第2話 なんかいろいろいたわけで(エルフとか女僧侶とかドラゴンとか)
おうどんがすやすやと寝息を立てている最中、ふと耳がぴくぴくと動いた。何か聞こえてくる。会話のようだ。それも剣呑な。
「……だからバッカじゃないの! 何なのよ、知らないわよ、聞いてないわよ、こんなとこにドラゴンがいるなんて! ホント、バッカじゃないの! 信じられない! 何、死ぬの? 死にたいの? バカなの!?」
「落ち着きましょう。まずは深呼吸ですわ。ゆっくり息を吸って、吐いて。ね? そうすれば気分もすっきりするでしょう」
「ああ、もう、最悪だわ! 気分がすっきりしたらドラゴンがいなくなるとでも言いたいのかしら!? これだから司祭はノーテンキって言われんのよ! ホント、バッカね! さっさと片づけるわよ! 私はまだ死にたくないんだから!」
「あらまあ、私だって貴方の臨終に立ち会いたくありませんわ。今際の際の祈りの言葉って存外疲れるですのよ。それに貴方は信仰心が弱いですし、というか、ありませんですし。地獄じゃあまりにも無残、せめて煉獄に誘うとしても、それはもう、途轍もない量の信言を重ねなくては。……せっかくの機会です、悔い改めてみてはいかがでしょう?」
「やだやだやだ、そんな暇あるわけないじゃない! ちょっとは何とかしてよ! 頭、遣ってよ!」
おうどんはむくりと顔を上げた。見るとこちらに二人の少女が駆けこんできている。一人は必死の形相で、もう一人は気怠げに。
問題はそこではない。
彼女達の背後に迫る巨大な生き物だ。鳥でもないのに翼がある。鹿でもないのに角がある。トカゲに似た風ではあるが、逆立つ鱗一枚一枚が刃のように鋭い。赤黒い皮膚に、金色の瞳、何よりも大きい。おうどんの住んでいた家、三軒分はあるだろうか。そして、口から時折、灼熱の炎が吹き出ていた。
これは前に美咲とテレビジョンで観た、恐竜というものだと思うんだけども。
二人はおうどんを前に、化け物へと振り返った。彼には気付いていないようだ。だが、ここから先は石壁に遮られ、行き止まりとなっていることは理解しているらしい。
化け物は足を止めると、二人をじっくりと睨め回した。もちろん、おうどんには気付いていない。猫は小さいからね。
「もうやるしかないじゃない! ホント、バッカみたい! ヒタチ、覚悟は決めた?」
「ええ、もちろん。フィアット、貴方を悔い改めさせるのは次の機会にするとしましょう。あるとすればいいのですが」
小柄で耳が尖っている女は杖らしきものを構えた。となりの胸のふくよかな女性は両の手を握りあわせた。
化け物は大きく息を吸い込む。おうどんは美咲に悪戯で掃除機にしっぽを吸い込まれたことがあるが、そのときと同じようだ。ただし掃除機の吸い込み口は小さかったが、化け物の口ははるかに大きく、その吸引力は凄まじい。
「来るわよ!」
「ええ、準備はできてますわ」
次の刹那、化け物の口からキラキラと光り輝く、激しい火炎が吐き出される。おうどんも横になっている場合じゃない。慌てて飛び上がる。台所のガスレンジとは桁が違う。火達磨になる。否、消し炭になる。そんなことは猫でもわかる。
すでに手遅れだった。どうにもできず、耳をぺたんと伏せる。
ところが。
「……幸いなるかな。神の御言葉を聞きし者は。幸いなるものかな。神のご加護を得たる者は。されば、祝福したまえ、卑しき人の子達を。奇跡光輪。
黄金色のカーテンのようなものが天から舞い降りると、おうどんらを包み込んだ。窓ガラスにバケツの水をぶちまけたときのように、爆炎は黄金色のカーテンに四散する。
「フィアット、今です! 悲しいことですが、今の私の力では、神からの祝福は一度だけです!」
