よるのうた
葵
1夜 深夜、剣を手に走る
深夜、首都の路地裏を、剣を手に走る。
満月が傾く時刻でも、首都の繁華街から人気が絶えることはない。遠く喧騒が届く路地を、闇より濃い影を追って疾駆する。
微かだった喧騒が次第にはっきりと聞こえるようになっていることに、秋羽は意識の隅で舌打ちした。できるなら表通りに出る前に仕留めたいが、相手の運動能力は人間のそれを遥かに凌ぐ。単純な速度比べでは到底敵わない。が、敵わないなりに追い縋れているのは、直線の続かない入り組んだ路地の地形ゆえであり、相手が律儀に地面を走ってくれているからだ。
奴らの身体能力──脚力と跳躍力をもってすれば、路地の底から抜け出しビルの森を立体的に移動することも難しくないだろうに、奴らは人間のように地面を走る。
己の力を活用できるほどの知能を、有していないのだ。奴らが優れているのは、ただ身体能力と、それを下敷きとした戦闘力のみ。思考力はひとよりも遥かに劣る。そもそも、まともな知能を有しているとも思われない。
獣を追うのと同じだ。──いや、違うか。獣ならば己の能力を知っている。本能的に。奴らにはそれがない。本能しか残されていないと思われるのに、その本能は己の形を捉えていない。
だからこそ、人間側にも対処のしようがあるのだが。
単純な力比べでは勝てないとしても、相手がまともな知能を持たず己の能力を把握せず、その力を存分に発揮できないのなら、やりようはある。
勿論、
相手の性質を学び、訓練を受け、技量を身につけた者が複数人で対応すれば。
容易くはなくとも、可能ではある。
そして自分は、そのための訓練を受けた
奴らは目についた人間を見境なく襲う。襲って喰らう。文字通り、肉を食み血を啜る。
そんなおぞましい化物を、こんな時間でも人通りの絶えない表通りに出すわけにはいかない。そんなことになったら、どれほどの被害が出るか──
想像に気ばかり焦るが、焦ったところで走る速度は上がらない。そもそも、ヴァンパイアを相手に追い縋って追いつけるものではないのだ。だからこそ、狩りは複数での挟撃を基本に行われる。せめて、表通りに出る前に要撃を──祈りも空しく、行く手に続いていたビルの壁面が途切れた。
その時になって、遠かったはずの喧騒がすぐ近くに迫っていたことに気づく。
思わず舌打ちした、その音が、思いの外、大きく響いた。
喧騒が、僅かの間、途切れた。一瞬より僅かに長い時間、水を打ったような静寂が周囲を包む。
その静寂を破ったのは、悲鳴。
同時に、血飛沫が飛んだ。
悲鳴と、流血と、
ヴァンパイアが、手近にいたひとりを引き裂いた。素手で、力任せに、文字通りに引き裂いた。断末魔の悲鳴と、あたりに飛び散る血。周囲にいた人々が一斉に、悲鳴を上げその場から逃げようと走る。
交錯しぶつかり合い、転倒する人々。その背に、ヴァンパイアの腕が伸びる。
「やめろ!」
制止の言葉に意味がないことは分かっている。奴らはひとの言葉を解さない。それでも、目の前で始まろうとする殺戮に、叫ばずにはいられなかった。
逃げ惑うひとの波を掻き分け、ヴァンパイアに迫る。思考の隅で、バディである男への疑問が過った。
秋羽が追う標的を、その先で待ち受けているはずだった、あいつはなにをしている?
奴らの殺戮は本能だ。ひとを認識すれば、理由なく襲う。だからこそ、人気のない路地で仕留めたかった。そのために、前後で挟み撃ちにするつもりだったのに。
そうでなくとも、開けた場所でヴァンパイアを狩るのに、
ヴァンパイアに対して単独では相対しないこと。それはハンターの鉄則。
人間とは比べ物にならない身体能力を持つ相手に対して、複数人で動きと逃げ道を封じつつ狩るのが、組織としての狩りだ。標的の動きを封じるにも己の背を預けるにも、信頼できる仲間は必要不可欠で──なのに、この場にあいつはいない。
(なにをしているんだ、雪斗……!)
必死でヴァンパイアへと接近し、新たな被害者へその爪を伸ばそうとしていた腕を寸前で切り飛ばす。鮮血の糸で放物線を描きながら、化物の腕が地に落ちた。
濁音まじりの絶叫が響き、相手が自分を『敵』と認識したことを肌で感じた。
それでいい。周囲に一般人がいて、かつ満足な援護も期待できない状況で求められるのは、標的を滅ぼすことではなく被害を最小限に
そうして、周囲の人々が避難するだけの時間と空間を確保しつつ、味方の援護を待つ。
現状ではそれが最善──というよりも、それ以上できることなどない。
秋羽がどれほど優秀なハンターであっても、単独でヴァンパイアを狩るというのは荷が重い。まして、周囲に無関係な一般人が多数いる状況では。
奇声を発しながら襲いかかってくるヴァンパイアの攻撃をかわし、いなしながら、視線を周囲に向ける。現れるはずの援護──雪斗の姿を求めて。
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