【編ノ三(中)】“貴方を忘れない” ~面霊気~
そして、予告状が示した当日がやって来た。
人形博物館は終日休館。
警官が配置され、そのチェックは厳しく行われた上に、館内から敷地内、周囲の路上やマンホールの中まで厳重な事前確認が行われた。
何しろ、相手は神出鬼没な上に姿も分からない。
もしかしたら、既に関係者になり済まし、侵入を試みている可能性すらあった。
いつも以上に厳戒体制での警備が敷かれ、博物館はただならぬ雰囲気に包まれていた。
「意外とデケェんだな」
館内最奥の一画に設けられた特別展示コーナー。
一度写真で見てはいるものの、実物を前にすると、人形が本当に等身大の少女と変わらないことに驚かされる。
そして、生きた人間と全く変わらない外見にも。
美しい顔立ちは、無機物特有の冷たさを放ちつつ、逆にそれが人間以上の美を造形していた。
これ程の腕前を持った人形造形師が、江戸時代に存在していたとはにわかには信じ難かった。
館長の説明では、この人形の作者…「
ただ、本人は余程の人間嫌いだったらしく、その生涯についての史料はほとんど残されていないという。
「警部、全員配置完了しました」
部下の一人がそう報告する。
それに頷いてから、泉屋は腕時計に目を落とした。
怪盗“サーフェス”が予告してきた時間まであと数分。
今夜、人形の周囲だけでなく、博物館内外にも
警報器、赤外線センサー、ガスマスクまで準備してある。
人員、装備いずれも間違いなく前回を上回る規模だ。
「…時間だ」
泉屋が呟いたそう瞬間。
バツン
不意に館内の照明が一斉に落ちる。
流石に声は上げなかったものの、警備についた部下の動揺を感じ、泉屋は素早く指示を飛ばす。
「
言葉通り、非常灯はすぐに点いた。
泉屋は人形が納められた強化ガラスに駆け寄った。
人形は寸分変わらぬ様子で納められたままだ。
これと言って、異常は見られない。
思わず安堵の息を吐いた泉屋の目に、無表情な筈の人形が瞬きをしたように映る。
「!?」
ギクリと身を強ばらせて立ち止まるが、人形は全く動きもしない。
(気のせいか…)
暗闇から明かりの下に出たせいで、ありもしない錯覚を見たのだろう。
そう思い、背を向けた時だった。
「う、うわあああああああっ!?」
部下の一人が突然悲鳴を上げる。
泉屋が振り返るのと、強化ガラスが砕けるのは同時だった。
大きな破壊音と共に、警報が鳴り響く。
「野郎、現れやがったか!?」
正面からの破壊工作とは“サーフェス”らしくもなかったが、今はそんな事に気を掛けている場合ではない。
部下達と油断なく展示ケースを取り囲む。
粉塵が収まる中、泉屋達の耳に異音が響いたのはその時だった。
キシキシ…
身構える泉屋達の眼前に。
小柄な影が歩み出る。
冷たい人外の美が、非常灯に照らされ、黒髪が揺れた。
キシキシ…キシキシ…
「…冗談キツイぜ…」
薄暗い明かりの下、黒い着物に彼岸花の
撒き散らされたガラスの雨の中、あの黒髪の少女人形がゆっくりと歩んでいた。
息を呑む泉屋の足元に、木の破片が落ちた。
見覚えがある。
先程まで、少女人形の足元にあった展示説明板だ。
それにはこう記されていた。
『人形師 火毘鬼 九源太 作 鬼女“
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悪夢だった。
軋みを上げながら、古い
その異様に、部下達も後ずさる。
人形特有の無表情な顔は、博物館の出口へと向けられていた。
その歩みも、同じ方向に向けられている。
泉屋は我に返った。
動く人形など、この世にありはしない。
これは奴の…怪盗“サーフェス”の仕業に違いない。
どういう仕掛けは知らないが、人形自体を動いているように見せかけ、自分達を驚かせると共に、外へ運び出そうとしているのだろう。
「怯むな!こいつは手品だ!構わないから確保、確保だ!」
泉屋の言葉に、警官達も反応した。
今回、人形の間近の警備には、腕自慢の警官も多く配置されている。
いずれも肝も据わった猛者揃いだ。
その証拠に、数人の警官達が目配せし合い、素早く人形を取り囲む。
それを見て、少女人形は歩みを止めた。
「うおおおおおっ!」
体格の良い一人の警官が、少女人形に掴み掛かる。
だが、その体に触れる寸前、人形の手が伸び、迫る警官の喉を捉えた。
「げぇっ!?」
苦鳴を上げる巨体の警官を、少女人形はその華奢な細腕一つで軽々と吊り上げた。
足をバタつかせる警官。
キシキシ…
少女人形は、その美貌を警官に近付けると、まるで観察する様に顔を覗き込む。
徐々に窒息しかける警官。
もがく手足の動きが、段々と緩慢になっていく。
「貴様…!」
それを見た仲間の警官達が、仲間を助けようと一斉に少女人形に襲い掛かった。
人形は、その一群に向けて、吊り上げた警官をボールの様に投げつける。
まともに受けた数人の警官達が、あっさりと弾き飛ばされた。
「嘘だろ、オイ…」
目を剥く泉屋の目の前で、人形に襲い掛かった警官達が次々と吹き飛ばされていく。
壁や床に叩きつけられ、昏倒する警官達。
署でも腕利きの猛者達も、人形の腕力とスピードには全く歯が立たない。
あっという間に泉屋一人が残るのみとなった。
「…出てきやがれ!」
