第35話 赤と風紀委員

 学園前の交差点、横断歩道前信号で待っていると(まだレツさんに僕の制服は持たせたまま、正門前といっても油断できない)、反対側の青信号から義朝くんが駆け寄ってきた。


家路いえじくんに暮内くれうち先輩、おはようございます! 良かった! 二人を待ってたんです」


「ん、あんたは昨日の屋上の子じゃないか、なんだい?」


「おはよう、義朝くん、どうかした?」


「あ、はい、実は風紀委員長が……」


 信号が変わったので、一緒に歩き出す。


 何だか、正門がにぎやかしい。昨日の抜き打ち検査の暗い雰囲気とは異なり、学生達が皆雑然としている。


「や、やべえ!! 持ち物検査かよ!!」


 と、妙な空気を察したレツさんは身を翻そうとする。


 けれでも義朝くんが彼女の腕をしっかと掴んでいた。若干、引きずられながら。すげえな、義朝くん。大したもんだよ。


「ち、違うんです! 暮内くれうち先輩、うちの風紀委員長と悪級劣ワルキューレのリーダーがあなたに話があるって言ってまして!」


「あたしにかい?」


「はい」


「いい顔してるねえ、あんた。そんな真っすぐな目をされると逃げる訳にはいかねえな。おら、行くぞ、牛乳」


 レツさんはパンパンとロングスカートを叩くと、僕と義朝くんを引き連れて颯爽と踏み出していく。


 だから、そっちは逆だっての。どうして元来た方に戻るか。


 そのせいで、もう一回、信号を待つ羽目になった。


 微妙な空気に義朝くんも苦笑い。レツさんも気まずいらしく、顔を真っ赤にして空を見上げている。


 信号が再び変わって「カッコー、カッコー」と鳴っているので、「そういうときもありますよ、レツさん」と耳打ちしたら、今度は「ま、まあよ」と俯いていた。


「遅いぞ、義朝!」


「すみません!」


 いや、義朝くんのせいじゃないぞ。と言えなかった。それどころのオーラじゃない。正門を中心には、剣道の稽古着、竹刀を肩に担いだ風紀委員長、と折り目正しく制服を着こなす風紀委員一同が気をつけの姿勢で整列していた。


 風紀委員長。生徒会長がこの学園における表向きの代表なら、彼女は裏側の牛耳るボスである。あの悪級劣ワルキューレですら、手出しできない存在。それは彼女の肩書きだけじゃなく、特別進学科三年生にも関わらず、スポーツ専攻科の連中と一緒に剣道で全国制覇をした実績にもある。家筋もとっても由緒正しい人らしい。


 正直言えば、僕ら平凡な生徒からすれば、生徒指導部の先生よりも煙たい人である。


 そんなお方が自らの城ともいえる風紀委員を集めて、レツさん(僕もか)を待っていた。うわあ、おっかねえ。どうしよう、校長、じゃない。保健のお姉さん、呼ぶ?


「総員、三歩後退!」


「「「「「イエス、マム!」」」」」


 ざっざっざって下がったよ。こんな息がぴったしの集団って見たことないんすけど。どこリカ合衆国のどこ海軍のどこ兵隊だよ。いつのまにか義朝くんまで混ざってるし。


 剣先を地面に、両手を柄頭に置いて、風紀委員長は言った。


「おはようございます!」


「「「「「おはようございます!」」」」」


 なんつー迫力だ。僕はたまらずしり込みするも、


「おう、おはよーさん!!」


 レツさんはもっと大きな声で、大袈裟に言うと校舎のガラスがビリビリと振動するほど、堂々とこだま返しをしてみせる。


 無言で睨みあう二人。ガンを飛ばしあっているんじゃない。けれども、バチバチと火花が走っている。


 風紀委員たちを見やれば、黙ったまま両手を前で組んで、二人を見つめている。


 どこか侍の野試合を想像させる。一人は幕府お抱えの剣客、もう一人は野武士然とした剣豪と言ったところか。


 無益な緊張が走っていた。この二人のせいで、僕だけじゃない、他の生徒も皆、正門で足を止めていた。まるで美しい山鳥の眺めるがごとく、吸い込まれていた。


 あれ、厭きているの、僕だけ?


「……牛乳、つまんなかったら、先、行ってていいぞ」


 レツさんが僕にだけ聞こえるように呟いた。


「私は彼にも用がある。……ふっ、暮内くれうち、お互いのメンツなら充分保っただろう」


 風紀委員長も肩の力を抜くと、僕らに囁いた。


「二人のことは校長から聞いている。もっとも暮内くれうち、お前とは昨日、顔を合わせたな」


「そうさね、牛乳ともども世話になった」


「ああ、その節はどうもお世話になりました」


「気にするな、家路いえじ。逆に言えば、私はお前が屋上から落とされるまで手出しができなかったのだ。こちらこそ、礼を言いたい。お前のおかげで、この学園の恥部を一掃できる」


「っていうと、なんだい? あの連中を泳がせてたってこと?」


「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。だが、結果はそうなった。……二人ともついてこい。……総員、待機!!」


「「「「「イエス、マム!」」」」」


 風紀委員長が踵を返し、生徒玄関とは逆の職員玄関へと向かう。


 そこには、車いすに乗った見覚えのある白髪の男、それと何かしら怪我を包帯で覆った連中、そしてそれ以外の男女がいた。悪級劣ワルキューレだ。その数三十を越える。


 望月はレツさんの姿を見た途端、車いすから立ち上がろうとして、地面へと上半身を痛打する。彼の身体を両脇から、その仲間が支える。


暮内くれうちの姐さん、ほ、ほんとうに、俺たちは本当に申し訳ないことをした。本当にすみませんでした。もう俺の親父もお袋も、俺だけじゃない、こいつらだって、そうだ。誰一人として、最初から俺たちに味方してくれるのはいなかったんだ。本当の意味で、姐さんのおかげで、目を覚ましてもらった。あなたのとんでもない力を目の当たりにして、俺らのちっぽけさに気付かせてもらった。本当に、本当にありがとうございます!」


