怪奇万能魂式会社~怪社~(2008年版)
灯宮義流
出勤『道連れ』
近代的な高層マンションに挟まれた、幅の広い道路があった。
その真ん中には、上下線の境目として、小さな葉をつけた苗木が茂り、歩行者に悪印象を与えないよう、さりげなく努力していた。その苗木の間には、大人二人分の高さの街路樹も植えられている。
ところが、朝には出勤や通学の人々で賑わうここも、陽が落ちて、月が頂点に達する頃になると正反対な顔を見せる。真夜中には、まるで開発中の都市か何かに迷い込んだ錯覚すら覚えるくらい、そこは静寂に飲み込まれるのだ。
別世界のような静寂と暗闇に包まれてみると、苗木達は暗闇によって灰色に揺らめいて映り、その姿は、人を襲おうと息を潜めるドブネズミの集団のようにすら見えるようになる。
まだ開発されたばかりで人の気が薄い住宅地故に、廃墟に迷い込んだのも同じ状況だ。だから、何でもないものが恐ろしく映りやすくなるのも当然であった。おまけに、それらを照らしている灯りも少ない。マンションの廊下の電気と、道路横の外灯、そして月明かりくらいだ。
おかげで、暗闇に大きな影として映る背の高い木々達が余計に不気味に見えて、それらが風によって揺れると、人間の恐怖心を煽るために意図してざわついているようにすら感じる。
そんな道路の静寂をわざとぶち壊すかのように、耳障りなバイクの轟音が辺りに反響した。静かに寝ていた者達は、溜まったものではないだろう。入居者が完全であったならば、今頃は四方八方から物が投げられても文句は言えない。
が、そんな騒音も間もなく収まった。何か生々しい物を弾き飛ばした鈍い音がしたかと思うと、ピタっと止まったのである。
車道は他に何も走っていない。そもそも、機械同士でこんな生々しい物を吹き飛ばしたような音はしないはずだ。確実にバイクは“生き物”を轢いたのだ。
そのバイクの乗り手は、降りる前に少し身体を前に乗り出して、前方の破損具合をじっくり確認した。そして、予想の範疇だったとばかりに頷くと、冷静な様子でバイクから降り、後部のスタンドを軽く蹴って立てた。
降りるとすぐに、自分が一体何を跳ね飛ばしたのかを確認するため、ヘルメットを取る。
その人物は、黒い皮のジャンパーがよく似合う、二十歳前後くらいの青年であった。汗とともに開放された茶色い髪の毛は、朝必死に整髪量を使ってキレ良く整えたらしいのがよく見てとれるような、少し逆立った髪型をしているのが特徴的であった。
青年の眼下には、跳ね飛ばした相手が倒れていた。とても気立ての良さそうな清楚な女性だが、頭から流血し、目を開けたまま倒れるその姿は、正に悲惨の一言であった。普通ならとても冷静に見ていられる状態ではないだろう。
しかし、青年は、ショックを受けるどころかニヤリと笑い、次に辺りに人がいないか確認した。誰もいないのを確認した後で、彼は死んだ女性の近くに落ちていた黄色いマフラーを拾いあげる。とても目立つ色のそれは、真ん中に赤い糸で刺繍されたハートのマークが二つ、重なり合うようにして刻まれた、手編みのものだ。
青年はまた不敵な笑顔を浮かべるも、途端に腕が震えだし、思わずマフラーを落としてしまった。震える手を落ち着けるため、手の皮に軽く噛み付いて渇を入れた後、それを拾いなおす。そして、ジャケットの左ポケットの中に詰め込んだ。
あれだけすごい音がしたわりに、辺りがざわついた様子はない。マンションに人がそれほど入っていない証拠である。かといってのんびりしているわけにもいかないと、青年は急いで彼女の死体を両脇から抱えると、苗木のほうにズリズリと引きずって運んだ。
運ぶ最中、ずり落ちそうになった死体を持ち直すと、女性の首がその勢いで上にカクッと向いた。青年と轢き殺した死体の目がバッチリと合ってしまった。予想外のことに彼は少し目を細め、一度死体を置くと、さっき拾ったマフラーを、軽く後頭部に結んで目元にあてた。これで目を合わさないで済むと、改めて苗木の真ん中に運んで隠した。
