第2話「安穏/Unknown」
新幹線がガタリと大きく揺れた拍子にはっと眠りから覚めた。
手首に付けた腕時計に視線を向けた。黒いGSHOCKは10時半を示している。登潟駅から出発したのが8時半だったので、ざっと2時間ほどこの新幹線に揺られていたことになるみたいだ。
窓際にはすっかりぬるくなって炭酸の抜けたコーラ。膝の上には駅前でお握りと一緒に買ったハードカバーの小説(クリスティの「アクロイド殺し」)が置いてある。お握りはまだ食べないままボストンバックの中にあり、寮に着いたら勿体ないから食べなきゃなとか思いつつ、ふと考える。
いつの間に寝ていたのだろうか。座席は思いのほか柔らかく、突然の睡魔に襲われるのも頷けるが、何か凄い不愉快な夢を見ていた気がする。まだ夏場は遠いはずだが、火照った体は結露がついたコップのように体中に汗をかいている。
出発地点である登潟市は田園と果樹園が目立つ、朽ちた樹木のような農村だったけど、車窓から見える景色はかなり都会的で、遠くには灰色の高層ビルが身を寄せるように建っているのが見えた。まるでドミノを並べたようだ。その中でも一際高い鉛筆みたいな形のランドマークタワーが眩しく太陽の光を反射している。
天気はえらくご機嫌なようで、太陽はとっくに高い位置に上っている。快晴の中の快晴である。
車窓に映る近くの建物が後方に向かって滑るように流れていく。
新幹線はトンネルの中を通過している。車窓は電源を落としたようにいきなり暗転して、頬杖を突いた間抜けな僕の顔を鏡のように映した。がたんがたんと車内の揺れが一層強まる。
トンネルを抜ける。窓が明転。ぱあっと都会の灰色の風景が僕の目に飛び込んできた。青空に向かって突き刺すようにビルが高々と建っている。
少しして、女の人の声の車内放送で「次は終点、誘並駅―」と流れた。もうすぐ目的地に到着するようだ。
僕は頬杖をやめて、窓際のペットボトルコーラを手に持った。蓋を開けてノドを潤す。
やはりというか。
甘ったるいだけであまり美味しくなかった。
政令指定都市である
高層ビルがわんさか立ち並ぶ一方、「神の棲まう町」として知られ、神社や仏閣などの祭祀施設が町中に数多く点在している。「市内の木の本数よりこの地にいる神様の方が数は多い」とか言われている程。
あとラーメンがめちゃくちゃ美味しいと有名。濃厚な豚骨。僕は脂っこいものが苦手なので少し敬遠するが。
さて、新幹線から降り改札口を出た僕だが、まず第一に思った事がある。
「人が多すぎる...。」
流石都会である。
当然すれ違う人は皆知らない顔。男だったり、女だったり。子供だったり、僕と同じくらいの若者だったり。髪の毛が赤かったり青かったり緑だったり色鉛筆のようだ。
ある程度の予想と覚悟はしていたのだけど、いざ目にすると口をあんぐりさせるほどに人が多い。
僕はテレビで見たアメリカ大陸を横断するイナゴの大群が脳裏に浮かんだ。
即刻回れ右して地元にとんぼ返りしたくなったが、あいにく登潟へ帰るお金なんか手持ちに無いし。
帰るべき拠所も肉親さえも今の僕には無かった。
人混みに怯えて立ちすくむわけにもいかず、というかかなり通行の邪魔になってそうなので、とりあえず僕は歩を進めることにした。
ポケットにはこの誘並市に住む親戚から送られてきたメモが折りたたんでいれてある。ここから更にバスを乗り継いだところに僕がこれから住む、飛想館という名前の学生寮がある。また移動かと少し憂鬱になった。バス乗り場は駅ビルの東側にあり、この樹海のような雑踏の合間を縫わなければならない。
何度となくすれ違う人と肩がぶつかり、すいませんと田舎者丸出しで東北の牛の人形みたいに頭をさげつつ駅の出口に向かう。エスカレーターに乗っている人がピアノの鍵盤みたいだ。なにやら香ばしい匂いに鼻腔をくすぐられて見れば、パン屋に人が長い行列を作っている。その最後尾に僕も並ぼうかと一瞬思ったが、大して腹は減ってないし、ここで無駄遣いをしているご身分じゃない。またここに来た時に並んでみよう。
透明のガラス張りのエレベーターの奥にやっとこさ出口を見つけてほっと安堵した時。
「ねえ、そこのお兄さん。」
という鈴の音のような声が聞こえた。
片田舎から独り、このコンクリートジャングルのメトロポリスに上京した僕に声をかける人なんて皆無だろうし、いるとしたら宗教勧誘かカツアゲ目的の不良ぐらいしか考えられない。いずれにしろそのどちらにも出来れば関わりになりたくはないので聞こえない振りをして先に進もうとしたが。
「ねえねえ、ちいと待ちぃや。そこのお兄さん。」
ちょいちょい、と二回袖を引かれた。僕は怪訝に思いながら振り返る。
後ろには白いワンピースを着た女の子が僕の袖を持っていた。黒色の髪を三つ編みにした、あどけない顔をした、僕と同じくらいの年齢の女の子。血色の無い、異常なほどの色白。
「無視せんでよお兄さん。悲しくなるやん?」
女の子は言った通り眉をひそめて悲しそうな顔をしてから、僕の袖から手を離した。
「僕に何か用?」
「これお兄さんのものやない?さっき落としたみたいやけど。」
女の子は何かを指先で摘まんで僕に渡す。僕はそれを受け取って手のひらの上に乗せる。
朱色のお守りだった。それは扁平なもので、白いひもがついている。
表には「合格祈願」や「家内安全」などの、お守りにありがちな文字は何も縫われていない。朱色一色のシンプルなデザインだ。裏を見てみると勾玉が三個向かい合わせに固まったような模様がある。
「いや、これ僕の物じゃないよ。」
「そうなん?やけど多分お兄さんのそのボストンバックから落ちたばい。」
女の子はそんな事を小さい高い声で言いながら、不思議そうな顔をした。
僕は女の子に「ほら」とお守りを返そうとしたが、首を振って受け取ってくれない。
「よかよ、お兄さんのやなくても貰っとき。みぞれのものでもなかし。」
「貰っとけって言われても……。」
「それじゃ、みぞれはもー行くばい。」
にこりとえくぼを浮かばせながら言って女の子は駅の奥に向かって行こうとする。
女の子は数歩歩いてから、手のひらに朱色のお札を乗せたまま立ち尽くしている僕に向かってくるりと振り返る。
「縁があったらまた会おうね、ハングドマンのお兄さん――」白い歯を覗かせながら。
「――冷笑の異形みたぁなもんに願わんようにせなよ。」
と言って。
今度こそふらふらと歩いて行って、女の子は幾人もの人で作られた雑踏の中に消えて行った。
僕は行き交う人の流れの中、身じろぎもせずその場で棒立ちになっている。このお守りは間違いなく僕の所有物では無かったし、いや、それより。
ハングドマンのお兄さん?
冷笑の異形?
何の話だ?
あの女の子は僕の事を知っているのか?
僕は頭を振ることでその混乱を脳裏からかき消した。今考えるべきなのはあの女の子の妄言よりもこの朱色のお守りの方だ。
かなり精巧に作られたお守り。効能の方は何も書かれてないが、何かしらの利益はありそうだった。
この誘並市は「神の棲む町」だ。もしかしたら、というかかなり頭の悪い考え方だが、もしかしたらこの土地に腰を据えている神様が僕にくれた歓迎のギフトなの知れない。
僕はこのお札をボストンバックに結び付けた。ねこばばするのは少しの良心の呵責もあったが、まあ深く考えないことにした。僕は足を進める。
誘並駅の外に出た。かなりのスペースを誇る駅前広場があって、スーツ姿のビジネスマンや制服姿の学生などが地を飛ぶバッタのように歩いている。噴水が勢いよく水を上げて、きらきらと光っている。
傍らのどでかいモニターにはニュースが放送されている。田舎の立てこもり事件がどうのとか、飛行機事故で家族を失った遺族が航空会社に慰謝料を求めるだとか、物騒極まりないことをアナウンサーがすらすらと早口で読み上げていた。
それを横目で見つつ、僕は広場を横断してバス乗り場へと向かった。
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