第24話

 そこまで拒絶されるとは、それはそれは見事な逃亡劇だったのか、

結果的に国生は黄泉に触れられない体となった訳だ。


「桃、か……クソ、腹減った……」

「うん。見つけても食べないでくれよ?」

「当たり前」


 食い意地のまま意富加牟豆美命に齧りついては本末転倒。

然し、この地下鉄トンネル内に桃が実っているとは、やはり想像が出来ない。

きっと、突飛な所に生えているのだろう。


「ンで、国生は犠牲にしたその3つを、今度は俺達を使って取り戻そうってか。

 今更って気もすっけどな?」

「うん。どうして又そんなものが必要になったのか……

 黄泉に拒絶されてる国生サンが取り戻しても、意味があるとは思えない」


 無事に逃げ果せる為のアイテムとして必要な代物なのは解かったが、そもそも黄泉に立ち入れない国生が、それらを使う機会は無いだろう。

然し、国生の様な得体の知れない男の考える事に検討はつくまい。

斡真は腹を摩る。


「そぉいやぇ、チビから貰ったケーキん中に桃が入ってたっけなぁ」

「そうなの? こうゆう状況で桃が食べられる何て縁起の良い男だよね、斡真は」

「縁起? 何だよそれ」

「知らないの? 桃は昔から……」


 言いかけて、由嗣は『ああ!』と納得の声を上げる。


「どうした?」

「そうか、だからか……3両目で意識を失っていた斡真が、水を飲まずにいられた理由……」


 斡真は3両目では睡魔に負けて、顔面から泥水に突っ伏している。

然し、その際には一滴の水も飲んでいない。

意識を手放し、体力すら底を尽いていたにも関わらず、奇跡的にも2両目に戻る事に成功した点は、フェルミ推定でも計測不能か知れない。

由嗣は そのレア現象の数々が、事前に食べていたフルーツケーキの桃にあると言いたい様だが、やはり発想が突き抜けている。


「やっぱり斡真は、希に見る強運の持ち主だ!」

「ハァ?」


 一流大学に通う一流の脳ミソに、三流大学の三流脳ミソが太刀打ちするのも無駄な話か、

斡真は首を傾げるばかりだ。


 さて、左右前方・天井にと隈なくライトを向け、注意深くの探索をする中、奇妙な音が耳につく。2人は足を止め、互いに目を合わせる。


「由嗣、何か聞こえねぇか?」

「ぅ、うん……声、かな?」


 耳を澄ませば、前方の暗闇を縫う様に僅かな声が漂っている。

女のものだろうか、見通しの悪い この暗闇に隠れている者があるとすれば、それは異形に違いない。


「聞こえるって事は、近いね……」

「まだ引き返してもいねぇのに、今度はお出迎えの準備かぁ?」


 深々と沈む暗闇の先を、じっと見据える。



*



 一方の結乃は手摺りに掴まり、4両目に続く貫通扉の先を見つめ続ける。


「斡真サン、由嗣サン……」


 待っているのも気が気では無い。

貫通扉からの闇を見つめ続ける結乃の背を、国生は流し見る。


「まだ時間に猶予はある」

「2人が戻って来るまで、ここで待っていたい……」


 例え2人が意富加牟豆美命を手に入れる事が出来なかったとしても、迎え入れるくらいの事はしたい。

2人の安否を気遣って止まない結乃の姿に、国生は小さく頷く。



「黄泉にはヤツガレの愛した、妻であり妹がおる」



 国生の言葉に、結乃は瞠若。

躊躇いがちに振り返れば、国生は相変わらず定位置に腰かけ、愁いだ表情を浮かべている。

黄泉に触れて負った怪我は、ケロイドの痣が僅かに残るばかりに塞がっている。


「……奥サン、ですか? 妹サン、ですか?」

「妻であり、妹だ」


 兄妹で婚姻したと言う事だろうか、結乃が困惑を隠せない中、国生は静かに続ける。


「妻は沢山の子を産んでくれた。然し、産後の肥立ちが悪く、命を落としてしまった」

「そう、ですか……それで、国生サンの奥サンは黄泉に選ばれてしまったんですね?」