こうして一通り死体の処理を終えると、青年は自分のバイクへと駆け寄って、後ろのケースからタオルと懐中電灯を取り出し、飛び散った血を次々に拭き取っていく。それらの証拠隠滅を彼は手早く全て済ませたが、その割に現場から直ちに去ろうとはしなかった。彼は死体を隠した苗木付近にバイクを停め、道端に座り込んだ。どうやら、待ち人がいるらしい。
待っている間、手持ち無沙汰になった青年は、ふと死体の方へと顔を向けた。あれほど容赦なく殺したはずの彼の表情は、どこか寂しげであった。
足でコツコツと地面を軽く踏み鳴らしながら、青年は腕時計を眺めた。予定していた時間より到着が遅いようで、気が気でない状況にある青年は、余計に慌て、苛立ちを募らせていく。
先程の余裕も薄れたのか、自ら手をかけた死体に何度も視線を向ける。目にマフラーがかけられた死体は、死体と分からなければ、苗木の中で人が寝ているようにすら見えた。が、そのことが逆に彼の背筋を凍りつかせていた。
もう待ちきれないと言わんばかりに、青年は苦々しい舌打ちをした。その音は反響するも、すぐに静寂の中へと飲み込まれていく。そして、消えてほぼ無音になったかと思うと、周囲の空気がガラリと変わった。
トンネルにでも入ったように、今までとは違う空間に入った感覚を覚えると、身体に纏わりつくような生ぬるい風が、青年の足元に流れ込んできた。気色の悪い肌触りが続いて、彼は身を縮めて鳥肌を立てた。
そのタイミングをはかったように、向こうからコツコツと、革靴の足音が聞こえた。来た、と言わんばかりに青年は、足音の方に視線を素早く向ける。
視線の先には、徐々に街頭と月に照らされて、明確にされていく人の姿があった。身長は結構高く、スラッとした体格のその人物は、それに合わせたように丈が長くスタイリッシュなデザインをした黒いマントコートを羽織っていた。おまけに、この暗闇の中に溶け込むような黒いハットとマフラーをして、素顔を極力隠していると体言しているような格好だ。
さらに不思議だったのは腕だ。袖に通していないのか、ブラブラと浮いている。それだけでも、怪しさを十二分に醸し出しているのにも関わらず、背中がコート越しにふっくらと丸みを帯びていた。何か服の中で背負っているように。
青年は少し怯みながらも、手を軽くあげて挨拶した。すると、相手も親しげにそれに答えてきた。待っていた相手はこれで間違いないようだった。
「遅い。人が来たらどうするんだ」
「そがぁな怒らんとぉに、本当に人が起きてきたら大変じゃ」
怪しい人物は、その格好に似合わぬ強烈な訛りで話してきた。声からすると、性別は男のようだ。
「これで良いんだろう。“魂”とやらをアンタに渡すには」
「どれどれ。あらら、随分と容赦なく殺したモンじゃのぉ」
「返り血を出来るだけ浴びない方法が、これしか無かった」
「にしても、どうやってこがぁなところまでおびき寄せたんか? なんぼ夜中でも道路の真ん中なんて、誰も歩かんじゃろう?」
その問いかけに、青年は先ほどのマフラーを取り出すと、誇るように見せつける。
「これは、コイツにバレンタインの時、チョコレートついでに貰った手編みのマフラーさ。自分の作ったマフラーがこんなところに置いてあったら、嫌でも気になるだろ?」
「そがぁなぁは狡猾じゃなあ。ワシだってんなことなかなか出来なぁで。まあそもそも、恋人も女房もおらんし」
「つまり特権って奴だ」
青年は笑いながら言った。
「恋人の方が憎かったんか?」
「アンタに依頼して人生を滅茶苦茶にしてやったあの男、コイツと浮気してやがったのさ。だから丁度いいから両方とも効率的に殺してやろうと思ってアンタらに依頼したんだよ」
「なるほど。いや、しかし、恋なんてするもんじゃなぁね」
怪しげな男は深く頷いて、早速死体の辺りを探り始めた。金でも漁っているのか、価値のあるものを探す手付きのようである。しばらく女のポケットを探り、近くをキョロキョロと見渡す。すると、怪しげな男の態度が一変して慌しくなる。
「無いんよ!」
「え? 何が?」
「アンタに支払ってもらうはずじゃった“魂”が、どこを探しても無いんじゃ!」
「そんな馬鹿な。アンタが言ったんだろ、殺せば“魂”は出てくるから、それをくれれば契約成立って」
急に、現実的ではない会話が始まった。その“魂”なるものを巡った話は、さらに熱をあげていく。
