Immoral Works

パンプス

第1話

 何者も一人では覆い尽くせない広大さで、誰にも侵されず、残った紙のように清々しい空が広がっており、その空の見渡す限りの青が正面、濁りのない雲が未知の世界を覗かせつつも足元を行く。

 形容しようとすれば言葉が出尽くし、むやみに説明するものではない空は今、一人の男によって占領されており、雑用同然に充てられた持ち場に住み込みで働く三人組が一人、占領を許されずに憎むばかりだった。


 「チクショーッ!何で団長は優雅に甲板の上で仲間と遊んでんのかなぁ!」


 まともに掃除が出来ていないようにしか見えない狭い部屋のなか、多くのホコリや砂が乗っているであろう捨ててしまってもいいようなカーペットで、癇癪を起こすようにして滅茶苦茶に床を踏んづけまわし、三人の真ん中を含め、怒れる人の怒りを受ける横二人。


 「ちょっとぉ……」


 「やめるんですよ、あんちゃん」


 咳き込む二人の声を聞いた癇癪虫も一度は停止をするが、それが事実だとしたとして、怒りや憎しみ、妬みを凌駕する者、行く手を阻む者は現れはしない。

 それはまどろんでいるような目つきの女、ウドの大木の男だけの空間。

 真ん中の男としては嬉しい立ち位置で、だから調子にのって続けても構わないのだ。


 「俺がリーダーだ。指図するな!」


 二人はこの男よりも下で、大層、この男の事を嫌っている事だろう。だから真ん中の男も二人を気に入っていじめている。

 そんな時、あることを思いつく男。

 二人が自分よりも下が嫌なのは、自分たちよりも下が居なくて不満なのだろうから、自分が上に立って率いることが出来たのならば、安心して身を任せ、いじめられるはず。

 真ん中の男はよからぬ考えを巡らせつつも、現在、移動に使っている空中船と呼ばれるものの中に作られたグループをのしあがる事を思いついた。


 「なあ、お前ら」


 「なあに、あんちゃん」


 女は黙ってしまったが、ウドの大木は呑気な顔で答え、これに些か憤りを感じてもそれを抑えながら、声を震わして言う。


 「団長を殴って頭になるわ」


 当然ながら二人は理解出来ず、突飛な発想が高まってしまった結果なのではないかと、顔に文字を浮かべるように口を開け、目を丸くしていた。

 常識外れな言動は、今までの傍若無人な振る舞いを差し置いても上で、これまで振り回されてきたであろう結晶の目の下のクマが歪み、その言葉に物言いをつける女。


 「だ、団長を殴るだなんて、バカも大概にして!」


 気持ちが篭った勢いで腕を胸の前で合わせ、体を折っている姿は正しく止めようとする表れ。しかし、そんな言葉を聴いてしまっては、癇癪虫を持つ男にとっても押さえきれない理不尽すぎる怒りがこみ上げるというもの。

 道端の石を蹴るように擦って歩み寄り、両肩を外す勢いで手を振りかざして二度叩き、悪巧みは息をするよりも容易いこの男は団長への対策は万全との意思表示のように、歪んだ笑顔を浮かべていた。


 そして二人が次にその顔を見たのは甲板の上で、団長たちの雑踏が聞こえる広い場所。つまりは宣言をするには丁度いい場所という顔だ。


 「団長さん、お話いいですか?」


 怪訝に思うのも無理もないほどこの団長には悪態を散々とついた彼に向ける目は、まるで縄張りを主張する動物か吠える仔犬のようなもので、これ以上落ちることもない評価がそれを具体的に見せている。

