【編ノ四】微笑みが降る街角 ~倩兮女~

「はああああ~…」


 春も近い夕暮れ。

 私…たちばな 愛美流えみるは、暮れなずむ河原の土手を、独りトボトボと歩きながら、溜息を吐いた。

 茜色の雲を見上げると、カラスの群れがカアカア鳴きながら、ねぐらへと帰っていくのが見える。

 遠くからは豆腐屋さんが吹く「とーぷー」という素朴な音色が響いてきた。

 誰もが家路につくこの時間、私はどんよりと顔を曇らせながら歩を進める。


 理由は一つだ。


 私は、現在就職活動中の女子大生である。

 そのため、今日も今日とて就職活動にいそしんでいる。

 周りの友人達がどんどん内定を獲得する中、未だに私は一つの内定ももらえない。

 だから、私にも焦りがあった。

 それが良くなかったのか。

 今日も、とある地元の大手企業の面接に臨んだのだが…また、やらかしてしまったのだ。

 実は、私にはとある悪癖があり、そのせいで面接を台無しにしてしまったのである。

 いや、それも今日に限ってのことではない。

 今まで、何度となく面接も受けてきた。

 が、その全てで私は不採用となってしまった。

 それも全てその癖のせいだ。

 …いや、面接だけではない。

 振り返ってみれば、私の人生は、全てその癖のために損ばかりしてきた気がする。

 友人達は「気にするな」と言ってくれるが、そういう理解も持たず、私の元を去って行った友人も多かった。


「ふうううう~…」


 「溜息を吐くと幸せが逃げていく」というが、今日だけで一生の半分くらいの幸せがご出立された気がする。

 重い足取りのまま、歩を進めると、前方に橋が見えてきた。

 それを渡って行くのが、私の帰宅ルートである。

 薄暮の川面を見て、私は「もう死にたい」などと考えてしまった。

 橋に差し掛かると、橋上に一人の男性が居た。

 その若い男性は、えらく暗い顔で、川面を見ている。

 ああ。

 もしかしたら、この人も何か嫌な事があったのかしら…


 …あ、欄干らんかんに足を掛けた。

 まるで飛び降りそうな感じだ。


 ふと見ると。

 橋上には、靴がきれいに揃えてあった。


「ちょ、ちょっとおおおおおおおおおおおおッ!」


 マジもんかいっ!

 私は咄嗟に駆け出し、今にも飛び降りそうな男性にしがみついた。


「うわっ!?」


 驚いた男性が声を上げる。

 そのまま、私は全体重を掛けて、男性を引っ張った。

 無我夢中だったので、そのままバランスを崩し、二人で橋上へ投げ出される。


「あいたたた…」


「いってぇ~…」


 二人して呻き声を上げる。

 だが、どうやら男性が川に落ちるのは防げた様だ。


「…だ、大丈夫か…?」


 しゃがみ込んで頭のタンコブを押さえていると、男性がそう声を掛けてくる。

 彼には怪我はなさそうだ。

 手を差し伸べて、心配そうに私を見降ろしている。

 立場が逆になったが、私はその助けを借りて、立ち上がった。


「大丈夫です。少しスリ傷が出来ただけです」


「そうか…良かった」


 そう言って、男性が穏やかに笑う。

 二十代後半くらいの人の良さそうなお兄さんだ。

 やつれた表情ではあるが、優しそうな人だった。

 彼はすまなさそうに頭を下げた。


「悪かったね、余計な手間を掛けさせて」


「い、いえ…」


「本当にごめんね。それじゃあ」


 そう言って、手を上げる男性。


「あ、はい」


 私もお辞儀をする。

 そのまま男性は背を向け、遠ざかって行った。


 そして、そのまま真横に90度ターンする。

 いうまでもなく、その先は欄干、そして更に先には暗くて大きな川がある。


「ちょっと待てい!」


 欄干に足を掛けた男性の背後へとダッシュし、そのベルトを掴む私。


「…放してくれないか」


 川面を見つめたまま、男性が感情の無い声で言う。

 私はベルトを引っ張りながら、絶叫した。。


「放したらどうする気ですか!?」


「決まっている」


 光の無い瞳孔で、振り返る男性。


「ヴァルハラへ行くのさ」


 説明すると「ヴァルハラ」とは、北欧神話で戦乙女ヴァルキリー達が、戦死した勇者達の魂を導き集めるための館の名前である。

 決して、目の前にいる死んだ魚の様な眼をした人間が行けるような場所ではないと思う。

 私はさらに力を込め、両手でベルトを引っ張った。


「そんなのいいから!早くそこから降りてください…!」


「放せ!放してくれ!俺はヴァルハラに行って『神代戦争ラグナロク』で戦うんだああああああっ!」


 完全に錯乱しているのか、意味不明な絶叫を上げる男性。

 それでも何とか欄干から引きずり下ろし、二人で荒い息を吐いた。


 もう嫌!