「そーいやぁ、どうやって殺したんか?」
「どうって見ればわかるだろ。バイクでこう……」
青年は、動きをつけながら説明し始めた。すると、原因がわかったのか、怪しげな男は、懐からか細い手を出して顔を覆い、がっかりしたような声をあげた。
何がなんだかわからない青年は、詰め寄って説明を求める。すると、かなり落ち込んだ様子で、怪しげな男は彼の質問に答えた。
「てっきり刺し殺したとばかり思うとったら、なるほど、それなら確かに返り血も浴びないし近代的な殺し方じゃ。ほぃじゃが残念ながら、こりゃぁ大失敗じゃ」
「なんで!」
「バイクで勢いよう突っ込んでしもぉたせいで“魂”がどっかに吹き飛んでしもぉたんじゃ」
「何?」
「殺し方も指定しておくんじゃったのぉ。やっぱり人間相手の商売はなかなか難儀なもんじゃ」
「ど、どうするんだよ。それじゃあ」
冷や汗を流しながら慌て始めた青年に対して、怪しげな男は、極めて冷酷に返答した。
「こっちだって、御代に合うだけのこたぁしたはずじゃ。あんたの要望通り、苦しみぬかせて、おまけに誰がやったかわからんようにまでサービスしたんじゃけぇ。きっちり魂は支払ってもらいますけぇの。他に宛てはないんか?」
「ふざけるな! そんな簡単に人を殺せと言うが、人間はお前みたいに口で言うほど簡単に人なんて殺せないんだよ!」
「困るんよそれじゃあね。タダ働きってワシ、一番この世で嫌いなんじゃ。これでも商人じゃけぇね」
「お前の嫌いなものなんて知るか! 浮気していても、俺はアイツを、香奈を心の底から憎んでいたわけじゃなかった。これでも、泣く泣く殺したんだ!」
「こっちだってアンタの感情なぞ知らんよ。宛てが無いっちゅうんじゃったらしゃぁなぁで。アンタ自身の魂で支払ってもらうんで」
怪しげな男が、そっぽを向いてそう言った。
「な、何だと!」
「ワシだって企業で働く仕事人じゃ、いろいろ後の仕事も控えとるんじゃけぇ、あんまりワガママゆわんでつかぁさいよ」
「どうして依頼人の俺自身が命を差し出さなくちゃならないんだ!」
「そがぁな駄々をこねられても、契約じゃけぇ」
「冗談じゃない。だったら、殺される前にお前をぶっ殺してやる!」
さっきまでの余裕が嵐によって吹き飛ばされたかのように、青年は目を血走らせて怒鳴った。そんな理不尽なことを言われれば、怒り狂うのも当然だ。追い詰められてしまった彼は、その勢いで、バイクの後部ケースに手を突っ込んだ。
怪しげな男は、それを不思議そうに眺めていると、青年は金槌とペンチを引き抜いて男に向き直り、それらを振り上げた。相手が何を持っている理解すると、怪しげな男は呆れてため息をつき、仕方ないなあと項垂れた。が、もう一度よく目を凝らしてそれを見直すと、両手をあげて大袈裟に驚き始めた。
「げぇぇぇっ!」
どれほどの光景を見ても、そんな悲鳴は出せないというくらいに叫ぶと、怪しげな男は腰も低めに青年への説得を試み始めた。
「ま、まま待ってつかぁさい。暴力はいけんよ、暴力は」
「うるさい、俺を殺そうとしている奴が何ビクビクしてやがる!」
「それはそれっちゅうことで。まあ大丈夫じゃって、苦しみなく死ねるように手配はするんじゃけぇ、ね?」
「ね? じゃねぇんだよ!」
「ひぃっ!」
青年は問答無用に金槌を相手に振り下ろした。その一撃は怪しげな男の帽子を掠め、それを地面に叩き落とした。同時に、羽織っていたマフラーも緩んで、引き寄せられるようにして解けた。
あっ、男が呻いたと同時に、その素顔は明らかになった。
「あらら、やっばいんじゃ!」
明らかになった男の人相は、人の顔をしていなかった。
雪のような白い毛並みに覆われた男は、鼬そのものの顔をしていた。丸い耳が可愛らしいが、代わりに目つきは鋭く悪い。男を一言で例えるのであれば、外套を羽織った二本足で立つ白鼬か。
そんな化け物相手に、青年は少しも臆さず怒鳴る。
「この化け物鼬が! 俺が食われる前に今晩の煮汁にしてやる!」
「そ、そがぁな残酷な!」
鼬は、両手を精一杯挙げながら逃げ始めた。
「お助けぇ!」
