ノスタルジイ
宇曽井 誠
浮世離れな先輩と、非凡人性の私
一話
先輩は、良く言えば昔を忘れない珍しい若人。悪く言えば古臭い懐古主義者、だ。もし、先輩を文字で表すなら、その文章は歴史的仮名遣いで文語体になるだろう。それは、内面だけの話ではない。今時珍しい和服__私は和服に詳しくはないが、少なくとも袴ではない__に、カランカランと音を立てる下駄。日本人らしい黒髪黒目。そして、男とも女とも言い難い165cm前後の中途半端な身長。まるで、大正時代辺りからタイムスリップして来たみたいだ。
一度、なぜそのような変わった格好をするのか、と聞いた事がある。先輩は当たり前の事を言うような顔で、「洋装は動き難いじゃあないか」と、不思議そうに私を見た。私は洋服を着ているが、一度も動き難いと思った事はない。
「先輩は、子どもの頃から和服だったんですか?」
「いいや。親が面倒だったからね。中学の時には家ではこれだったけれども、外では違ったよ__なぁ、君。学ランというのは、なぜあんな動き難い作りをしているのだろうか。高校は私服だったからこれで行ってやったけれども、もし学ランやらブレザーやらだったら、自殺していたかもしれないね」
それが冗談に聞こえないくらい、先輩は真面目な顔でそう語った。
それから云年。当時学生であった私も社会の歯車となり、浮世離れした先輩も社会の歯車となり。そして私の勤めていた会社が現代における闇、ブラック企業であった事により潰れ、数ヶ月の休養__もとい無職時代を終えようとしている所から、物語は始まる。
そろそろ次の仕事を見つけないといけない、と思い、雑誌やらハローワークやらに頼っていると、ある日先輩からメールが来た。宛名にはおれ、本文にはたすけをもとむ、と、最低限しか書かれていない。私はメールどころか携帯電話すら持っていなかった先輩も成長するのだな、と感動し、そして、先輩の事だからまた人間関係を拗らせたのだと思い、支度をして先輩の住居に向かった。
先輩は、都内のあるアパートに住んでいる。そこには先輩のような気が狂いでもしたんじゃあないか、と思われる人しか住んでいない。それ故、周囲からは化け物アパートと呼ばれているらしい。
ピンポン、ではなく、木製の扉をノックして中に入ると、先輩は机に向かって何かを描いていた。
「遅いじゃあないか、君」
「この辺、迷路みたいで迷いやすいんです」
「ラビリンス、か?」
「ええ、そうですよ、迷宮です……で、何の用ですか?」
畳張りの床に腰を下ろすと、先輩は万年筆を置いて「旅行に着いて来てくれないか?」と言った。机も上をよく見れば、それは原稿用紙だった。久しぶりに使う人を見る。
「旅行ですか」
「ああ。取材旅行だ」
「しゅ、取材旅行……失礼ですが先輩、今のお仕事は?」
「作家」
作家、と言われ、何となく納得できる。浮世離れした先輩には、そのくらい変わった職が似合う。
「着いて来るか? それなりに金は出すぞ」
「……内容は?」
この口調、態度。おそらく先輩は、今の私の境遇を知っている。何か大事が起きる気がするが、それで私は金がほしい。仕事がほしい。先輩はニヤリと笑うと、折り目のついた地図を私に見せた。
「ここ。この山奥だ」
それは、今まで生きる上で聞いた事のない地名だった。
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