人形の前に立ちはだかり、泉屋は叫んだ。
「こいつはお前の仕業なんだろ“サーフェス”!」
キシキシ…
人形は立ち塞がる泉屋に構わず歩を進める。
その無機質な瞳が、泉屋の背筋を凍らせた。
だが…
「行かせねぇぞ、クソッタレが!」
ボクシングポーズをとり、自身を奮い起たせる泉屋。
若い頃から、
それ以前に、人形を壊すことは許されていない。
しかし、今は“サーフェス”に一泡吹かせてやりたい一心が、泉屋の負けん気に火をつけた。
キシキシ…
体を軋ませながら、少女人形が近付いてくる。
汗を拭い、意を決して飛び掛かろうとしたその時だった。
「止めておいた方が良いですよ」
不意にそんな声が響いた。
展示室には、採光用の大きめの窓がある。
その窓の前に一つの人影が立ち、泉屋と人形を見下ろしていた。
背後に浮かぶ満月に照らされたその姿は、黒いシルクハットに燕尾服、マントを羽織った、冗談の様な怪盗紳士だった。
顔は上半分を覆う白い仮面のため、性別・年齢は分からない。
ただ、その中性的な声には泉屋も覚えがあった。
忘れもしない。
あの日、眩んだ視界の中、無我夢中で掴んでいた足の持ち主だ。
「それは人間の手に負える相手ではありません」
仮面の人物が、薄く笑う。
「テメェ…“サーフェス”か!」
「いかにも」
“サーフェス”はシルクハットを取り、慇懃無礼に一礼する。
「またお会いしましたね、勇敢な刑事さん。いつぞやはどうも」
「ケッ!ようやく姿を見せたな、このコソドロ野郎が!」
初めて視認できた仇敵の姿に、泉屋は指を突きつけて続けた。
「イカれた格好しやがって!今日こそはふん縛ってやるから覚悟しろ!」
「…緊縛趣味がおありなんですか?まぁ、お付き合いしても構いませんが…私も初めてなので、一つお手柔らかにお願いしますね」
困惑し、首を傾げる“サーフェス”。
人を食った様なその態度に、泉屋はヒートアップした。
「だーれがそんな話をした!?おちょくってんのか、テメェ!」
「そういうつもりはありませんが…あ、それより危ないですよ、後ろ」
“サーフェス”が泉屋の背後を指差す。
瞬間、泉屋は殺気を感じ、飛び退いて床を転がった。
一瞬の後、立っていた空間を人形の腕がなぎ払う。
“サーフェス”に気を取られている間に、少女人形が接近していたのだ。
「…ったく、どいつもこいつも!」
毒づく泉屋には目もくれず、出口へと向かう少女人形。
慌てて追い掛けようとした泉屋の眼前で、少女人形の前に“サーフェス”がヒラリと身を踊らせた。
泉屋達には意も介さず歩みを進めていた少女人形が、“サーフェス”を認めるなり、停止する。
やはり、この人形を操り、盗み出そうとしていたのは、この“サーフェス”だったのだ。
泉屋がそう確信した時、“サーフェス”は人形へ意外な一言を口にした。
「狼藉はそこまでです。大人しくしなさい」
うって変わって真剣な声になる“サーフェス”
泉屋は呆気にとられた。
どういうことだろう。
この人形は、あの怪盗が操っていたのではないのか…?
「…
ギョッとなって人形を見る泉屋。
間違いない。
いま確かに。
人形が喋ったのだ。
それも年相応の少女の声で。
「…嫌だと言ったら?」
唇を吊り上げる“サーフェス”に、人形は沈黙した。
…が、それも束の間、ガクガクと震え出す少女人形。
俯き気味になったその顔が、不意にガクンと跳ね上がる。
「…解体…する…!」
少女人形の顔が一変した。
俗に機巧人形の中で、一瞬で表情を変えることが出来る人形頭を「ガブ」という。
いま目の前でガブを再現するかの様に、美しい少女は一瞬で角を生やし、口が裂けた鬼女に変貌したのだ。
加えて、着物の袖から二振りの出刃包丁を取り出す。
終わらない悪い夢に、さすがの泉屋も声を失った。
「え、ええと…そんな
一転、狼狽える“サーフェス”。
こっちはまったくの丸腰なので、無理もない。
対する少女人形は、出刃包丁を擦り合わせながら、ゆっくりと近付いていく。
が、その瞬間…
「!?」
終始緩慢だった少女人形が、突然疾風のように間合いを詰め、“サーフェス”に襲い掛かった。
二振りの出刃包丁が、その胴体をなぎ払う。
最早避けようもない状況で、不意に“サーフェス”は自らの仮面に手を当てた。
「妖力【
瞬間。
“サーフェス”の仮面が厳めしい髭面の男に変化する。
更に、迫っていた出刃包丁を人形の腕ごと捉え、押し止めた。
「…な、に…」
無機物にあるまじき動揺を見せる少女人形。
警官達も赤子同然に蹴散らしたその腕力が、細身の腕で完全に押さえ込まれている。
泉屋も驚愕したまま、立ち尽くした。
「残念だったな」
仮面どころか、声色まで完全に野太い男の声になった“サーフェス”がニヤリと笑う。
そのまま怪力を発揮し、人形を抱え上げて放り投げる。
人形は鮮やかに受け身を取ると“サーフェス”を睨みつけた。
「…お前…人間…違う…」
「おうよ!ようやく気付いたか、ポンコツ人形め!」
豪快に笑い、再び仮面に手を当てる“サーフェス”。
元の白い仮面に戻り、微笑する。
「私は怪盗“サーフェス”…またの名を妖怪“
そう名乗ると、古い仮面の妖怪は優雅に一礼した。
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