誰かに助けてもらおうと声をあげようとして、鼬は気づいた。周りはマンション、助けを呼ぼうとすれば、簡単に呼べるが、殺人に大きく加担している鼬は、助けられる立場にはない。捕まる方だ。そもそも、この鼬の姿を見た人間達が、一体どんな反応をするか、結果は明らかだ。
「もう神様でも仏様でも、どうかこの哀れな鼬をお救いつかぁさい!」
「だったら、すぐに神でも閻魔でも拝ませてやる!」
「ご、ご遠慮するのじゃ! ギィィャァァッー!」
二人は、その場をぐるぐると回りながら、不毛な鬼ごっこをしばらく続けた。
時折青年のペンチや金槌が鼬の身体を掠って、体毛を削った。その度に鼬は「ギャーッ」と叫んだ。化け物なのに、人間に対抗する手段がないらしい。
せめて頭だけは殴られまいと、短い手を必死に頭に乗せる仕草は、可愛げがあったが、殺意の塊となった青年がそれを全て台無しにしていた。
この騒ぎには気づいたらしく、マンションの明かりが灯り初めた。それを見た鼬は、左手を盾にして素顔を隠し始めるが、そんなことお構いなしに、鬼の形相で青年は闇雲に凶器を振るって鼬狩りを続ける。こうなれば道連れとばかりに。
なんとかして振り切るしかないと、青い顔をしながらも鼬は、道路の間の苗木を飛び越え、反対車線へと飛び移った。
青年もそれを追おうとしたが、苗木に行く手を阻まれた。しかし、すぐに飛び越えるために後ろに下がる。そして、少し助走をつけてから、苗木へと突っ込んでいった。ところがこの時、足元に気が向かなかった彼は、不覚にも何かに躓いて、そのままバランスを崩して、倒れた。
「うっ!」
と青年が呻いた途端、視界が前方から足元へ移る。そこには、自分が殺した恋人の死体が、安らかに倒れていた。偶然なのか、それとも因果か、眼下の光景にゾッと恐怖を感じているうちに、間もなく青年は最期の景色を見ることになった。
最期に青年が見たのは、コンクリートの段差の角であった。
「ガフッ!」
小型の怪獣の腹でも踏み潰したかのような声と、リンゴを叩き割った様な音がしたかと思うと、その後金槌とペンチが地面に落ちた金属落下音がハッキリと響いた。それを聞いた鼬は、どうしたことかと後ろを振り返った。
すると、今まで激しく追いかけてきていたはずの青年が、苗木に突っ込んで倒れているのが見えた。苗木から飛び出ている足が、とても不気味だ。
ビクビクしながらも鼬は、抜き足差し足で、青年の飛び出た足に近づいていった。
「あちゃぁ、こりゃぁ酷いのう」
青年は、丸みを帯びた角に頭をしたたかにぶつけて、額から血を流して死んでいた。
それを確認すると、鼬は死体の近辺を探り初める。そして、少し離れたところで何かを見つけたらしく、一目散に駆け寄った。
「じゃあすいませんがのぉ。御代として“魂”、頂くんよ」
そして、何も無い虚空を掴むと、懐から瓶を取り出し、それに何か詰める動作を行った。しかし、一見瓶には何も入っていないようだ。
それを懐に戻し、目的を果たしたらしい鼬は、死体眺めて原因が何か考え始め、そして青年がどうして転んだか、その理由を明確に把握した。
青年は、皮肉なことに、自分が殺した恋人の死体に足を引っ掛けていた。不運なことに、苗木がクッションになることもなく、額をコンクリートにぶつけて、昇天してしまったわけである。
元依頼人を見下ろしていた鼬は、手を合わせて「ナンマンダブナンマンダブ」と軽く唱えた後、人が集まる前にさっさと退散を決め込んだ。
「ふう。人間相手は儲かっても、労働力が馬鹿にならんなあ……」
と、今回の仕事についてぼやきながらも、鼬は闇に消えていった。
****
聞き慣れないうえに、奇怪この上ない企業名ですから、混乱を避けるためにまずこの会社の最大の特徴を述べると、その名の通り“何でも出来る”ということに尽きます。
魂……つまりは、一つの命と引き換えに、幅広い用途の何でも屋として、彼等は働いてくれるのです。勿論、それは彼等の出来る範囲に限られますが、命を対価に取るだけあって、それは、来客者達の想像を遥かに超えた仕事範囲を持っています。
命と釣り合わない仕事に関しては、時折現金になり、仕事自体をお断りされることもありますが、ならば、一体どのくらい広い範囲で仕事を引き受けてくれるのか。それは本当に広すぎて一口には言えないほどです。
