第92話 『チェロ・ソナタ第3番』 ベートーヴェン
おそらく1808年初頭の作品ということですが、この年の12月に『交響曲第5番』『第6番』などの初演が、いささか混乱状態の中で行われた・・・。
そういう年なんだそうであります。
なにかと、お騒がせ話しもよく持ち上がる、べー先生の周辺ですが、人間的にどうだったのか、とかと、いうことはともかくとして⇒《・・・むかしは、偉人と言われる方については、人間的にも当然高潔であるべきだ、と、あたりまえに考えられたものですし、小中学校の音楽室の肖像画(いまはどうか知りませんが・・)も、そうしたことを暗示している気は、今から思えば、なああんとなく、するわけですが。最近は社会的な高い地位にある偉い方などについては、すぐに様々な情報が、フィルターなしに出回ります。芸人さん関係もそうですね。これは、こと権力の座にある方については、基本的には、まず必要な事なんだとは思いますが、一方で、フェイクなのか真実なのかと、なにかと、ITがらみでも、あやしいトラブルも多きこと、の様子です。以前と違って、100年後にも詳細な映像・音声付きで、こうした記録は残るんでしょうけれど、かえって、訳が分からないかもしれないですねぇ。世の中は、難しいものです。ときに、ブラームス先生(1833~1897)位の時代になると、様々な情報がわりとはっきりしてきますが、べー先生(1770~1827)くらいの時代に遡るとなると、霧がかかった部分も、どうやら多くなる様です。この曲も、初演の情報は、つかめなかったです。・・・》
⇒その音楽は、時には、相手をぶんなぐってでも(たとえ話し、ですから・・・)生かしてしまうような、大変に強制的な側面と、大きく、がしっと抱擁されてしまう、きわめて全人類への深い愛情にあふれた側面と、非常に繊細な部分と、大変幅が広いという特徴があります。
この曲は、全部の特徴が現れた、傑作であります。
第1楽章は、それこそ極めてその振幅が大きい、巨大な音楽であります。
雄大にして繊細。
繊細にして革新的。
第2楽章は、これだけで、たいへん素晴らしく、勇猛でもあり、太っ腹な音楽でもあります。
この曲には、『緩徐楽章』と言われるべきものが(ゆっくりとしたテンポを採る中間楽章)ないよ、と言えば、ないよ、なのですが、『第3楽章』の前半部が、事実上その役割を果たしております。
生き生きとした活力満載の『第3楽章後半』は、この時期のべー先生らしい、いつも落ち込み状態のやましんにさえも、いささかの勇気を与えてくれる、よい音楽であります。
好き嫌いは別として、また、けっして神様じゃないけど、やはり、ものすごい精神力を持った、とてつもないお人だったことは、間違いが無いところでしょう。
でも、やましんは、そう言う方は、怖いので、お近づきには、あまりなりたくないです。前にも、そう書いたかな、と思いますが。なるわけも、ないですが。
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