ギフト2018~面白い掌編詰め合わせセット
クライトカイ
僕の名は?
その日、目覚めると僕は、自分の名前が分からなくなっていた。
「母さん、あのさ、僕の名前って何だったっけ?」
「はあ? あんたまだ寝ぼけてるの?」
「いいから教えて」
「明! あんたの爺ちゃんがつけてくれた大事な名前を何だと……」
「あきら……」
そうだったろうか。正直全然ピンとこない。いやしかし、母親が言うのならそうなのだろう。
「あ、あと苗字は……」
「フザケてないでさっさとご飯食べて学校行きなさい! 今日から中間テストなんでしょう?」
「分かったよ……」
玄関を出る際に表札を見てみると、そこには『田中』と書かれていた。『田中あきら』か。やっぱりどうもしっくりと来ないな。
僕はとぼとぼと通学路を歩き始める。
正直、ここ最近は試験勉強を頑張り過ぎたせいで少し疲れている。この記憶障害も疲れのせいだろうか。
そんなことを考えていると、突然後ろから肩を叩かれた。
「おーっす! 蓮! ちゃんと勉強してきたか? 俺はもちろん全然やってない!」
「はは。茂は相変わらずだな。僕は今回は少し根を詰め過ぎたみたい、で……え?」
「確かにお前、ちょっと顔色悪いな。大丈夫か?」
「今呼んだのは僕の名前か!?」
「はあ? 何言ってんだお前」
「今、『れん』って!」
「ああ、呼んだけど……」
「僕は『あきら』じゃあ……」
「……お前、今日は休んだ方がいいんじゃね?」
どういうことだ。母親と友人がそれぞれ全く違う名前で僕を呼ぶ。そんなことが有り得るのか?
「そうだ生徒手帳!」
僕は慌てて自分の鞄から生徒手帳を引っ張りだした。これの表紙には確か僕が自分で書いた名前が記載されていた筈だ。
「ええと……!?」
そこには『伊集院真』と書かれていた。
いよいよ訳が分からない。頭がおかしくなりそうだ。
意識が朦朧としてきたが、何とか学校には辿り着いた。
クラスの皆は僕のこと『れん』あるいは『ほうじょう』と呼んだ。どうやらクラスメイトの間では僕の名前は『ほうじょうれん』と認識されているようだ。
「よーし。じゃあ、中間テストを始めるぞ」
担任教師が教室に入ってきて答案用紙を配り始めた。
そして早速問題が発生した。
名前欄にはどの名前を書けばいいんだろう。
やはり『伊集院真』だろうか。唯一漢字が判明しているし、何より生徒手帳に僕が自分で書いた名前だ。一番信憑性が高い。それに、もしかしたら全員グルで僕をからかっているのかも知れないからな。表札だって朝のうちに偽物と入れ替えたのかも……いやしかし、あの母親がそんなことするだろうか。そもそも、僕が名前を忘れるなんて異常事態を事前に予知出来るわけが……
こんなことをグルグルと考え続けていたせいで、テストには全く集中できなかった。
名前は結局『伊集院真』を採用した。
そして帰り道。
「蓮、お前、今日一日ずっと調子悪そうだったけど、マジで大丈夫か?」
茂が心配そうに話しかけてきた。茂は昔から何かと僕のことを気にかけてくれる。
……もしかしたら茂に相談することで、何か解決の糸口が見つかるかも知れない。
「ええと……いや実は、信じてもらえないかも知れないけど、僕、何故か自分の名前が思い出せなくなって……」
「マジで? ああ、だから登校の時……」
そう言ったきり、茂は深刻そうな表情で押し黙ってしまった。
信じてもらえたのだろうか。
やがて茂は、何かを決心したような様子で口を開いた。
「いいか蓮、よく聞けよ」
「う、うん」
「お前の本名は『田中明』だ」
「ええ? でもクラスのみんなは僕のことを……」
「『北条蓮』はお前が考えた『真名』だ」
「ま、な……?」
一体、何を言っているんだ。
「お前がクラスメイト全員に、そう呼ぶよう強要したんだ」
「僕がそんなこっ恥ずかしいことをする筈がない!」
「したんだよ。そうか、そのことも忘れているのか……いいか、お前は昔から自分の本名が気に食わなかった。『田中明』……俺はいい名前だと思うけど、とにかくお前はずっとその名を嫌っていた。地味だとか言ってな」
確かに『田中あきら』だけは違和感があった。
「あれは確か中一の頃だからちょうど一年くらい前か。お前は『伊集院真』こそが自分の本当の名前、『真名』だと主張し始めた。けどつい最近になって、お前は急にその名前で呼ぶことを禁じた。理由は聞いてないが、最近ブレイク中のお笑い芸人と同姓同名だからってことはみんな察していたよ。そしてその代わりに……」
「……『北条蓮』と名乗り始めた。生徒手帳は滅多に使わないから、『伊集院真』のままになっていたというわけ、か」
「思い出したのか?」
そうだ、全て思い出した。
昨晩、僕は試験勉強の息抜きにネットをしていて、そこで僕みたいなタイプの人間が『中二病』と呼ばれ、小馬鹿にされていることを知った。「実際、中二なんだから何が悪い!」と開き直ることは出来ず、とにかく恥ずかしくて堪らなくなった。僕は「今までのことをなかったことにして下さい。皆の記憶から消して下さい」と、何度も神に祈ったのだが、神の嫌がらせなのだろうか、よりにもよって僕の記憶だけが綺麗に消えてしまったらしい。
「茂……僕さ、僕って……馬鹿丸出しだな……」
僕は恥ずかしさのあまり、涙を流してしまっていた。
「まあ、なんだ。お前のそういうちょっとヘンテコなとこ、俺は嫌いじゃねーよ。それに誰だって、恥ずかしい言動の一つや二つは絶対してるって。お前だけじゃない。だから、あんまり自分を恥じることはないと思うぜ」
頭をポリポリと掻きながら、茂が慰めてくれた。
そうだ、茂は昔からこうだった。馬鹿なフリして誰よりも大人なんだ。僕とは真逆。だからこそ仲良くなった。
「……ありがとう。茂。」
茂は照れくさそうに「おう」とだけ呟いた。
今日は散々な一日だったけど、今まで以上に茂と仲良くなれた気がするし、まあこれはこれで良かったのかもな。
「ところで、さ」
茂が少し遠慮がちに話しかけてきた。
「なに?」
「俺は別にどっちでもいいんだけどさ……その一人称はお前的にまだアリなのか?……やっぱり『わたし』とかの方が可愛いっていうか……」
「……う、うるさい! これはいいの!」
僕は茂の尻を思いきり蹴っ飛ばした。
「いてえ!」
「バーカ! ……じゃあ、また明日!!」
「あ、ああ」
呆けた顔の茂を置き去りにして、僕は通学路を全速力で走った。
可愛い、か。名前も、いい名前だって。
「ぼ……わたし、の名前は、田中明……」
そっと呟いてみた。
「ふふ……明日は良い日になりそうだな」
しかし実際には、テストの酷い点数と、名前欄に書いた『真名』について担任からこってり搾られることになるとは、浮かれ気味な今の私には全く考えも及ばなかった。
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