「ふん、あたしは別にいいさ。けど、詫びるんならお門違いじゃないか。頭下げんなら、ここの牛乳に下げな。それと親御さんも含めて、今まで迷惑かけた方々にな」


「すんませんでした、牛乳さん!!」


「「「「牛乳さん、すんません!」」」」


 いやいやいやいや、僕はいいんすよ。怪我一つなかったから、いやいやいや、頭、上げてください。皆さん、年上なんですから。


「……牛乳さん」


 あれ、望月さん? どうして、そんな感極まったお目目をしているの?


「まあ、いいや。で、あんたら、このためだけに風紀委員長さんに面倒をかけたのかい?」


「い、い、いえ、そんなことは」


 ここで、風紀委員長がレツさんにこっそりと呟いた。


「そう苛めるな。それに、私は校長の言う二人の戦隊ヒーローを見ておきたかった。今後、私達は持ちつ持たれつ、時には味方、時には敵となるだろう」


「!?」


「そう気色ばむるな。……望月! お前らから暮内くれうちに話があるんだろう! そのために私を立会人にしたのだろう!」


「は、はい、風紀委員長。ありがとうございます。……暮内くれうちの姐さん、どうか俺等、悪級劣ワルキューレを、違う! 悪級劣ワルキューレは解散しました! だから元悪級劣ワルキューレの俺達を舎弟にしてください!!」


「はあぁ!! 悪いけど、あたしは舎弟とかパシリとかそういうの嫌いなんだ!!」


「はは、手厳しいな、暮内くれうち。だが、度量もまたリーダーには必要だぞ」


「!?」


「「「「お願いします!」」」」


「……っったくよぉ、どいつもこいつもアメリカ人もしようがねえな!! わかったよ!! でも舎弟とかはやっぱり、あたしの柄じゃない!! だったら牛乳の舎弟になんな!!」


「なんですと!!」


 寝耳に土石流。まさかここで僕に振るか!? 無茶振りどころか、滅茶振りだ!


「「「「ありがとうございます!」」」」


「ほほう、言うじゃないか。さすが類い稀なる素質ギフトだ。その決断は私の想像を超えている」


「いやいやいやいやいや」


「牛乳さん、よろしくです!」


 うん、望月さん、その眼差し、僕に変な期待を持たないで。


「ちょ、ちょ、ちょいと、レツさん、あ、あのですね!」


「なんだ、牛乳、文句あんのか?」


「あるあるあるある、それもとびっきりのヤツ」


「わーったよ、しょうがねえな!! お前らにあたしが最高にクールな名前を付けてやる!! あたしがあんたらのゴッド・マザーってヤツさ!! ……怒隷狗ドレイク!! どうだ、気に入ったか!!」


「……怒隷狗ドレイク


「「「「怒隷狗ドレイク……?」」」」


 おいおいおいおい、断れ断れ断れ断るんだ。


「っパねえです! サイコーっす! 怒隷狗ドレイク、ありがとうございます!」


「「「「怒隷狗ドレイク!! 怒隷狗ドレイク!! 怒隷狗ドレイク!!」」」」


 あんた、特別進学科のスーパー理系なんだろ!? すっげえ頭良いんだろ!? 何だ、そのセンスは、中学生以下か!?


「ってことで、二人とも二年の自由科は任せたぞ。後は、よろしくな」


 ああああああああ、行かないで、風紀委員長! あなたがこの学校の要なんでしょ。僕一人を人柱にしないでぇえ! これ知ってるよ! 生け贄って言うんでしょ! 行かないでえぇええええ!!


「まあ、考えたら負けだぜ、牛乳!!」


 てめえ、巨乳、そこで歯をきらりと輝かせるな。


「学園を居心地よくすんのも、悪くすんのも、お前次第ってな」


 はぁああああああぁあぁああああああああ。


 と、長長長長長長長長長長長ロング・ロング・超ロング嘆息。


 しょうがねえなあ、おい。しょうがねえぜ、俺の人生。黄色だってのにさ。


「望月さん、あ、あの、よろしくお願いします」


「こ、こちらこそ、よろしくです!」


「敬語はいっすよ。やっぱり望月さんは先輩だし」


「で、でも」


「学年は大事にしましょ。僕らの上下はそれだけです。科なんてどうでもいいじゃないですか」


「……牛乳さん!!」


「で、彼女さんは見えないすけど、大丈夫だったんすか? レツさんのパンチ、もろに受けてましたけど」


「る、ルナっすか? すんません、あいつ、どうしてもお二人に頭下げたくねえって駄々こねまして、後で連れてきます」


「いいっすよ。まあ、みんな、自由に楽しくやりましょ。せっかくの高校生ですし、みんなに迷惑かけない程度に」


「は、はい! わかりました!」


「それで、この人と僕のことは……」


「あたしはレツ、こいつは牛乳だ。さんも君もいらねえ。付けたきゃ好きにしな」


 うわぁ、僕のあだ名、二年生規模で牛乳に定着しそうだ。すでに四分の一が定着したし。


「それとあんたらに、あたしから頼みがあるんだけど」


「はい、レツさんの頼みなら喜んで!!」

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