「否。それは違う。」

「?」

「ヤツガレが堕とした」

「え?」


 結乃は耳を疑う。

見て来た黄泉は暗く、腐臭は漂い、じっとりと湿った肌触りの悪い空間。

そんな場所に、最愛の女を堕とす必要があるのだろうか。


「聡明である我が妻は、浄土へと向かっていたのだ。

 然し、それをヤツガレが引き戻した。

 どうしても最後に一目……今一度 会いたいと願うが故に……」


 妻にとっても国生は最愛の夫。

その夫の望みに応えるべく、妻は浄土から踵を返してしまったのだ。


「ヤツガレが死者である妻と逢えるのは、この黄泉比良坂に限られる。

 然し、ヤツガレは知らなかったのだ。決して黄泉を見てはならぬ事を……」



『貴方様、暗いからと言って火を焚いてはなりませんよ?』

『何故? それでは愛するお前の顔が見えぬではないか』

『こうして再び会う事が出来たのですから、それで宜しいではありませんか』

『否。お前に会っては焦がれて止まぬ。共に現世に戻ろう』

『出来ませぬ。私は貴方様にお会いする為、黄泉の物を口にしてしまった……』

『それが何だと言うのか?』

『私はもう、黄泉の者になってしまったのです……』

『ヤツガレがこれ程 望んでいると言うのに、お前は帰れぬと申すのか?』

『……帰れませぬ。こうして暗闇の中、貴方様とお話するのも今宵1度ばかり』



「2度と会えぬなら尚更の事。

 ヤツガレは妻の顔を目に焼きつけるでも無くば、帰れぬ思いになった」



『ぁ、貴方様、何を!』



「ヤツガレは妻が拒むも聞かず、松明に火を点け、闇を照らした」



『イヤァアァ!! 見てはなりませぬ、見てはなりませぬ!!』

『どうした、我が最愛の妻よ! どうか一目、その美しい顔を見せてくれ!』



「羅川結乃、黄泉の一片を見たお主には知れよう。

 我が最愛の妻が如何に醜悪な姿に変わってしまったのか……」


 黄泉に現れた異形達は、肉は爛れ、干乾び、生前の姿なぞは想像も出来ない程に変わり果てている。

最愛の妻がそう成り代わってしまったと知った瞬間の国生が、どれ程の衝撃を受けたか知れない。そして、そんな姿を見られた妻の苦痛は言外だ。



『見てはならぬと、吾程にも申しましたのに……それを、それを……

 こうなっては、ここから貴方様を帰す訳にはいきませぬ。

 私と共に、ここに留まりなさいませ……』



「ヤツガレは恐れた。醜い姿となった妻を。

 気づけば、ヤツガレは妻に背を向け、逃げ果せようと走っていた」



『貴方様! 何故に逃げますか! 私の事を吾程 愛してくださったのに!!

 私は貴方様に逢う為に浄土を下り、こんな姿になってしまったと言うのに!!

 そんな私を置いて、黄泉から逃れようと言うのですか!!』



「羅川結乃よ、お主の言う通り、ヤツガレは何ものにもなれぬ成り損ない。

 最愛の妻を黄泉に引きずり下ろし、あまつさえ、拒絶した非道な男なのだ」



『おのれェエェエェ!! 私を辱めた忌々しい男め!!

 私はお前を決して許さぬぞ!! 私はお前の関わる全ての事象を呪う!!

 そして全てを滅ぼす!! 必ず、必ず!!』



「それ以来、ヤツガレは最愛の妻の呪いに縛られておる」

「そんな……」


 その呪いを打ち払うべく、これ程の無理難題を押しつけているのか、

だとすれば、国生も必死なのだろう。


「全てヤツガレの不徳の致す所。皆にはすまぬと思っておる……

 然し、引けぬ理由があるのだ」

「理由?」


 国生は4両目の闇に目を向ける。


「意富加牟豆美命さえ取り戻す事が出来れば、万事、収束させてみせようぞ」




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