「わかってるわよ、バッカじゃないの! 私だって最大魔力でいくんだから! ……集え、笑え、踊れ、盛大に。今こそ許さん、汝ら主たる私の名のもとに。狂騒は終え、幻想を紡ぐ、秘呪解禁。
おうどんは静電気で毛がパチパチとなる音を聞いた。化け物の頭上、空間が歪むのを見た。そして、そこから破裂するように、雷光がほとばしる。家の軒先で見た、落雷など比ではなかった。無数のも雷が化け物に降り注がれた。地響きとともに。
とんでもないところにでくあわしてしまった。俺の方が先客なのにも関わらず。
おうどんは人間達が不思議なテクノロジーを使っていることを知っている。いきなり火をつけたり、お魚を凍らせたり、はたまた空を飛んだりなど。だから、目の前の物事もすべて人間のなせるテクノロジーだと理解した。
「……ヒタチ、私、悔い改めようと思うんだけど」
「殊勝なことですわ。神もお喜びになるでしょう。けれど、突然どうしましたの?」
「あれはただのドラゴンじゃない。
「貴方の戯言はいつ聞いても、聞くに耐えません。そういう冗談は好きじゃないですわ。そのような神話級の怪物などおいそれと存在しません」
「バッカじゃない! 完璧結界なんか使うドラゴンなんて、普通いる? 私の魔法がかすりもしなかったのよ! この私の秘呪が!」
話の中身はよくわからないが、二人は口論しているようだ。先ほど貧相な娘のテクノロジーのおかげで化け物を倒したのではないか。手柄の取り合いか、それなら猫の世界でもよくあることだ。仕方ない。
おうどんはすっかり安心してクカーと欠伸をした。
もうもうとしていた黒煙が徐々に薄れていく。あれほどの巨大な化け物だ。さぞや食べごたえがあるだろう。たぶん、味はトカゲや蛇と変わりない。あの青臭さは嫌いではない。
辺りには黒煙がもうもうと立ち篭めている。焼けた青草の生臭い匂いがした。
「だからあれほど神代遺跡は迂回するべきだと言ったのです」
「いいから、ヒタチ! さっさと防御魔法よ!」
「フィアット、貴方こそ、次の攻撃魔法を!」
「「そんな力、もう残ってない!」ませんわ!」
二人のやりとりをぼんやりと眺めていたおうどんは、堪らず跳ね上がった。
突如、黒煙の中から巨大な口が眼前に突き出されたからだ。大きく開かれたその中には、びっしりと鋭利な歯が並んでいる。
「ああ、もうサヨナラね! あんたはバッカな女だったけど嫌いじゃなかったわよ!」
「私は天国、貴方は地獄行き、二度と会うことはないでしょう。……それは残念です」
化け物の口に空気が流れ込んでいく。その咽喉の奥に、火炎が渦巻いているのを見た。
先のように火を吹くのか、それとも一思いに丸齧るのか。
これはいよいよ大変なことになってしまった訳なのだけれども。
おうどんは、こんなところでこの世とお別れすることを哀しく思った。それでも覚悟はできた。ネズミだろうと蛇だろうと雀だろうと、おうどんとて彼らの命を奪ってきたのだ。強い者だけが生き残るのだ。世界は残酷で、それだから楽しいのだ。
そのとき、初めて化け物と目が合った。金色の眼に縦に伸びた黒い瞳孔。ふすっとその巨大な鼻から息が漏れるのを聞いた。
それは嘲笑だった。小さき者に対する侮蔑だった。
瞬間、おうどんの頭の中が真っ赤に染まった。
てめ、なめテンじゃねえぞ!! ぶっ殺してヤラあ!!
おうどんは柔軟な脚をしならせると、弾丸のように宙を駆けた。そして化け物の鼻先に喰い突く。両の手の爪を全開にして、その顔を切り刻む。咬み千切り、ずたずたに切り裂く。目茶苦茶に。滅多矢鱈に。怒りのままに。
おうどんの爪と牙は、化け物の頑強な皮膚をも容易に貫いた。まるで障子紙に穴を開けるように。
教訓・猫はキレると手に負えない。
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