15夜 まるで見知らぬ誰かを見ているような

「なにをしていたんだ、雪斗」

 重ねて問うた。その問いに、雪斗は答えない。

 僅かに首を傾げると、

「そう言う秋羽は? 出動じゃないよね。丸腰じゃないか」

 柔和な微笑と柔らかい声音で、そう聞いてくる。

 ここが猟奇事件の連続している街ではなく、足下に死体がなければ、それは本当に、三年ぶりの友人との再会を喜んでいるような態度だけれど。

 この場では、それが逆に異様だった。

「答えろ、雪斗。なにを──」

「無駄です、秋羽」

 背後から、藍が割って入る。

「答える気なんてありませんよ、彼は」

 剣呑さを隠そうともしない藍に視線をやり、雪斗はまた首を傾げた。

「そっちの彼は、秋羽の新しいバディかな?」

 呟くように言って、いっそう笑みを深くした。心底、嬉しそうに。

「なんだ、秋羽。ボクがいなくても、ちゃんとやっているんだね」

 その笑みに、その口調に、なぜだかぞっとした。


 それは、秋羽が雪斗の失踪後も彼の日常を過ごしていることに安堵しているようでいて、雪斗の失踪で彼の日常が揺るがなかったことを責めているようにも聞こえた。

 なにをどう弁解すればいいのか、そもそもそれは弁解を必要とすることなのか、分からないままになにかしら弁明しなければという焦燥に駆られる。口を開きかけ、しかし言うべき言葉が見つからない。

「雪斗。やはり貴方が、一連の事件の犯人ですか?」

 言うべき言葉を見つけられない秋羽の脇から、藍が切り込む。声音はもちろん、その全身に、警戒と敵意をまとって。

「だったら、どうだと言うのかな?」

 対して雪斗は、否定も肯定もせず、ただ問い返した。心底、不思議そうに。

 そんな雪斗の態度に、藍は眉を顰めた。不快げに。


「殺人は犯罪だと、分かっていますか?」

 享楽殺人者、あるいは性格異常者にでも相対するような藍の態度に苦笑しつつ、雪斗は答える。

「もちろん、分かっているさ。けれど、人殺しを捕まえるのは、キミたちの仕事ではないだろう?《機関》は単純な殺人にも人間の殺人者にも、関与しないはずだ。たとえ目の前で、ひとが殺される様を目撃したとしても」

 雪斗の言いようはやや極端だが、確かにその通りだ。《機関》はあくまでも対ヴァンパイア組織であり、人間の犯罪には原則、関与しない(さすがに目の前で犯罪を目撃すれば、一市民として相応の対応はするが)。

「そうですね。貴方を捕えて警察に突き出そうなどとは、僕は思いません。──ただ、貴方は脱走者だ。《機関》にとって貴方は、現在の行状など関係なく、捕獲対象者です」

「そうだね。《機関》にとってボクは、人殺し以上の罪人だ」

 なにがおかしいのかくつくつと肩を震わせて笑う雪斗を、秋羽は呆然と見つめた。

 彼の目の前にいるのは、間違いなく雪斗だ。三年前までバディを組んでいた、親友。そのはずだが、まるで見知らぬ誰かを見ているような気分だった。雪斗の言動、表情が、まるで理解できない。


「それで、キミたちはボクをどうしようと言うのかな?」

 藍の発している敵意に気づいていないはずはないだろうに、雪斗は笑顔を崩さない。まるで、それ以外の表情を忘れてしまったかのように。

「貴方に関しては、執行部から捕獲命令が下りています。『抵抗するなら殺害もやむなし』との注釈つきで」

「軍法会議にかけても殺刑になるのが決まっているようなものなら、さっさと殺してしまえってことかな? あるいは、現場への見せしめか。執行部が考えそうなことだ」

 笑みを含みながら、妙に醒めた声音で、雪斗が呟く。対して藍は、その目元に孕んだ険をいっそう濃いものにした。

「殺刑となるとは限りません。──僕としても、秋羽の前で貴方を殺したくはありませんし、おとなしく《機関》へ同行いただけませんか。執行部に対して、弁明の機会くらいは嘆願しますよ」

「ごめんだね。そもそも、ここで説得や脅迫に応じて《機関》に戻るくらいなら、脱走などしなかったさ」

「そうでしょうね。──ではせめて、秋羽に対してくらいは、弁明してみますか?」

「弁明、ね。なにを弁明すればいいのかな?」

 笑みを含んだ声音であっさりと発された言葉に、秋羽は息を詰めた。一瞬、呼吸が止まるほどの痛みが、胸を突き抜けた。

「《機関》を離反したことを? 決断を秋羽に伝えなかったことを? それとも、今、ひとを殺していることを?」

「どれでも。あるいは、すべてでも」

 険と皮肉を多分に込めた藍の返答に、雪斗は穏やかな笑みのまま、冷たく答えた。

「弁明することなんてないよ。なにもね。ボクはボクの意思で《機関》を離反し、それからの三年間を過ごしてきた。その理由を語るつもりはないし、理解してほしいとも思っていない」


「《機関》からの脱走、及び連続殺害事件への関与を認めたうえで、それらについての弁明はない、ということですか?」

 冷ややかに言い放つ藍に、雪斗は苦笑しつつ肩を竦めた。

「例えばどんな弁明をすれば、キミたちはボクの行動に理解を示してくれるのかな?」

 やったことに関しては是非もない。しかし、行動には理由があるはずで、どんな動機が語られれば、雪斗の行いを容認できるのか。

 その問いに、

「どんな理由であろうと、理解はしないでしょうね」

 温度のない声音で、藍は答えた。その口調のまま、続ける。

「でも、秋羽なら、理由によっては、貴方を弁護するでしょう」

 藍の返答に、雪斗はその顔から笑みを消した。冷ややかな視線を藍と秋羽に向け、冷たい殺気が放たれる。

 藍が身構える。秋羽の体も、意思や感情とは無関係に、反応する。


 胸を突き刺した痛みを無理矢理ねじ伏せて、僅かに冷静さを取り戻した思考の片隅で、秋羽は無茶だと独白した。

 藍も秋羽も、戦闘のプロだ。それも、化物相手の。ヴァンパイアを相手取ることに比べれば、〝ただの人間〟など取るに足らない。徒手空拳であっても、相手が武器を持っていても、拘束することくらい容易い。

 しかしそれは、相手が素人の場合だ。

 雪斗は三年前まで、秋羽たちと同じハンターだった。《機関》を脱して三年、日々の訓練を怠っているなら、その技術は衰えているだろうが──少なくとも、さしたる抵抗も許さずに人間を殺せる程度の技量は、今も有している。

 まして、雪斗は武器を持っている。短刀一振りとはいえ、武器は武器。対する自分たちは、丸腰だ。二対一とは言え、武器を持ち戦闘に長けた相手を徒手空拳で拘束するのは簡単なことではない。


「警察にも《機関》にも、捕まるつもりはないよ。──きっと、もうすぐなんだ。邪魔はさせない」

 笑みを含みながらもぞっとするほどの冷たさで、雪斗が囁いた。言い終えると同時、その体がゆらりと動いた。うっすらとした星明かりだけが光源の、影も落ちない闇の底で、陽炎に包まれるように雪斗の体が揺れたように見えた。

 瞬きの隙に、気づけばその体は、秋羽の脇をすり抜けて、藍の目の前に迫っていた。

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