先生、勝負です!(その2)


 「行け! フェンリル」

 

 灰色狼が驚異的な跳躍を見せる。狙いは蛇子じゃこだ。

 

 「夜刀やと! 守れ」

 

 蛇子も式神の白蛇を出す。見るのは二回目だが、ぬるぬるとした体が相変わらず気持ち悪い。ドンとお互いの体が激突した。夜刀の体がフェンリルの胴体に絡みつく。激しく態勢を入れ替える二匹。

 

 「お願い! ソフィア、やめて」

 

 かすみが悲痛な叫びをあげた。ごめん、少しだけ我慢して。

 

 「フェンリル、連続攻撃!」

 

 パワーは互角だが、スピードはフェンリルが勝るはずだ。ビルの壁を使って左右から一撃を加えていく。白蛇の体に細かい傷が現れた。ウロコがかなり強力な防御効果を持っているようで、なかなか有効打とはならない。

 

 瓦礫のゴロゴロ転がるかなり広い部屋だが、しょせん室内の戦いであるため接近戦を余儀なくされている。お互い室内での戦いは不得手だ。

 

 「フェンリル、背中!」

 

 よし、こうなったら次の手だ。狼が私の前で伏せの姿勢となり、背中に乗る。

 

 「正面! 行け」

 

 正面から夜刀に突っ込んでいく。

 

 「いけない! 夜刀、待て!」

 

 蛇子が叫ぶ。甘いよ、先生。私が乗っていることで攻撃をためらうなんて。

 フェンリルの鋭い牙が夜刀の体に突き刺さった。緑色の血が吹きだす。そのまま、首を振って投げ飛ばした。


 「夜刀!」

 

 蛇子とかすみが心配そうに叫ぶ。床に叩きつけられて動かない白蛇。

 

 あー、本当にイヤなやつになってしまった……。

 

 さあ先生、次はあなたの番ですよ。かすみを巻き込みたくないので、離れてもらわないと。都合よく蛇子は、夜刀のもとへ駆けよっている。

 

 かすみは……? いない!

 

 慌てて、周りを見回すといつの間にか私達の後ろに移動している。なんだ? かすみの足元が青白い光を放っている。

 

 ――魔法陣!

 

 「小賢しい人間どもめ、少し遊んでやろう」

 

 かすみの口が動いたように見えたが、かすみの声ではない。

 

 「トニトルス、フルメン、キュムロニンバス、蒼白き地獄の稲妻、鋭き夜のやいば、愚かなるものをうちえるべし……」

 

 まばゆい光に包まれながら、まるで歌うように言葉をつむぐ。金色に光る瞳、黒い翼、猛々しい角を持つ少女の姿。その姿はまさに――悪魔だった。


 私はこの呪文を知っている。私の記憶が正しければ、間もなくここにいる全員が黒焦げの炭と化すはずだ。

 

 私の願い――かすみの能力を開花させること――は、最悪の形で実現しようとしている。

 

 「川本さんっ! その呪文はダメっ! やめて!」

 

 蛇子も、この呪文の意味に気付いたようだ。かすみを止めるため、駆け寄ろうとしたが、天井が崩れて行く手を阻まれる。

 

 かすみの側に行きたい。フェンリルから降りた私は、かすみに向かってゆっくりと歩いていく。すぐそばに天井のコンクリート片が落下するが、構わず進む。

 あと少し、あと少しでかすみのところへ行ける。その時、小さな石片が右肩を直撃し、私の体は床に崩れ落ちる。

 

 「泉より現れ、その声を聞かせたまえ……」

 

 巨大な呪文の唱和は最終段階に入ったようだ。ひどい痛みで起き上がることが出来ない。仰向けになり天井を見上げる私に落下してくるコンクリートの塊が向かってくる。逃げられそうにない。

 

 ――さようなら、かすみ。

 

 目を閉じる。一瞬の静寂せいじゃく

 

 「マジックシールド!」

 

 あの女の声がした。魔法の盾に激突し石の破片が散らばる。

 

 「しっかりしなさい!」

 

 私を抱え上げ引きずっていく蛇子。余計なことしないで!

 

 (諦めるにはまだ早い)

 

 頭のなかで声が聞こえる。

 

 (意識を集中するのだ)

 

 「アンゲルスサルコファグス天使の棺、発動せよ!」

 

 自然と言葉が出た。


 「地に落ちよ、暗黒の雷ユルルングルサンダー!」


 ほぼ同時に、かすみが叫んだ。

 

 ビルの外が真っ白になる。轟音と共に窓ガラスが粉々に砕け散った。天井、床、壁あらゆる場所で火花が飛び散り、炎が上がる。巨大な落雷が全てを焼き尽くそうとしている。


 熱い! そう思った瞬間、窓から炎が急速に吸い出される。ビルの外が炎で真っ赤に染まっているが、私達がいる部屋には入ってこない。窓の外の赤色は少しずつ色褪せていき、やがて元の空の色に戻った。

 

 暗黒の雷ユルルングルサンダーは、究極の魔法だ。少なくとも建物ひとつを丸ごと瓦礫に変え、付近にいる生物を炭の塊に変えてしまう。確か大魔王アスタロトが得意としていた魔法のはずだ。

 私達が炭になっていないということは、強力な防御魔法が発動された事を意味している。


 確かに危機は脱したようだが、ビルの内部はぐちゃぐちゃになってしまった。恐らく外もボロボロになっているだろう。


 「かすみっ!」


 なんとか頭を持ち上げて周りを見回すと、すぐそばの床に倒れている、かすみが見えた。


 「うっ! 痛っ」


 起き上がろうとするが痛みで力が入らない。


 「じっとしてなさい、今みてくるから」


 蛇子が、かすみの所にに行き声をかける。


 「川本さん! 川本さん!」


 かすみは目を覚ましたようだ。


 「せんせー、私、いったい?」


 「説明は後よ。大丈夫? 怪我してない?」


 「はい、大丈夫です。 あっ! ソフィア!」


 横たわっている私を見つけ声をあげる。


 よろっとしながら、私の側までくるかすみ。今にも泣き出しそうな表情をしている。蛇子は、私の怪我の具合をみてくれた。


 「出血は止めたわ。もしかしたら、骨が折れているかもしれない。すぐに病院に行かなきゃ」


 「救急車は呼ばないでください! グレヴィリウス家の系列病院があります。二人ともそこで診てもらってください」


 図々しい申し出だと思った私は


 「もしよかったら……」


 と付け加えた。

 

 「わかった。騒ぎにならないうちに早くいきましょう」

 

 「うん、早く行こ、ソフィア」

 

 あっさりと同意する二人。私の治療を最優先に考えた結果の判断なのは明白だった。

 

 呼び出した護送車に乗り、三人は病院に向かう。鎮痛剤の効果が表れて、私はうとうととする。


 かすみがそっと、手を握ってくれた。

 

 あたたかい、とっても

 

 かすみを取り戻そうとした、私の試みはどうやら失敗に終わったようだ。にもかかわらず、心はとても穏やかだ。もし、願いが叶うなら、この手をずっと握っていたい。

 

 贅沢な願いでしょうか? 

 

 心の声は答えてくれなかった。

 



 

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