第1話

アステリア国はナイアード国と交戦中であった。

アステリアは東の小国でイーリアス大国の同盟国であったが、ナイアードがイーリアスの金山を目的とし、隣国のアステリアに侵攻したのである。

どの国も自国の領土と富を求めており、世はまさに戦国時代であった。

ナイアードはその中でも突出した軍事力を有し、次々と小国を蹂躙してその国力を高めていった。

既にナイアードに絡め取られた国は大小合わせて8ヶ国にも上っていた。

そのナイアード率いる4万5000強の軍が、今まさにアステリアの城下町を包囲していた。

対するアステリア軍は1万弱。籠城してから7日が経っていた。

豪奢な謁見の間には、疲れ切った軍師が玉座に向かって膝をついている。


「王よ、最早イーリアスの援軍も望めず、国庫の備蓄も底を尽きかけております」

「…これまでか…」


答えた王はまだ若い声で、端正な顔立ちに苦渋の表情を浮かべた。

王を囲む宰相や重臣達の中に戦意のある者はなく、ナイアードの苛烈な戦術に最早打つ手無しと見た若き王は決断する。


「皆、覚悟を決めてくれ」


下を向いていた従者達が一斉に顔を上げる。

降伏か徹底抗戦か。

どちらにしても王や重役達の命はなかったが、この2択には大きな差がある。


「降伏する‼」


若々しい声を張り上げた王は、立ち上がるとすぐ様降伏の意をナイアードに伝えるべく指示を出す。

王はこれ以上の抵抗で、国を荒らすことを避けたのである。

アステリア国第13代国王、エリュシオンは自らの命と引き換えに民を守ることを選択した。



(どうしたのだろう?)


ここ数日、書物は疎か食事すらも届かない。

それどころか、固い鉄門扉の前に人の気配も無かった。

いよいよ殺されるのだろうかとそれでも静かに本を読んでいた日、突然の怒号が響く。


「何だこの強固な牢は!」

「余程の国事犯でも入れているのだろうよ」

「とにかく開けろ!牢が足りんのだ!」


石畳が響く程の大きな音を立てて錠が外された。

重苦しく軋みながら開けられた扉の中を見た2人の兵士は驚愕する。

大量の書物に囲まれて投獄されていた男の頭には鉄の仮面が被されていたのである。


「…な、何だ…こいつは」


逡巡した後。


「お、おい。…大隊長に知らせろ」

1人が去って行ってから数分後、大柄の騎士が男の前に現れた。

訝いぶかしながらも静かに質問する。


「お前、何をしてこんな所に居るのだ?」

「……解らない」

「何?」


男には本当に解らなかったのである。

物心ついた時には既にこの中だった。

師と呼ぶべき老人も、その事については何も語ることが無かった。


「…ずっとここに居た。理由、解らない…」


少しカタコトのような話し方になっていたのは、もう数十年程も言葉を発してこなかった為だ。


「…その仮面は何だ?」

「……解らない」

「名前は?」

「……解らない」

「えぇい!解らんでは解らんではないか‼」


イライラし始めた騎士は投げやりに言うが、男にはそれ以外答える言葉が無かった。

騎士は部下に仮面を外すよう支持する。


「しかし…錠がかけてあります」

「斧でも槌つちでも構わん!とにかく仮面を外せ!」


前のめりに身体を固定され、斧が水平に錠を叩く。

男の頭部に強したたか衝撃が走り、数十年前に付けられた錠は呆気なく弾け飛んだ。

後頭部で合わせられた鉄仮面は、甲高い音を立てて石畳に落ちる。

露あらわになった男の顔面には、ビッシリと伸びた漆黒の髪や髭がこびり付いていた。

騎士は顔を確認する為に、しかし汚い物を触るかのように指先で前髪を掻き分けた。

痩せコケた顔を確認するが、年齢どころかまるで誰か解らない。

これが男の幸いであった事は誰も知らない。

暫く考えた騎士は決断する。


「外に連れ出せ!大方、国に仇なした大罪人であろう」

「…よろしいのですか?」

「滅んだ国の罪人など知らん!牢が足りんのだ。この広さなら4〜5人は入るだろう」

「…して、この者は?」

「放っておけ!急げよ!」


こうして、男は生まれて初めて、外界に足を踏み出したのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る