 何なのよ、今日って日は!


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「失恋…?」


 あれから、幾度となく川に飛び込もうとする男性と無益な攻防戦を繰り広げた私は、ようやく諦めた彼と一緒に、近くにあったおでん屋さんの屋台に落ち着いた。

 途中、車道に跳び込もうとする男性にチョップを見舞ったり、コンビニでロープを買おうとする男性にフェイスクラッシャーを仕掛けたりせねばならず、まったく散々な道行きだった…

 とりあえず、腹を満たせば何とかなるかも知れないと、通りすがりにあった屋台に引っ張り込んだのである。

 そして、意気消沈する男性に、死のうとする理由を聞くと、そんな言葉が出てきたのだ。


「彼女とは五年間付き合ってたんだ」


 出された熱燗をコップで飲み干すと、男性は蚊の鳴くような声で言った。


「お互いに仕事も落ち着いて、結婚の約束までして…指輪まで買ったのに」


 しゃくりあげる男性。


「彼女には、別の男性が居たんだ…だから『もう会えないし、結婚も出来ない。ごめんなさい』って…」


 涙と鼻水で、男性の顔がクシャクシャになる。

 見ていて、可哀想なくらいだ。


「それで自殺を?」


 私の言葉に頷く男性。


「まったく、男の人って…」


 失恋では、女性より男性の方が尾を引くとは言うが…

 いくら何でも、死ぬこたぁないだろーに。


「だって…本当に好きだったんだ」


 年甲斐も無く泣きじゃくる男性。

 その時だった。

 身体の奥から、ムズムズと言いようのない感覚が湧いてきた。


 ま、まずい!

 これって…


「指輪だって…必死で給料を貯めて買ったのに」


 泣き続ける男性の脇で、あたふたする私。

 まずい。

 タイミング的に、今はヒジョーにまずい!


