第219話 『交響曲第3番』 ベートーヴェン
泣く子も喜ぶ『英雄交響曲』であります。
1804年の5月から6月にかけて、ロプコヴィッツ候の屋敷で非公開の演奏が行われたようです。
この様子は、大分前にドラマ化されて、テレビでも放送されました。
なかなか、慎重に考証されたもので、大変興味深いドラマでありました。
ベー先生が、ちょと、カッコ良すぎか?
ハイドン先生が登場してきて、「これは、革命だ。」みたいなことを最後におっしゃった様な気がいたしますが、それは事実かどうかわかりません。
ただ、当時まだご存命中であったことは事実です。
たしかに、ど・しろとのやましんが聞くにも、この曲以前と以降では、世界が変わったと言えるくらいの、実際、革命的音楽だったことであろうと思います。
当時、このような、長大で壮大な構造の『交響曲』は、なかったでしょうし、聴衆にはほとんど理解不能だったと思われます。
ただ、現在から聞くと、そうは言っても、たとえば終楽章あたりには、モーツアルト先生の大ト短調交響曲の余韻が、ちょっと覗いたりもしますし、完全に過去と決別しているわけではありませんが、内部から核分裂しかけているような感じです。
これが、『第5番ハ短調交響曲』になると、まさに新種のミュータントのように、すっくと、立ち上がるのです。
まったく未知の異星人が、地球に出現したみたいなものです。
既得権を持った旧来の権力者のみなさまが、恐れをなしたことは、十分想像できそうです。
もちろん、少数進歩派の方々の中には、新しい時代の到来を見た方もいらしゃるでしょう。
ゲーテ先生は、メンデルスゾーン少年からこのハ短調交響曲をピアノで聞かされ『地球を破壊しそうだ!』とか、おっしゃったらしいです。
一方、この第3番は、ナポレオン様との関連が有名で、同氏が皇帝になったと聞き、ベー先生は激怒して、楽譜の献辞をかき消した、とされます。
それが事実ならば、やはりベー先生は、共和制民主主義を権力者に対して、この曲で叩きつけるお考えであったのでしょう。
まあ、なんにしても、ドイツの統一と民主主義化と平和の到来は、まだまだ長い道のりだったわけです。
現在は、世界中、また、雲行きが怪しいな。
ちなみに、年表を見ると日本では、1804年にロシアのレザノフ様が長崎に来て、通商を要求し、幕府が拒否。
その後1808年には、イギリスのフェートン号が長崎に来るなど、海外からの開国要求が強まっていく時期であります。
そんなに、大昔と言うこともありません。
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