘩を売っているようにも見える。


「お、おい……」

「君、いくつ?」

「え、十二になりましたが……」

「じゃあ、まだ小学生なんじゃん。もー、大人ぶっちゃって~」

 昭雄があわてて梓を止めようとしたが、すでに遅かった。からかうような笑みを浮かべて、左近の頭を子供をあやすように、さすりさすりと撫でる。

「ちょっ! 止めてくださいっ」

「こら、やめないか」

 昭雄は梓の腕を掴んで止めると、苦笑を浮かべながら、左近に頭を下げる。

「孫が失礼なことを言って申し訳ない。なにも、喧嘩を売ろうとかそういうことじゃない思うので、どうか許してやってくれないかな?」

「……いいですよ。叩かれたわけでもありませんし。僕が子供なのも事実ですから。それでは、僕はこれで」

 明らかに気を悪くしたというのに、左近は笑顔のまま昭雄に頭を下げ、重い扉を両手に荷物を持ったまま器用に開けて去っていった。

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