私は猫である。名前は田中

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私は猫である。名前は田中。

 私は猫である。名前は田中。

 生前、東京で社畜なんぞをやっていたが、いまでは猫になっていた。理由は不明だ。

 体毛は白と黒の縞模様を描き、四肢は強靭。長い胴に、左右へ伸びる長い毛がある。特徴的に猫なのは間違いないだろう。鏡もないので、その全容は不明だが、困りはすまい。

 最初こそ、慣れぬ四つ足で生きていけるか不安ではあったが、私がいたのは幸か不幸か山奥だった。背丈の小さな木々に囲まれ、周囲には私よりも小さな小動物が多かった。というよりも、私よりも大きな獣はついぞ見かけなかった。

 人だった頃は、狩りなぞやったこともなかったが、獣の本能か、獲物を見れば意識せずとも一流の狩人となっていた。気が付いた時には、腹が満たされ、口の周りが血で濡れていたなどということもある。

 そうして、日がな一日腹が減っては狩りをし、睡魔が襲えば抵抗することなく眠るを繰り返す。

 社畜時代では到底叶わなかった心休まる日常。まさか、猫になることで手に入るとは、生前には思いもよらなかった。

 社会の檻に捕らわれることなく、自由に山を駆け回る自由を手に入れた私は、呑気にも充実した日々を過ごしていた。

 しかし、今いる場所がどうにもおかしいと気が付いたのは、しばらく経ってからのこと。

 そもそも、猫より大きな獣がいないのも変であり、これまで食してきた獲物にも違和感がある。

 羽根の付いた蜥蜴に、首が三つに分かれた犬。そして、私が異変に気が付くきっかけとなったダンゴムシの群れだ。

 ダンゴムシと言ったが、生前、子供の頃に見たモノとは異なる。そもそも、うじゃうじゃと群れで行動し、猫に襲い掛かるダンゴムシなど見たことがない。

 硬い鱗に覆われ、鬱陶しげに少し弾くと丸まってしまうため、そう呼んでいるだけだ。とはいえ、ダンゴムシほど丈夫ではなく、簡単に息絶える。そのくせ、定期的に集まってきては、襲い掛かってくるのだから鬱陶しい。猫の視点で見たノミなのだろうか。このような虫ケラに殺されこそしないが、蚊を相手にしたような苛立ちはそっくりだ。殺虫剤が欲しい。全滅させてやりたい。

 そんな見たことのない未確認生物が多く、この場所が地球とは違う世界であることを理解した。したが、何かが変わるわけではない。

 何か良く分からない動物を食べ、寝る。私の行動は、ついぞ死ぬまで変わらなかった。


 そして、次には目覚めた時は、人間の赤ん坊だった。赤子の時から記憶があるというのは、なんとも不思議で、不自由だ。自分一人で動くことすらできないというのは、不安ばかりが募る。生きるだけならば、前世の猫のほうがマシだった。

 そうこうして、十数年の時が経った。

 今世は勇者という者だったようで、魔王を倒さなければならないらしい。

 自由気ままに生きる猫の生活から一転、また社畜へと逆戻りだ。しかも、今度は命の保証すらないときた。異世界というのは、ブラック企業に他ならない。

 とはいえ、やらねばならぬならやるだけだ。

 私は魔王の配下だという多くの魔族を倒した。

 そうして、幾つもの街や村を渡り、魔王を倒す旅をしていた頃。一つの村に立ち寄った。

 木材でできたあばら家の多い、この世界では特に珍しくもない寒村。

 だが、他の村とは違い、この地には伝説が伝えられていた。

 なんでも、かつて村の近くには魔王よりも恐ろしい獣が住んでおり、災厄を引き起こしていたそうだ。多くの英雄が獣に挑んだが、誰も帰ることはなかったという話だ。

 だが、恐ろしき獣も長い年月には敗れたらしく、今では巨大な石となって恐れられながらも、丁重に奉られていた。

 この世界では、特に珍しいというほどではない、取るに足らない伝説。しかし、どうにも気になった私は、その獣の岩を見せてもらうことにした。

 見上げても天辺が見えない木々を超えた山道の向こう。

 行き着いた先で私が見た物は、生前の私であった。

 現在の私は、見上げねば到底全容を把握できない前世の私を見て、言葉を失った。


「…………」

「いかがいたしましたか? 勇者殿」


 村の案内人に声を掛けらえたが、返す気力もない。

 真っ白になってしまった頭で、ふと思い出したのはダンゴムシと呼んでいた黒い鱗を纏った虫だった。少し小突けば死んでしまう、地球のダンゴムシよりもさらに脆弱な虫けら。だが、あれはダンゴムシなどではなく、この世界の人間だったのではないだろうか? 私はこの世界で災厄として恐れられていた獣そのものであったのではなかろうか?

 この時ばかりは、かつて能面のようだと言われた私も、血の気が引いた。

 前世で人々を恐怖に貶めた私が、今度は彼らを救おうとはなんという皮肉だろうか。

 その後、私は魔王を倒し、聖剣を自身の心臓に突き立て自害した。

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