 しかし、心が広いと慕われている団長の立場ともなれば彼とは違い、振る舞いこそが大事なのだと微笑み、それを受け答えして解消する義務があるのだ。

 おいかけっこをさせられていた団長は年端もいかないように見える団員に断ると、少々、緊張した面持ちで構えて立った。


 「用は何だ。言っていいぞ」


 対する彼は頭を下げた折、待っていましたとばかりに陰で笑った口を作って、上げると同時にらしくない堅さを演じて口にする。


 「はい。わたくしはこの度、団長様に船を賭けた決闘をして貰いたいと思い、お願いする次第でございます」


 この言葉の意味を理解せずに言っていないと思わせる表情で口を大きく曲げて、彼特有の犬歯が垣間見させ、団長とその周辺を歩いていた団員は足を止め、絶句して笑う。

 仲のいい談笑を絶った言葉には冷ややかな目線と軽蔑が刺さり、熱い声が細く上がった。


 「それは本気……か?」


 震わせながら出される声は怒りよりも、冗談で言っている事に焦っているようにも思える声は悲しみを漂わせている。


 「お前がそう言い出すとは思ってはいたけど、ハナマリが泣くぞ」


 団長が出した名前は彼にとっても大切なはずだが、彼は話の流れというものを汲み取るのが苦手で、何よりも恩を返すのが苦手なヘドロ持ちは、タンを吐き掛けるが如く所業は得意中の得意で、最悪が服を着ているようなものなのだ。だから胸に刺さるはずもない。


 「そうは言っても、空中船団を目指して人を集めていた頃の中でしか分かち合えない話だろ?それに今は、団長がここで燃えてくれなきゃ体も無駄だろ?」


 その言葉の通り、始まりの仲間内だったのがハナマリだが、彼とその頃の界隈に関してはギクシャクしており、それを払拭するための計画だ。

 それを伝えていないがために余計な混乱を招いている彼だが、それを自覚していないから言ったところで、と止まってしまう訳で、堂々巡りもいたちごっこも生まれるだろう。

 それを理解出来ない訳ではない付き合いの団長も、渋々了解せざるを得ず、緊急事態のためにそれは船内を反響して駆け巡るスピードで観戦者は増え、お茶をすする暇さえない間を挟んで決闘が行われる事になった。

 丸腰のままで甲板にいる二人がどう決着をつけるのか、時間がなくて決めていなかった彼は本当に計画していたのかを疑うもので、持ち掛けた彼がその場で考える。

 瞬時に会場になってしまうとは思っていなかった彼にとって、これは誤算だった。しかし、それでも運に変えるのが彼の強さだ。


 「そうだ。こんなにも観客が居るなら武器を投げ入れて貰って、それ以外は使わないでおこうか」


 「いいぞ。ハナマリとの思いでもある船を渡すわけにはいかないしな」


 彼は既に敵視されるまでに団長の集中の範囲から外れ、気を抜けるはずもない戦いの雰囲気だと、静電気が流れるように皆が感じ取っている事だった。

 皆は審判を一人立てることにしてウドの大木を選び、彼らが対立する中央に立って手を挙げたウドの大木の動きを見て、装備していた武器を片っ端から投げ入れられるのだが、彼の周りのそれらの中からは中距離長距離の物が多く、近接武器はナイフを除いてない一方、団長は信頼からか依怙贔屓えこひいきが絶えない。

 彼は団長への信頼や親しみを持つ人の考えがわからず、鼻息で嘲笑う。


 「いいよな、ハナマリと仲良くしたい団長さんは」


 その言葉には団長の今までの関係が何だったのか、ハナマリとどうしていたのかを打ち明ける言葉で、団長が何をしたかを知らない団員は首を傾げて疑問に思うだけだが、覚えのある団長は眉毛をヒクつかせた。


 「仲良く、なんていつだ?」


 知ってはいるものの白々しく悩んだ顔をして、落ち着きなく上下左右に体を向けると微笑み、正面に体を戻して下唇を指で弄りながら放つ。


 「技術島辺りに着いた時はハナマリが姿を現さなかったよな、今みたいに」


 「ほう。憶測だけで物を言うのか」


 嘘を庇っているから出ている冷や汗か、団長は微妙に笑っているのがまさにそれだが、慕っている団員は消えろとばかりにアウェイな空気を漂わせて彼を負かそうとする流れが作られ、怒りは恐ろしいことを悟らせてくれる。

 でもそんな流れをしていても団長は決闘を忘れるはずがなく、武器を手に取り、怒り任せに彼を叩きのめしたい気持ちで沢山なのだろう。そう、それは蟻を潰す残虐にも似ているのは確かだ。


 「さあ、早く武器を取れ」


 そうは言われても、団員の雰囲気も考えれば取りづらい団長周辺の武器は避けたいところで、それでも近くでいえばナイフくらい。

 ならばと目をつけたのは長剣。

 ラザニアという団員がよく使う、透き通っているのではないかと思わせるほど綺麗に手入れされていて、刃こぼれもないように見えるまでの手間があるからこその切れ味もあり、彼も一度は握ってみたかったのだが、あまりにも近くの人が切りにくいので扱いづらいということがあった。

 それを手に取り、剣の先を引きずるように持ち上げると、彼に呼応するように太陽の光を反射させて光ったように思え、思わず振り回しそうな瞬間、ウドの大木が動く。


 「ハナマリのためにも、いかせて……貰う!」


 その言葉と同時に大きく振りかぶり隙を作った。

 団長はその一瞬を突いて終わらせるつもりで突っ込んでくるが、猪突猛進も行きすぎれば傷つくだけの愚行でしかいないことを思い知る事になる。

 彼はその構えた長剣を前に傾けながら手を離して団長の頭上を目掛けて落ちるようにし、跳んだ。

 人間離れした動きは団長にも出来る事だが、団長の頭上のもののせいで行程がひとつ、余計に増えたことで奥歯を噛む思いをするが、手持ちの程よく打たれた剣でそれを払いのけながら跳ぶと、太陽と重なって影になった彼が上になっていた。そしてその彼の靴の裏は卑怯だった。


 「くそっ……」


 それは靴の裏がナイフの柄が丁度、収まることを知っていたのが刃を立てていたのだ。

 今の今まで戦場に出されていなかった訳ではない彼は、応用をきかせることを忘れずに挑んでいて、それでも彼に敵対する心がある団長は舌打ちして空中でもう一度剣を振ろうとした。

 しかし、人間離れしているとはいえ、振りなおすなんて出来る体勢を取れるよう長剣を振り払っていなかったから、いくら足掻こうとも振りきれない。

 団長はその歯がゆさに彼の虫が移ったみたいな気持ちになった。


 「クソッ!」


 ラザニアがこの船に乗るきっかけになった切れ味の悪いナイフを剣にぶつけ、刃と刃がぶつかった事で割れて柄だけのナイフを踏み、その間に潜り込ませて剣を蹴り上げると柄は真っ直ぐ綺麗に甲板へ落ち、高所から落ちる猫みたいに団長は着地する。

 剣を蹴り上げた彼は体勢が悪かったために空中で回転をして速度をつけて一気に落ちたのだが、団長が構えていないはずもなく、すぐそこまで迫っていた。

 そこで彼は床に着地せずに長剣の柄を踏んで、踏んでいない足を使って剣を回し、団長の足を狙うが跳び、頭を狙って振られた剣を仰け反って避けると剣が髪を擦過。

 少しだけ前髪が真っ直ぐになってしまったが、垂らしている髪は正直鬱陶しかった彼。

 仰け反った彼は前髪に気を向けながらもそのまま後ろに体勢を倒してブリッジをすると、便利な靴の裏の溝に柄をはめて足をあげて団長に振り上げ、足が地面に着く前にそれを空中へ放り出して掴む。

 痙攣したように手から剣が離れた団長は、ブルベリーよりも真っ青になりそうにそれを眺め、床には落ちる金属音が立った。

 宝くじを当てるよりも偶然すぎる奇跡で、これは確実な勝機のようにも見えるが、リーチが長い長剣を真っ直ぐに持ち上げた状態からそのまま振り下ろしても拾う時間には十分すぎる。しかし、運がいつもよかった彼は波に乗るように振り下げた。

 そんな彼と団長の間では丁々発止と火花をあげてせり合い、一瞬で拾い上げて受け止めたのが判った。


 「ふざけんなよ、トリッキーな猿め」


 「悪運が強いのか、クソ団長」


 その鍔迫り合いになっている中で、余裕そうに言葉を交わす二人は言葉の最後に力んで声を震わせ、どちらが剣を弾くかの勝負となっており、周りは勝って欲しいの合唱が止んで息をのむほどの緊張感を漂わせて真剣な勝負と化していた。

 それはさながら、チャンバラをするように決着が曖昧に引き伸ばされているようでもある。

 彼は団長との視線を交わし続ける事を嫌がり、団長はこれ以上顔を向け続けるのか気まずいもあってか二人は後ろに跳んで間を取って、その一瞬に懸けて詰め寄る一騎討ちのような最後を決めるしか道がなかった。


 「これが最後だ、バカ」


 互いに息を切らして肩でしているが、経過した時間は五分も満たない。それなのにこんな激戦になっていると考えると、運命という言葉の十字架を背負った二代目のキリストである団長は羽虫にも劣る人間と互角だなんてあり得ない話なのにあり得ている。

 つまりは強い。

 団長が彼よりも強いかどうかあやふやで、彼自身でも解っているが、これで決めるつもりで柄を握りしめると、時世の句のような短い一言を流した。


 「剣がなげぇ……」


 その言葉を言った時には言葉が置いていかれていて、すでに決着がついたあとだった。

 頬に赤い血を垂らして微笑する団長の後ろ、膝を突いて長剣を投げ捨てた彼の姿があり、彼の敗北が確定されて静まり返っている。そして、口々に健闘を称える声と拍手がまばらに聞こえてきた。

 罵倒がないだけでもいいといえる快挙を打ち立て、皆からは見直された、はずだったのだが彼は言う。


 「もう、一戦。船を賭けて、勝負をしてくれ!」


 背を向けて立っている団長を前にしてそう言う彼は、人としての威厳も見せないような綺麗な土下座をし、今までの戦闘で帳消しになっていたであろう不信感がふつふつと、温泉が湧き出る勢いで上がっている。

 彼はそんな雰囲気のせいか、再戦するまで続けるといった調子に額を擦りつけたり、服を脱いで全裸になって土下座したりとするものの、それでも振り向かない団長はかたく閉じていた口を重たく開いた。


 「それはあ……覚悟があるのか?」


 粘りっ気があるしゃべり方をしながら振り返った団長は何を企んだか、足元を流れる雲が持ってきた風とともに笑ったのだ。

 もちろん、覚悟がいることだろう。

 団長が考えそうなことを思い浮かべようとする素振りを見せながら立ち上がるが、やはり思いつかないのか両手をあげて、首を横にふって解らないと答えた。


 「覚悟がないのにしたのか?」


 だが、それをどう解釈すればそうなるのか解らない、といった顔をみせようとも怒りを露骨に見せるばかりの言葉が降る。

 彼も周りもこの理不尽さに苦しめられていたのが半分、理解しているのが半分といった割合で綺麗に別れ、彼の両腕、両足を押さえた巨大な体の男たち。

 結果は徒労をするほど馬鹿ではないという事だ。

 彼は諦めた反面、まだやれるのではないかという後味の悪い気分になったので顔を横にして、腕に乗せようかと向いたときだった。

 ウドの大木がにんまりと微笑みながら腕をつかみ、運んでいるのが目に入った。

 日々の恨みがここで晴らされると言わんばかりの顔で、それは花を愛でるよりも気が抜けて穏やか。その上、彼の腕を強く握りしてたりして反応を確かめる行動を頻繁に取るのだ。


 「何の恨みがあってこんなことをするんだ。下にまで追いやったくせに!」


 声を荒げていう彼だが、それが正しい言葉として認識されることはまずない。

 大の大人が四人も担ぐくらい偉くなった訳でもなく押し上げられ、無頓着にその抑えていた謀反者の彼をどうするのか、裁く事が許される立場の団長がその線上に立っていた。

 仁王立ちにも似た、威圧する強い力。

 彼の目の前には大きな壁が立っているようにも、その存在感は船を護る者として当然の行動を取り、彼を目の前に投げ捨てさせた。


 「痛いだろ。少しは先輩を優しくしろ!」


 酔っぱらいよりもタチの悪い怒声を撒き散らし、彼の後ろの全員を咎めるように口にしたが、当然ながら彼が主役であり、彼以外が企てれる事ではない。

 団長は彼が企んでいる事には薄々気がついて口にはしてきたが、少々遠回し過ぎたかな、と罪が深い彼との長い付き合いがそれを訴えていた。


 「ハナマリと冒険したいんだろ?」


 喧嘩を買うようにして売り返す。


 「ハナマリは出てこれないだろ?あの技師が居ないとさ」


 彼が何度も口にしてきたハナマリはどうして出てこないのか。団員の中では噂が些かではあっても立っていたという事実があり、一部はそれが喧嘩別れや監禁といった話にもなっていて認識しているため、団長はそれが許せないから焦っている、と映っている。

 しかし、事実が間違いなくそれではないくらい根性を曲げない彼を見て、団長を不信に思えて揺らぐ者も中にはいて、いがみ合いが長くと思ったのもいたはずだ。

 少数が限られる中で考えれる事。

 団員たちにはそれが植えつけられて、冒険が始まっていない者にとっては永遠追い求めてもいい課題となった。

 そんな事が黒く見える群れの中で起きているとは露知らず、またもや疑問がぶつかる。


 「技師に頼む、ってのは義手の話だろ?」


 「だけど、モンスターに食われた手もその一部なら?」


 結論に至っていてもなお、言及しようとする執着心にはライバルとの衝突を彷彿とさせ、わだかまるような嫌な空気が、確実に眉を緩く曲げて口を開いているはず。

 呑み込まれそうなその言及も、三回目で変わった。


 「モンスターに食われた手がそれ、とはどういうことだ?」


 「それは義手だった、ってことだ」


 疑問で続いてきた問答に答えがついに出て、船での未来が潰えた音がする。

 彼にとってもこの船は思い入れがあったはずだが、そんな事はどうでもいいと、今まで船に執着心するように張りついて離さなかったその権利、全てが音をたてて泡に還っても無関心だった。

 彼は掴み所もなく、ただ飄々として、鼻をグローブをはめた指でほじるくらいにしか思っていない。

 そんな彼はそろそろ見捨ててもいいと囁くように、彼は口にする。


 「モンスターに食われたのは、見間違うこともない肉の塊だった。こいつを船から降ろせ」


 「はは、それは無理ってもんだろ。なんせ、下は雲ばかりで生きていられるような自信が見えないんだぞ?」


 その言葉には一理ある、とは思っている団員だが、下の方でも見下されている彼が、我が物顔を見せずにさ迷ってくれるのなら。そんな思いを馳せ、再び男たちによって持ち上げられた彼を軽蔑するように見送る女たち、剣を手にした姿も見える男たちのしがらみは恨みの塊だ。

 こんなにも怨霊に見えるものなのか、それとも彼が悪いのかは分からないが、嫌われているのははっきりと伝わっている。

 そんな彼は見送られる中、最後の足掻きと声を張り上げた。


 「傷口が痛い!持つな、持つな………!痛い、痛いってば!おーい、おろせーえ!」


 こんなにも叫ぶ彼を心を傷ませずに運ぶ男たちの屈強な体が一瞬、隆起して、彼の体が宙を舞う。

 それは見事に打ち上げられ、浜にあがったイルカを彷彿させるほど仰向けになって、回転なく背中から落ちていくのだ。

 団長は振り返ると、彼が落ちた方向に背を向けて俯き、悼む事ができないであろう仲間を泣いて見送ったはずだったが、そんな団長の後ろには大きな影がひっそりと、音もたてずに後ろを取っていた。


 「その首、貰ったーっ!」


 口にしなければいいものの、これも彼の優しさか、自分だけの剣をいつの間にか手にして地獄から甦った彼を背にしている団長は、携えた剣を鞘から抜かず、足元にあった弓を蹴りあげてそれで防ぎ、目を閉じながら言う。


 「お前は鳥なのか?」


 彼は愚問だと鼻で笑い、象徴である犬歯を見せながら唾を飛ばすように言った。


 「俺は不死鳥だあ!」


 そう叫んで力を込めるが、それでも互角。

 背を向けて戦っているということもあって、これは団長が余裕である事が伺える。

 彼は力尽きたのか、諦めたのかは確かではないが床に足を着く。その瞬間だったのか、構えていたように足を掬われ、今度こそは落とした分かる距離までブランコみたいに物体を前へと進め、ジャンプ台から跳ぶように落とした。

 これには彼も対応仕切れないのか、袖に隠していたワイヤーの先に付いたかぎづめを引っかけれずに落下。

 雲を割いて地獄に落ちる。そう思っていた彼にとってはラッキーだったか、彼の居た部屋の窓が近くにあるのだ。

 彼はしめた、と思って手を伸ばし、出来る限り近づいた彼は袖のそれを飛ばして命綱を造った。

 団員も団長も死んだとばかり思っているはずだと考えている彼は、唯一の心配である搭乗方法を探そうと考える素振りを見せ、やはり窓だけだと上を向くのだが、二人が来ることは確実で、団員に見つかるのも時間の問題だろう。だが、もしも目が見えない団員に奇跡的に会えたなら話は別だ。

 そんな時、内側からしか開けられないオートロックのドアのような窓がガコッ、とずれた音を瓶の蓋を開けたみたいに立てると、温度差で重くなっていた窓から二つの顔が飛び出した。


 「やっほー。バカも行きすぎれば立派なのね」


 「あんちゃん、負けたー」


 窓をはめるために必要だった溝にかぎづめを引っ掻けていたため助かった彼だが、手をそこに添えられでもすれば命はない緊張感と危なっかしさ、早くどいて欲しい焦れったさが混ざりあって複雑に絡んでいるものだから、今なら痛みなく死ねるだろう。

 もはや精神には疲労困憊の色が見え、余裕もないようだ。

 彼は気だるさを薄皮程度には感じていたけれど、幻覚が見えるようにまでなってしまったのではないかといってしまう程、ウドの大木がかぎづめを溝から離したように見えた。


 「行くよー、あんちゃん」


 幻覚ではなく、本当に血迷っているみたいだ。

 それはかぎづめを握ることは彼の命を握ったも同然の話で、こんなことを考えれる脳もないはずだからウドの大木なのだが、それを手助けして辛酸を舐めさせる影がある。

 そこにはタレ目で、おっとりとしておしとやかに見えなくもない、男に弱味を握られて船に乗った彼女の姿があった。


 「お前だな?タレ目」


 彼女は憐れむ目で彼を見下し、ほくそえむ。

 いつから考えていたかは不明だが、確かに募るものがあって昂ったのだろう。

 この船のなかではあまり頭が回らない方で、役割が少ない事から落とされた彼女は彼の椅子のように働き、耐え忍ぶ日々を過ごしていたから溜まっただろうが、決め手は船を乗っ取ると言い出したことだった。

 一番上を突き落とせば自分に回して船を率いようと考えていたのだが、失敗に終わったのは変えれない事実。

 彼女は言葉を返した。


 「いっつもタレ目ね。呼び出すときや人前でタレ目、タレ目ってうんざりなのよ!頭を取ってこないし、絶望したわよ」


 彼女の引っ掛かる言い方の絶望は、野望が叶わなかったからなのだが、言葉の流れを考えてみれば伝わるはずもなく、彼は勘違いをして怒声を響かせ、わめく。


 「絶望ってなんだよ!弱いと思ったってことか?はやくしろよ、はやく。はやく、はやく、はやく!引きあげろ!」


 もう腕が引きちぎれそうだとわめいていると、薄い壁を挟んで声がしっかりと通って、隣の部屋のやつが窓を開け、窓越しに彼の事を見つけて睨んだ。

 散々迷惑を掛けられ、居なくなってスッキリしたと思った途端に彼の声が聞こえたのだから無理もなく、訳も分からない奇声じみた罵声を投げつけるとともに扉を閉め、こちらに向かってきているらしい。

 それを知ったタレ目は慌ててウドの大木に手を離すよう言い、彼は呆気なく落とされた。


 「ちょっとー!包帯だけでもくれーっ………!」


 落ちていく彼の声が聞こえていても窓を閉め、隣の人が文句を言いに来る事を待つ二人。

 その時、彼は空中で泳いだりばた足をして何とか助からないかと足掻くが、死ぬことを悟らせるようにカラスが鳴き、鎧の重さで速度が上がっている今、死までは秒読みだ。

 下には黄色い地面が見えて、これが黄泉の世界だと思った彼がいたことは言うまでもない。

 彼は合掌し、出来る限りいいところに昇れるよう、今までの悪事を吐いた。


 「むやみに人を斬ってすみません、団長のお楽しみを覗いてすみません、ウンコを流さずに放置してすみません………」


 しかし、いくら懺悔したところで速度は変わらず、むしろ拍車をかけたくらいで、迫っていた黄色い地面に風が吹き抜けると、丁度、その真下には人が入るくらいの穴がでかでかと掘られており、彼は地面に激突すると自然に尻が突っ込まれた状態になった。

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