第174話 『ピアノ協奏曲 黄河』 

 もともと、1939年に洗海星さまにより作曲されたカンタータを元にして、中国中央楽団により、1969年に集団創作されたとされる協奏曲。


 やましんが中学生時代、短波放送や夜間の中波放送をワッチしていると、さかんにこの曲が放送されていたものであります。

 


 ほぼ毎日、ラジオのダイヤルを回せば、どこかで必ず聞こえる! くらい。


 それも、いっぺんに全曲ではなく、部分的に放送されていたことが多かったような気もします。


 最近は、ラジオでは、まったくと言っていいくらい、お目にかかることもなくなりましたが、この協奏曲、当時は、それなりに評価されたようで、アメリカでも録音されました。


 絶対音楽としての『協奏曲』ではなくて、『標題音楽』の要素が強いです。

 

 『前奏曲・黄河の舟歌』『黄河を讃える』『黄河の憤り』『黄河を守れ』の4楽章形式。


 民謡的な素材が多く、日本人にはいささか、懐かしいなあ! という雰囲気も感じられるところは、共通の文化背景が流れているからでありましょう。


 ただし、ピアノの動きには、欧米の『ピアノ協奏曲』のさまざまな動きを巧みに取り入れているので、そういう意味では、いくらか、あ、ここはチャイコ先生風、お、ここは、なんと、シンディング先生風・・・・とか、勝手に感じる場面もありますが、これは何故か、西洋音楽を作曲の基礎とする作品ですから、当然なことでありましょう。


 ときに、中国さまが最初の人工衛星を成功させたさい、この曲の中のモティーフを、確か宇宙空間から送信していたように思います。

 オルゴールのような感じだったような………


 その音も、随分ラジオに乗っかって聴いたような気がいたします。


 日本は、『大阪万博』と、その後の高度経済成長の真っただ中で、働け働けの時代で、父も三交代しており、夜中に呼び出されたり、しょちゅういなかったりで、なにかにつけて、忙しい忙しい、でもどこかは、荒れた世の中でした。


 おっとり、わがままぼうずのやましんは、そのころから、すでに社会からは、いくらか離脱していた部分が多かったように思います。


 さまざまな面から見て『発達障害』の可能性は高かったわけです。


 まあ、前向きに自己評価するなら、かなり『個性的』だったわけです。


 クラシック音楽だけは、小学生時代からやたら良く知っていて、全学年集めての授業で『曲当てクイズ』をやると、やましんが全部当ててしまうので、担任から『やましんは、もういい!手を挙げるな!』と叱られたものです。


 都合のいい時は、やましんは、『へそ曲がりの変人で、きちんと何もできない。』と叱り、都合が悪くなると、『もう手を挙げるな!答えるな!』 と叱られ、でありまして、こんりんざい、学校なんかでは、もし答えを知ってても、ちゃんと答えてなんかやらないぞ~~~、とか思ったとしても、あまりおかしくはなかったような・・・。まあ、知らなくても答えないけど・・・(先生、ごめんなさあい!)


 CDも数種類出ていたような。


 現在でも、ネット通販あたりで、入手可能かもしれないです。


 ときに、『集団制作』というのが、どのようなやり方だったのかわかりませんが、複数の作曲家が、ひとつの作品を作る、と言う意味だけならば、過去になかったわけではなく、たとえば、モーツアルト先生がからんだ『歌劇 賢者の石』『レ・プティ・リアン』、ブラームス先生、シューマン先生、ディートリヒ先生が組んで作った『F.A.Eソナタ』。ベルディ先生が中心になって作った、ロッシーニ先生の為の追悼『レクイエム』など、探せばいろいろありそうです。



******** うき ⛰️🌋🏔️ うき ********








 






 



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