ダイヤモンドの選択
エノコモモ
第1話 さよなら日常!
よく晴れた空の下、木の生い茂る山の中腹。
その緑には似つかわしくない、金色の髪が揺れる。
深い森の中には、人間の姿はなく、生き物はここを住処にしている動物のみ。
きっと森林浴やハイキングには最適だろう。
だから彼女は大きく息を吸って、普段は出せないような大きな声を出した。
「今は迷惑なだけだっつーの!!」
その音にバタバタと鳥が逃げて行く。
深い深い森の中、
「ウネウネした道路よりこっちの方が早いと思ったのに…このっ…ド畜生…!」
息も絶え絶えに前へ進むが、恨み言を吐くのは忘れない。
彼女の首元からは滝のような汗が吹き出し、それがネックレスを伝って非常に不愉快だ。
さらにその背には大きなリュックが鎮座しており、彼女の歩みを邪魔する。
体力には自信のある方だが、舗装されていない獣道を長時間歩くことがこんなに負担だとは思わなかった。
「なんでっ…こんな山あんだ、よっ!?」
ずるんと泥に足を取られ、前につんのめった勢いで顔から着地する。
「こ、この…!」
怒りに震えながら顔を上げると、巨大なクスノキが彼女の視界いっぱいに映っていた。
周囲の木に比べてあまりに立派で、その美しい佇まいに思わず見惚れる。
(この木…どっかで…)
「……あ」
ぽんと手を打ち、その重たいリュックを根元に投げるように置いた。
そして軽く腕をほぐし、木に手をかける。
少し下に引っ張るが、見た目通り頑強な幹はビクともしない。
そのことににんまり笑って、麗子は上へ登って行った。
「森の中からだと方向わかんなくなるんだよね。でもこんぐらい立派な木のてっぺんなら、街ぐらい見えるっ、しょ」
枝に手をかけ身体を持ち上げる。
すると麗子の目に、予想以上の絶景が飛び込んできた。
眼下には一面の緑が広がり、麓には小さな町。
建物はここからだと小さく見え、まるで小人の住まいのようだ。
町の向こうの海は太陽の光を反射して、きらきらと輝いている。
「あっちが街かー…まだ遠そうだな。方向が分かっただけいいけど」
そう言いながら麗子が、目の前の枝に手をかける。
その瞬間、バキンと嫌な音がして、彼女の身体が浮遊感に包まれた。
「えっ」
しまったと思った時にはすでに地面が迫っていて、走馬灯がよぎる暇もない。
(ああ…でも、死ぬのも悪くないか)
そうひとりごちて、意識を失った。
「気持ちよさそうに寝てるね…」
「水でもぶっかけて叩き起こしちまえよ!」
見知らぬ声が聞こえて、麗子の意識が少しずつ上がってくる。
「でも可哀想だよ」
「ひとんち壊しといてグースカ寝てるふてえ女なんだ。遠慮するこたねえぜ!」
言い終わらないうちに、麗子の胸のあたりに圧迫感が生まれる。
どうやら何かが乗っているようだが、残念ながら彼女は寝起きが悪い。
「ん…うるさい」
「ぐえっ!」
胸に乗った何かを片手で掴み、ぎちぎちと締め上げた。
「ぐ…ぐえ…」
「わーっ!だめだめ!見たことない顔になってる!」
甲高い声が聞こえて、固く閉めた手が包まれる。
その冷たさに、麗子がぱちりと目を開けた。
「…誰?」
目の前には髪も瞳も肌も真っ白な青年の姿。
光に当たって虹色に輝いていて、麗子の頭が一瞬、何も考えられなくなった。
青年も突然起きた麗子に少し驚いた後に、人懐っこい笑みを浮かべる。
「さ、先に手を開けてくれると嬉しいな」
彼女がみちみちに締め上げていたのは、小さな梟だった。
「……」
麗子がきょろきょろと辺りを見回す。
よくよく観察したり、頭が沸騰するほど考えてみるが、やはり理解ができず目の前の青年に視線を戻した。
「…ここ、どこ?」
麗子の記憶が確かならば、彼女はそれはもう緑豊かな山の中に居たはずだ。
(うん。やっぱりそれ以外思い出せない)
「なのになんで…こんな天国みたいなとこにいんの?」
眼が覚めると、麗子は非常に幻想的な世界の中にいた。
色鮮やかな花は咲き乱れ、この世界のほとんどを覆う水面は驚くほど透き通っている。
建物は真っ白だが、どこか日本家屋を思わせる作り。
そしてなにより山の斜面ではなく、平地だ。
(アタシ…死んだ?ここは天国?)