まず、普通の何でも屋では出来ないことが出来ます。
その中でも、最もニーズが高そうな仕事といえば、まず“殺し”でございます。流石に普通の何でも屋さんには頼めませんよね。というより、殺し屋の仕事なのですが、それでも彼等はやり遂げます。あっさりでも、じっくりでも請け負います。
他にも、落ち込んでいる企業や自営業の店を復活させようと助けてくれたり、立ち退かない人間をあの手この手で追い出したり、大きな争いに加担したり。
例なんて挙げきれないほど、本当に様々です。大概のことは断らないでしょう。それがこの怪社の最大の特徴であり、セールスポイントと言えます。
これだけ様々な依頼に応えられる企業ではありますが、実際その知名度は、この世においてはとても低いものでした。まず、この企業の存在は、本来なら人が生きているうちでは、ほとんど知る可能性がないと言われているほど、人には知らせません。
……にも関わらず、この企業が今でも存在し、それなりに繁盛しているのには、公で声を大にして言えない、重大な訳がありました。
ここで働く従業員のほぼ全員が、“妖怪”、大雑把に言えば人ではない存在が経営しているからです。
ともなれば、本来相手をする客は、妖怪や幽霊の類ばかりしかいなくなるのだから、生き物である人間がそれを本来知りえるはずがないのは、当然の話でしょう。
それでも昔から、ごく僅かながら、怪奇に関わった人間が、ここを利用するということはありました。しかし、それは奇跡として語られるようなレベルの事例でした。
ところが、時代が変われば企業も変わります。近年では徐々に、でも確実に、人間からの依頼が増えてきているのです。
本当だったら目に見えるはずのない、存在を認められることも無かったような存在が、人との繋がりを大きく見せるとは、経営する側にとっても驚きでした。
未知なる者達が目立ちたがるようになったのか、はたまた人から歩み寄ったのか、理由は定かではありません。ただ、理由はどうあれ、経営側には願ってもないことでした。何せ御代が向こうから飛び込んでくるのですから。
さて、怪社の概要は、これで大体ご理解いただけたことでしょう。
もし、今後この企業に関わるようなことが出来たら、または存在を知る機会や、社員本人と接触が出来たのなら、一度利用してみるのも一興ではないでしょうか。
例えば、先ほどの一件を、街灯に照らされていない暗い木影でこっそりと眺めていた一人の少年のように。
****
「すいません」
「ひぇぇっ!」
さっさと逃げてしまおうとしていた鼬は、誰もいないと思っていた背後の暗闇から声をかけられたおかげで、豪快に尻餅をついた。鼬が豪快に尻餅をつくという非常に珍しい光景を、その少年は生まれて初めて目撃したに違いない。
「驚かせてすいませんでした。その、魂を払えば何でもしてくれるという仕事をしている方ですよね?」
「は、は……はい。その通りじゃが、それが何か?」
「実は、お客として、お仕事の依頼のお話がしたいと思いまして」
「……え?」
拍子抜けした鼬は、尻をさすりながら立ち上がると、少し偉そうに腕を組んで、いかにもと答えた。だが、マントコートを中途半端に着た鼬のその姿は、あまり様になっていない。
「恐らく、そんな難しいことじゃありませんよ。人を殺して欲しいわけでも、企業を潰すわけでも、ましてや国一つ滅ぼして欲しい、というわけでもないですから」
「は、はははっ。いきなりぶっ飛んだことをゆぅガキじゃのぉ」
小声でつぶやき、極めて怪訝そうな顔をしながら、鼬は頭をポリポリと掻いた。そして少し考えた後、「とりあえず内容次第で決める」と、鼬は少年に伝えた。
そう告げられた少年は、喜ぶことも有難がることも驚くこともせずに、事も無げにあっさりと、依頼内容を告げた。
「僕、妖怪になりたいんです」
鼬は、素っ頓狂な声をあげ、後ろへと反り返った。
「そのために、僕を社員にして頂ければ、と」
そして、豪快に尻餅をついた。
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