「もう…死んでもいいんだ、俺なんて」


「ぷ」


「…え?」


 うなだれていた男性が、私を見上げる。

 そのクシャクシャになった顔がトドメとなった。


「ぷっ…くっ…くく…~」


「あの…?」


 必死に堪えていたものが爆発する。


「あはははははははははははははははははははははははははははははははは…!」


 まさに「爆笑」

 けたたましく笑いながら「やっちゃった…」と、私は胸の内でガックリとなる。


 そうなのだ。

 これが私の悪癖…「笑い上戸」である。

 正体を明かせば、私は“倩兮女けらけらおんな”という特別住民ようかいだ。

 その名の如く、私は「笑う事」を性分とする妖怪で、時折その力が制御できず、暴発してしまう事がある。

 年を経るごとにその制御は安定してきてはいるが、この様に突発的な笑いが出てしまう事があった。

 特に緊張したり、感情が大きくぶれた時などは酷い。

 今まで面接で落ちてきたのも、実はこれが原因だった。

 面接官とのやり取りの途中、緊張感と何気ない単語ややりとりが引金トリガーとなり、爆笑してしまうのである。


「あはは…くっ…ごめん、なさい…!これには…訳が…ひゃはははははははは…!」


 弁明するものの、笑いで意味を成さない。

 唖然としていた男性は、みるみる怒りの表情を浮かべ、立ち上がった。


「笑うな!そんなに俺の不幸がおかしいのか!?」


「ふふうふふふううう…ち、違…これは…あははははは!」


「やめろ!笑うな、笑うんじゃない!」


 男性が悔しそうに私を見ている。

 違う。

 私は同情している。

 でも、笑いが止まらないのだ。


「くくくく…あはははははははは…ぷははははははははは…ひひひひひひひひひひひひひ…」


 我ながら酷い癖だ。

 不幸な人間を前に、私は笑いを堪える事が出来ない。

 今まで、私の周囲に居た友人達も、こんな私に愛想を尽かして去って行った。

 今回は見ず知らずの人だが、それでもあんまりだ。


「笑うなって言ってるだろ!馬鹿にしてるのか、お前!」


 男性に胸倉を掴まれる。

 それでも笑いが止まらない。

 笑いながら、私は泣いた。

 このどうしようもない体質と、今後も付き合っていかなければならないなんて…

 これから、私はどれだけの人を傷付けるのだろう。

 そう思うと、絶望に涙が溢れる。

 だが…

 それも、他人からはおかしくて流した涙としかとらえられないだろう。


「お前、いい加減に…」


「ひゃふははははっはははははははっ…!」


「この…」


 拳を振り上げる男性。

 仕方ない。

 殴られて当然だ。


 だが。

 その拳はいつまで経っても振り下ろされなかった。


「あははははははははははは…」


「…」


「やはははは…うひゃははははははは…」


「…ぷっ」


 不意に、男性が吹き出す。

 そして、そのまま大声で笑い出した。

 男性は私から手を離し、席に戻って笑い続ける。

 得体の知れない客に、屋台のおっちゃんも迷惑そうにしていたが、それも…


「くくく…」


 と、含み笑いを漏らし始めた。


 後日聞いた話だが、その屋台は「謎の爆笑が起こる店」として、ストレスが堪りがちな人達の間で好評を博し、しばらく繁盛したらしい。


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「本当にありがとう」


 別れ際に男性が手を差し出し、握手を求めてくる。

 私はその手を握り、握手した。


 その後、ひとしきり笑い合った後、ようやく制御が効く様になり、私は男性に謝罪した。

 男性は、それに笑いながら、


「いいって。気にしないでくれ。何だか知らないけど、君の笑顔を見ていたら、クヨクヨしていた自分が馬鹿らしくなったよ」


 と言ってくれた。

 よく分からなかったが、今回は難を逃れたらしい。

 そのまま意気投合した私達は、屋台のおっちゃんにオゴリを受けつつ、飲み続けた。

 謝罪も含めて自分の身の上話をすると、男性もおっちゃんも、ひどく憤慨した。


「アホだね~!そりゃあ、落とした面接官が悪い!そいつは愛美流ちゃんの笑いの良さを分からねぇ馬鹿だよ!」


「そうそう。お客さんの笑顔は、悪意ってもんがねぇ。長く客商売をしてきた俺には分かりまさぁ!」


「お、おっちゃんもそう思った?俺もだよ!」


 …殴ろうとした癖に。

 まあ、そこは言うまい。

 とにかく、ひとしきり盛り上がり、つられて入って来たお客さんがどんどん加わり、屋台は老若男女が入り乱れる宴会場みたいになった。

 皆で会社や上司の愚痴を言っては笑い、政治の愚痴を言っては笑い、笑っては笑った。


「じゃあね。就職活動、頑張ってね。俺、応援してるからさ」


「ありがとうございます。そちらも新しい恋、見つけて頑張ってくださいね」


 去って行く後姿をしばし見送り、私は帰路に着いた。


「はあああああ…そうは言うものの、今日のも駄目だろうし…どうしよう」


 溜息を吐く。

 トボトボと歩いていると、不意にまたあの感覚が走った。


「くっ…ぷくくくく…」


 深夜の夜道で、笑い声を噛み殺す。


「もう…くくく…いい加減に…してよ…あは、あははははははは…!」


 絶叫する様に空を見上げると、きれいな星空が目に入った。

 私はそのまま笑いながら、家路についた。


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 翌日。


「おはようございます、社長」


「おはようございます」


 会社の重役の一人が、そう声を掛けてくる。

 社長と呼ばれた男性は、にこやかに挨拶を返した。


「昨日はスミマセンでした。皆に面接を任せちゃって」


「いえ。一次審査は我々で何とか。後は二次審査がありますので、そちらはお願いします」


 深々と頭を下げる重役に、男性が頷く。

 晴れ晴れとしたその表情に気付いた重役が、ふと尋ねた。


「…何かいい事でもありましたか?」


「え?ええ。実は昨日面白い娘に会って。とっても笑い上戸で、笑顔が素敵な女性でした」


「ほう。そう言えば、昨日の面接の時にも、そんな娘がいましたな…面接官の質問にいきなり笑いだした、変わった娘でしたが」


「へぇ…」


 男性は重役を振り返った。


「その娘は、審査を通過したんですか?」


「判定は微妙ですが…」


 重役は厳めしい表情を、ふと和らげた。


「あの笑顔で第一関門通過、といったところですな」


「…そんなにいい笑顔でしたか」


 男性は、ニッコリと笑った。


「それは、今から会うのが楽しみだなぁ」

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