第零話:始まり
雨: 空気中の水蒸気が冷えて雲となり、水滴となって空から降ってくるもの。(明鏡国語辞典より)
初めてこの文字を目にしたのは確か六歳と二ヶ月の昼下がり。
僕の家が管理しているのは地下都市 《コバルティア》唯一の図書館、蔵書数は確か1720冊、開架に出ているのはそのうちの1200冊で、残りは書庫にある。たまに虫干しする時に入れ替えたりもする。どうしてそんなに細かく覚えているかって?そう、この話すると皆驚くんだけど、僕はどうやら人よりもかなり記憶力が優れているらしい。普通じゃないとも言われるけど、僕の普通はこれだからよくわからないや。
話は戻って、僕がそこで本格的に司書業を手伝うことになってちょうど二ヶ月経った時のこと。その本を蔵書点検の折、『開架-451:気象』の場所で見つけた。地下都市 《コバルティア》は文字通り地下にある都市だから天気の変化はない。天気とはどんなものか、知るよしもなかった。
「水蒸気って、湯を沸かした時に出る奴とおんなじだよね。それが固まって雲になる……。うーん、霧みたいなやつかな」
霧ならわかる。この都市を治めている《族長》の家の周りがやけに寒くて白いもやが常時立ち上っている。それを霧というんだ、って五歳十ヶ月の時父親から聞いた。あれがもっと集まってモコモコした姿なのかな?
気になりつつも、僕はこの雨を終世見ることはないと思っていた。地下都市 《コバルティア》から地上へ赴くことは死を意味するとまで言われていたから。ところが、運命というものは予期せぬ方向に進むもので、その時は意外と早く訪れた。
その日は確か、十四歳の時だ。これもやはり蔵書点検している時に見つけた。何故か「開架-2:歴史学」の棚にあった『植物学』の本を見かけて何となく頁を捲った。その時、窓から射し込んだ一筋の光が僕らの未来を明るく照らしたことを僕は一生忘れないだろう。
「《ナディ》、僕らの希望……」
それは地上に存在するたったひとつの命の花。夢の続きをもたらす希望の導。僕は生を掴むため死を覚悟し単身地上へと向かった。
地下都市 《コバルティア》と地上を隔てる長い長い廻廊を駆け上がり、暗闇の道を蹴散らして、すっかり重たくなった四肢を懸命に動かしながら、ようやく言い伝えの扉までたどり着いた。扉を開いた瞬間、感じたことのない強い光に僕は思わず目を閉じる。
パタリ、と何かが頬に当たった。恐る恐る薄目を開けてみると、目の前には枯れ木が一本、そのさらに前には一つの石碑が建っていた。
「《臆病者たちの墓碑》」
呆然とそれを見つめる僕の身はたちまちびしょ濡れになった。髪が頬に張りついて鬱陶しい。しかしそれを払う動作さえできないほど、僕は僕を忘れていた。
これが、雨。
ここが 、地上……。
僕らの長い旅はここから始まったのだ。
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