第180話 『ピアノ協奏曲第1番』 ステンハンマル
ステンハンマル先生(1871~1927 スウェーデン)は、すでに『交響曲』2曲で、登場済みであります。
ステンハンマル先生は、完成された『ピアノ協奏曲』を2曲残しています。
『ピアノ協奏曲第1番』は、1893年3月17日に初稿が初演されております。
『第2番』は、1908年の初演。(別項にしたいと思います。)
生涯に2曲の『ピアノ協奏曲』を書いたことといい、初期と発展期・または充実期であることや、内容がかなり『交響曲』+『ピアノ』みたいな感じであることなど、また音楽自体の構成の在り方も、やはりブラームス先生の影響があるような気もいたしますが、この『第1番』自体が、大変りっぱな傑作なのであります
『第1楽章』は、それこそ大変充実した音楽で、そういう事から言えば、全曲中最高の部分であります。
『第2楽章』には、なぜか、サン=サーンス先生風な雰囲気があります。
『第3楽章』は、素晴らしい『じゅわじゅわ音楽』です。
『じゅわじゅわ度』から言えば、この協奏曲最高の聞き所でありましょう❗
ここだけならば、『うつうつ』に入れたいくらいです。
まあ、あえて言えば、ショパン先生の『ピアノ協奏曲』から、ポーランド風を引いたみたいな感じでもあります。(たとえですから。)
それにしても、これは美しい音楽です。
じっっつに、感動的です。
最後の『第4楽章』は、一番ブラームス先生風なタッチを感じるところであります。
しかし、イケイケだけに終始しないのは、ステンハンマル先生の深さでもありまして、やがて、ちょっと、かなり後の、アッテベリ先生風な感じがちらっと匂うのですが、アッテベリ先生、もしかして、ここから影響受けてたのかな?
でも、いつのまにかそこから、さらにどんどんと独自の奥深い世界に行ってしまうのは、それこそ、ステンハンマル先生の力であります。
快活な音楽と、内省的な音楽が交互に現れるのは、『交響曲第2番』の終楽章もそうなので、いささか、ステンハンマル先生の特徴でもありますが、なかなか終わりに行き着かない感じも、まあ、あります。
ステン先生、『第1交響曲』を書いた(1902~3年)あとに、『シベリウス・ショック』とでもいうようなものを受け(シベ先生の『交響曲第2番』を1903年に聞いて衝撃を受け『第1交響曲』を自ら埋葬してしまった。)、そこから、どのような苦労があったかは存じませんが、1904年から、次のピアノ協奏曲を4年がかりで書くことになります。(演奏活動で、忙しかったということも大きいのだろうと思いますが。)そうして、ついに超進化した姿を、この世に現すこととなるのである!(怪獣じゃないんだから・・・)
ステン先生は、王家の血筋を引くのだと言われ(お母様が、グスタフ・ヴァ―サ王(1496~1560)の子孫)、お写真を見ても、これが実際、なかなか、きりっとした『貴族風』のお姿。
なお、シベ先生は、自分が貴族の出ではない事を、ものすごく惜しがっていたとか・・・・・。
機会が来たら、是非お聞きください。
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