「天国!天国に見える?綺麗ってことだよね!」
麗子の前で、まわりの家よりも白い青年が嬉しそうに目を輝かせた。
歳は20代ぐらいだろうか。
その笑顔はどこか幼く見える。
「僕が作ったんだよー。大変だったけど、そう言ってくれて嬉しい」
「つく…?」
「おい!何和んでやがる!」
麗子がその言葉を理解する前に、ドスの効いた声が飛び込んで来た。
「……」
まだ、この青年とこの世界だけなら、少し頭のおかしい男性と天国にいるのだと無理矢理納得できる。
(でもこれは…これはないだろ…)
そう思いながら目線を下に戻すと、まんまるな瞳と目があった。
「何見てんだよ!俺様のナイスバディを潰したブスが!」
「あ?焼き鳥になるか?」
自分の置かれた状況に唖然としながらも、敵意だけは見逃さない。
彼は翼をばたばたと動かしながら、慌てて青年の影に隠れた。
「梟なんだよなあ…喋る梟」
「文句あんのか!」
少しだけ顔を出して、梟が怒鳴った。
見た目は小さく可愛らしいが、天国のマスコットキャラクターにしてはずいぶん口が悪いし、他にもっと適した動物がいる気がする。
「神様も、もうちょっと考えろよ…」
「ん?呼んだ?」
「え?」
目の前の青年が首を傾げている。
その反応に麗子も首を傾げる。
「……?」
「埒が明かねーな!
「喧嘩売ってんのか?」
ぶん殴ろうかと腰を上げるが、その〝説明〟が気になるので大人しく座り直す。
凛と呼ばれた青年が、何から喋ろうか考えあぐねいた後に、口を開いた。
「ええと…まず僕は神様なんだけど。あ、こっちの梟は
「……?」
「あっ神様って言っても、そんなに有名ですごい神様達とは違うよ。この地域限定の山神ね」
「よくわかんないけど、神様ってだけですごいし卑屈になることないんじゃね?」
早々に諦めた麗子の発言だったが、凛は嬉しそうに笑う。
「そうかなあ。麗子ちゃんは優しいね」
「ん?なんで名前知って…」
「家壊した奴が優しい訳ねーだろ!ちゃんと文句言え文句を!」
「…家壊した?」
麗子が黙る。
少し考えて、心当たりがないと首を振った。
「敵勢力のアジトとかバイク壊したことはあるけど…家はないわ」
「あんのかよ!ちげえから!俺たちの家!」
「家…?」
「ね、麗子ちゃん。さっき木の上から落ちなかった?」
凛の言葉に、麗子の記憶が蘇る。
ぽんと手を打った。
「あ、落ちたわ!死んだと思ったもん!ふてえ木だから大丈夫だと思ったけど、枝はよえーな!」
「それ」
「えっ」
「麗子ちゃんが壊した僕らの家。その木なの」
(家…?)
理解が追いつかない麗子だが、凛はどんどん続ける。
「この世界が僕らの家なのね。木が折られたことで端の方に穴が空いて、そこから僕の神力も霧散しちゃったの。だから麗子ちゃんに、神力を集めるのを手伝ってほしいんだけど…」
「神力…?集める…?」
「手伝いをすりゃいいんだよ!おめえが大事そうに持ってた指輪が人質だぜ!」
「はぁ?…あ!!」
麗子が慌てて自分の首元を探った。
(ない!)
確かに首にかかっていたチェーンが、その先に付いていた指輪が、消えている。
「てめえええ!!返せオラアアア」
「わー!待って待って止まって!」
鼓太郎を丸呑みにせんばかりの気迫に、凛が慌てて止めに入る。
「手伝ってくれたら返すから。ね?お願い!」
「引っ越してきたばっかりなのに、枝を折ったぐらいで怪しげな手伝いをさせられてたまるか!」
「う」
凛の大きな瞳に、まるで水槽のように涙が溜まった。
麗子がぎくりと体を震わせる。
「僕が一生懸命時間をかけて、頑張って貯めた神力だったのに…これがないと、僕は存在できないのに…」
こう下手にでられると麗子は弱い。
慌てて凛に向き直る。
「な、泣くなよ…そんなに大事なものだったとは知らなかったんだよ…」
「なら、手伝ってくれる?」
「え…」
「大丈夫。嫌なことはしなくて良いから」
「やらせたくてもできねーよ」
麗子に嫌がることをやらせたら、この辺り一帯焦土と化しそうだ。
鼓太郎の鋭い指摘が入るが、それを無視して麗子はウンウン考える。
正直言ってやりたくはない。
よくわからないしとても怪しげだ。
(でも…)
凛は、キラキラと期待を込めた眼差しで、麗子を見ている。
その目があんまりにも熱烈で、彼女は気がついたら首を縦に振っていた。
「…少しだけだからな」
「やったー!」
凛は両手を挙げて喜び、楽しそうに駆け回っている。
その様子を見ながら、麗子はこれで良かったのだろうかと急な後悔に襲われた。
自分はもしかしたら、とんでもない選択をしてしまったかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます