面影は儚くかがちの夢路へ
藤田浪漫
一章 Like a dream on a spring night
第1話「隔絶」
「人生というのはことごとく負け戦であるものです。」
少女は言った。
僕は顔を上げなかった。
「『生きることとは勝負を挑み続けることだ』などとのたまう愚かな偉人もいましたが、それは一割が正解、九割が愚論も暴論と言ったところでしょう。なぜならこの勝負には、一切の光明も無く、一抹の追い風も無く、一ミリの勝算さえ皆無なのですから。」
少女は言った。
僕は顔を上げなかった。
だだっ広くて薄暗い教室。学習椅子に座っている僕とこの偉そうに教卓に腰掛けた少女の他には誰も居ない。カーテンは一滴の光も許さないかのようにしっかりと閉められており、窓の外の様子を窺い知ることは出来なかった。
もっとも、今僕はギロチンの前の死刑囚のように首をもたげているのでカーテンが開いていたとしても屋外がどうなっているかなんてこの目で見ることは不可能なのだろうけど。
「負け戦と形容するのも本当は誤りなのかもしれません。そうですね、倒れる事の出来ない自転車を、消えないロウソクが燃え尽きるまでこぎ続ける罰とでも言いましょうか。この箱庭に生を受けた以上、何億ものオタマジャクシを蹴落とし生命という名の数量限定商品を強奪するという罪を犯した以上、この罰を享受しなければいけません。どこにも行けずどこにも進めないその車輪をぐるぐると回す義務があります。」
少女は言った。
僕は顔を上げなかった。
それはメビウスの環か、あるいはウロボロスの蛇か、それともプログラム上のデッドロックか。
「今人生のことを自転車と比喩しましたが、しかし近道なんかありません。そもそも道など無いのですから。脱線することは不可能です。そもそも進むべきレールなどなどないですから。止まることなんか許されません。そもそも進んでなど無いのですから。」
今は何時なのだろうか。真昼なの知れないし、夕方なのかも知れない。はたまた夜だったりするかも知れない。この視界から時計が見えないので、僕が現在の時刻を知る術は無かった。この教室に時計があるか不明であり、そもそもこの空間に時間という概念があるかどうかさえ疑わしい。
「そんな顔をしないでもらえませんか、悲しくなるでしょう、哀しくなるでしょう。そうですね、こういう言い方ならどうでしょうか。」
少女は続ける。
「人世には絶望も無理も退行も悲痛も戯言も崩壊も終着も無いのかもしれません。裏を返せば希望も道理も進化も治癒も真言も創造も始発も無い事と同義ですが。」
少女は言った。
僕は顔を上げなかった。
「負け続けることだけが人生です。最早あなたのような人間にはどうすることも出来ません。抗うことも、刃向かうことも、反旗を翻すことも不可能。黒星こそがあなたの生まれた母星です。それでもあなたは。」
――それでも僕は。
「それでもあなたはこの世界にまだ生き長らえますか?」
少女は言った。
僕は顔を上げなかった。
「そうですね。それでもあなたは生き長らえるでしょう。そしてこれからも、ずっとここからも負け続けることになるでしょう。へらへら笑ってこれで良いだなんて自分を自分で誤魔化し励まし欺き続けるでしょう。全く――」
愚かですね、と少女はあざけるように笑った。
「そんな愚かなあなたに一つだけ救いを、救済を与えましょう。惨敗ばかりの人生をドローばかりの人生に。引き分けを引き分けと思わない愚鈍な人生に。変える方法が一つだけあります。唯一の救いを、救済を。」
僕を救済すると言っても何から救うというのか。人生からか、負け戦からか、回り続ける車輪からか。僕にはこの少女の言葉の意味が分からなかった。
「それは今すぐ顔を上げることです。顔を上げて私の目をしっかり見据えてください。それだけで事は済みます。それだけで全てが始まり、全てが終わり、全てが変わり、全てがない交ぜになります。さあ、私の顔をしっかとご覧下さい。」
少女が言った。
僕は顔を上げなかった。
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