ヒトミに恋してる

 仁美さんはとても美しい。

 特に目だ。彼女の目はとても澄んでいて、何もかもを見透かしているかのようだ。

 そしてそんな彼女が小さな鼻の上に乗せている、シンプルながらも可愛らしいデザインをした眼鏡。これが彼女の美をより一層際立たせている。とても同じ中学生とは思えない神々しさである。

 つまり、何が言いたいのかというと、そう、僕は彼女に恋をしていた。

 しかし彼女は所謂、高嶺の花。僕みたいな地味で冴えない男なんかとは釣り合う筈もない。

 一度、思い切って彼女の眼鏡を褒めてみたことがあるけど、完全に引かれてしまった。

 そんな僕ができることといえば、妄想くらいなものだ。

 もしも彼女と付き合えたら、何をしよう。デートして、手を繋いで、キスをして……

 駄目だ。こんなリアリティのない妄想はまるで面白くない。僕が僕という人間である限り、彼女と結ばれる瞬間など未来永劫訪れないのだ。

 それならいっその事、彼女の所有物になるというのはどうだろうか。例えば……

 そんなしょうもない妄想を続けているうちに、いつの間にか眠ってしまっていた。

 そして気が付くと、

 僕は仁美さんの眼鏡になっていた。


 朝、彼女が目覚めるとすぐに、その白く柔らかな指が、僕のツルに優しく触れる。

 生温かい息が、僕のレンズに吹きかかる。柔らかな布で全身を拭いてくれる。

 そしてこれら一連の所作が済んだ後、僕は彼女と文字通り一体化する。

 彼女は僕を通して世界を見る。彼女の視界は僕の視界だ。僕は彼女の目となった。

 初めのうちは、やはり僕も男だ。お風呂やトイレなどといった分かりやすいエロティズムに興奮を覚えていたけど、段々と、そういったことに特別な感慨を抱くことはなくなった。そんなことよりも、もっと素晴らしい体験が僕を待っていたからだ。

 彼女と長らく視界を共有しているうちに、「あ、今浮かれているな」とか、「面倒臭がっているな」とか、彼女の感情がダイレクトに伝わってくるようになってきた。すなわち、彼女が今、どういったことを考えているのかが分かるようになったということだ。

 このことは、僕に何にも代えがたい幸福感を与えてくれた。何故なら、恐らく性行為なんかよりも数段深く、彼女を知り、感じることが出来ているということに他ならないからだ。

 眼鏡の僕には、食欲も睡眠欲はもちろん、将来の夢や希望も何もない。残っているのは、彼女との同化に対する喜び。あとは、彼女が鏡を覗きこむ際にだけ見ることができる、その美しい目。ただそれだけだった。

 しかし、このような生活にも終わりがやってきた。

 僕が仁美さんの眼鏡になって三年が過ぎた頃だろうか。彼女がコンタクトレンズをつけ始めたのだ。

 おかげで僕の出番は、『彼女が寝る直前』と『朝起きて顔を洗うまで』のみとなってしまった。

 あのコンタクトレンズにも僕のような、彼女に恋をした男の精神が乗り移っていたりするのだろうか。そう考えただけで気が狂いそうになる。寝取られならぬ、目取られだ。

 仁美さんに彼氏ができて、事に及んだ時でさえ、こんな気持ちにはならなかった。だって、彼女は僕で僕は彼女だったから。彼女が幸せなら僕も幸せ。

 そう思っていたのに。

 僕はもはや、彼女の目ではなかった。


 そして、ある日を境に、仁美さんは僕のことを全くかけなくなった。

 理由は分からない。

 僕はどこかに仕舞われたまま、暗闇の中で、無限にも等しい時を過ごした。

 どうしたら死ねるのだろうか。粉々に破壊されれば流石に死ぬだろうか。でも、どうやって? 自殺しようにも、僕には自ら動くことができない。

 そんなことを何万回か考えた後、僕は思考を停止した。



 ねえ、ママ!

 なあに?

 この眼鏡ってママの?

 あら、懐かしい。どこにあったのそれ?

 押入れのガラクタ箱だよ。

 そう……この眼鏡、気に入ってたのよねぇ。初恋の人が可愛いですねって褒めてくれてね。あ、パパには内緒よ。

 へぇ~、やるねぇ、ママも。でも確かに可愛いもんね、このデザイン……あれ? そういえば、ママって目、悪かったの?

 そうよ、今のあなたみたいにね……大学を卒業した頃だったかしら、レーシック手術を受けたのは。

 ねえ、これ、わたしがもらってもいい?

 え、でも度数は……。

 ピッタリだよ! 凄く良く見えるもん!

 あら、そうなの? 買う手間が省けたわね。

 ねえねえ、似合ってる!?

 そうね。昔の私、そっくり。ほら、鏡。見てみなさい。

 ……何だかわたしじゃないみたい。

 気に入った?

 うん! よろしくね、メガネさん。

 ……ああ、よろしく。

 あれ?

 どうしたの?

 何だかこのレンズ、濡れてるような……

 

 彼女の目は、とても美しく、そしてとても懐かしかった。

 どうやら僕は、再び新たな人生を手に入れることができたみたいだ。

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