名言・名タイトルについて考えてみたり、考えなかったり

まめたろう

第1話 ダフィット・ヒルベルト

本日の名言

「我々は知らねばならない、我々は知るであろう」

(Wir müssen wissen — wir werden wissen)


 記念すべき第一回は、19世紀末から20世紀初頭を生きた大数学者ダフィット・ヒルベルトの言葉をお借りします。


 ヒルベルトは「現代数学の父」とも呼ばれる大数学者です。それはあるいは一人の数学者が数学全体に精通していた最後の世代の人間だったということもできましょう。

 数学者として超一流の業績を残した彼ですが、彼が「大」数学者と呼ばれるのは、19世紀最後の年、1900年に「ヒルベルトの23の問題」を発表し、(彼なりの)数学の最重要課題をまとめました。そしてこれが、20世紀の数学の方向性を形作ったことにあります。当時未解決だった23の問題のうち現在までに18個までが解決されています。


 上記の今日の名言は「我々は知らない、知ることはないだろう」( Ignoramus et ignorabimus)というラテン語の標語を受けてのことです。

 古くからあったこの標語は19世紀末、ベルリン大学教授の生理学者エミール・デュ・ボア=レーモンによって、「ある種の科学上の問題について、人間はその答えを永遠に知りえないだろう」という意味で使用されました。

 これを批判してヒルベルトは1930年の自らの講演の最後の言葉として「我々[数学者]にイグノラビムス[不可知]はない、また私が思うに、自然科学にもイグノラビムスはない。馬鹿げたイグノラビムスに対し、我々のスローガンはこうなるだろう。「我々は知らねばならない、我々は知るであろう」と語りました。


 この言葉は非常にロマンチックで、科学者の持つ根源的で純粋な野心を感じさせます。

 レーモンの唱える不可知論は一見して正しいように思えます。しかし、そんなことはそこに辿り付いてみないと分からないモノです。

 不可知論を前に、我々は歩みを止めていいのでしょうか。今日の名言は我々を叱咤激励し、一歩を踏み出すことの大切さを教えてくれているような気がします。

 数学と比べるのはおこがましいですが、私たちの創作活動も日々、書き続けることでしか、その価値を知ることはできないのだと思います。

 我々は書かねばならない、我々は書くだろうってことでしょうか。


 ヒルベルトは数学に関して形式主義という立場をとりました。数学における証明を形式化する(つまり最小限の「公理」に「推論法則」という操作を有限回繰り返すことで「定理」に辿り着くというゲームとして捉える)ことで、数学全体の完全性と無矛盾性を示そうとしたのです。これはヒルベルトのプログラムと呼ばれます。

 この野心的な計画は1930年,ヒルベルトが記念講演で「我々は知らねばならない、我々は知るであろう」と宣言したまさにその前日,同じケーニヒスベルグ大学でクルト・ゲーデルが発表した『不完全性定理』により深刻な影響を受けることになりました。

 しかし、現在でもヒルベルトのプログラムは否定されたわけでなく、研究は続けられています。ヒルベルトが考えていたほどに楽観的なものではなかったとしても、不完全性定理もまた数学界に大きな実りを与え、新たな分野を開拓しました。

 科学者にとって否定的な解決は決して後退ではなく前進なのです。



 ※著者は、数学の専門教育を受けたことのない、典型的な文系人間ですので本文中に多くの誤りがあるかも知れませんが、ご容赦ください。

 ※ちょっと理屈っぽくなりすぎたかな。2回目はもっとゆるーい内容にしたいと思います。

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