中央の乱れ、東の氷

 南でのバシュトー建国に目処を付けたウラガーンは、北へと戻った。ザハールとアナスターシャは中央に留まり、ルスランはラーレを伴い、さらに北のトゥルケンへ。その軍組織を簒奪し、再びナシーヤに攻め入らせようという魂胆である。

 北と南から、ナシーヤを挟撃する。局地的な戦略としてはよく用いられるものてあるが、これほど広い地域で敷かれる戦術は、この国に例がない。サヴェフが稀代の策士と呼ばれる所以ゆえんであろう。


 こうして見ていると、ウラガーンは中央での争闘をできるだけ避けているようにも見える。それもそうであろう。中央はトゥルケンやバシュトーに比べて豊かであるとは言え、長く続いた戦乱により国土も民も疲弊しきっている。そこにウラガーンが介入し、大規模な反乱を煽ったりすれば、それこそこの国は破綻する。


 それを最も望んでいるはずの組織はウラガーンであるが、彼らはそれをしない。

 そして、最も望んでいるはずの個人がロッシであった。

 この四八七年九月のある日も、彼は両手を叩いて喜んだ。



「遂に、遂に来た」

 と、彼は笑う。

 首府チャーリン陥落から一年。ニコが、王家の軍の無い今、この国に対して自分が出来うることは無いとして丞相の職すら辞し、野に下った。これほど、ロッシが喜んだことは無かったであろう。

 更に、未だユジノヤルスクは混乱の中にある。かねてから仲の悪かった隣国グロードゥカが国境を侵食し続けているが、それに対してもまともに応じることが出来ず、小規模な戦闘において連戦連敗という具合であった。

 そして、このとき、遂にグロードゥカが宿敵ユジノヤルスクを討たんと欲し、大規模に兵を発した。グロードゥカは自分の留守を別の隣国に掠め取られないよう、巧みに外交をし、同盟関係を結んで後顧の憂いを無くし、東隣のユジノヤルスクに攻め入った。


 グロードゥカは、その同盟関係の構築に、時間をかけた。

 本来、グロードゥカもユジノヤルスクも国家の一員であるはずであるが、はじめに述べた通り、この頃のナシーヤというのは、古代の匂いを多分に残した国家制度であった。ゆえに、各地の候は王家に許されてそれを治めていながら、未だ統一前の、小国が乱立している頃の気分を多く持っていた。

 ナシーヤ統一の折、大精霊とその加護を受けて任じられた王家というものの樹立により、始祖の王はそれを遂げたわけであるが、それから数百年の時を経た今もまだ、その国土に住む人は完成を見ることが出来ていないのかもしれない。


 だから、戦いを無闇にしてはならぬと百年の昔から王家が定めながらにして、それが治まらぬのであろう。

 ロッシは、それを喜んだ。


 グロードゥカ軍は九月にユジノヤルスクの領内に深く侵入し、十月のうちにはその重要な拠点のうちの複数を陥落させている。

 ナシーヤの諺で、

「蛇を得ようとするなら、まずその頭を潰せ」

 というものがある。まさに、ユジノヤルスクは頭を失った蛇。ウラガーンがその候を殺し、首府陥落という衝撃を与えながらそれを放置していたのは、頭の潰れた蛇という餌を見せびらかすようなつもりであったのかもしれない。


 ロッシもまた、国家としてユジノヤルスクを救済することなく、放置した。ユジノヤルスク内では誰が新しい候になるか、とか、誰が軍を束ねてゆくのか、といったことで小競り合いが続いており、何度も国家に救済を求めてはいたが、ロッシはその度に適当に理由をつけ、動かなかった。


 今、グロードゥカとユジノヤルスクというこの国において最も力のある二つの地域が、互いの存続を懸けて争っている。おそらくグロードゥカがユジノヤルスクを飲み込む形で決着が着くであろうが、どちらが勝とうとも、国家が内包する力を大きく削ることに変わりはない。

 ロッシに言わせれば、どちらも蛇の頭というわけである。

 国を弱らせるだけ弱らせ、一息に揉み潰すことが出来るほどにまで弱ったとき、ニコより奪った王家の軍を背景にし、一気に王家を覆す。

 その武力の前に立つことが出来るユジノヤルスクは既にグロードゥカに飲み込まれており、グロードゥカもまた深い傷を負って瀕死になっている。他の諸侯は、従うしかない。そういう絵を描いているらしい。


 この頃になると、ロッシの足跡そくせきを追う上で非常に重要な史料とされている、側近の手記というものの文量がかなり多くなる。それだけ、ロッシは様々なことについて考え、それを側近に漏れこぼしていたのであろう。


 この狡猾な男を更に利用しようとするウラガーンは、その上で、更に何を考えているのか。今のところ、彼らはトゥルケンのことと、南のバシュトーへの援助、そして中央の拠点の維持というところに専念している。この頃になるとウラガーンという組織が持つ底力はこの国の中で知らぬ者はないらしく、ユジノヤルスクにも一部持つ拠点には、グロードゥカは一切手を付けようとして来ない。

 ウラガーンはウラガーンで、自分達の拠点に手を付けようとせぬ限り、二国の争いを傍観している。

 ユジノヤルスクから、援軍の要請も来ていた。それを、サヴェフは一蹴した。

「我らは首府チャーリンをしたのであって、したのではない」

 と彼は使者に言ったという。使者にしてみれば、ウラガーンが勝手に攻めて来て勝手にそれを陥とし、放置して去って行き、その後のことは知らぬと言うのだから、たまったものではないだろう。




 それを、更に傍観している者がある。

 国土の遥か東、大山脈の麓の村に、その者はあった。

 流れ者らしく、来たときはぼろぼろの身なりであった。哀れに思った村人が、それに食い物と衣服を与えてやった。この東方の地域に多い、頭からすっぽりと被る袍が、金色の髪と不調和で、それがかえって似合った。

 容姿も良く頭も切れ、村の仕事もよく手伝ったが、どこか影を帯びていた。

「リョート」

 という、変わった名を名乗っていた。ナシーヤの言葉において氷、という意味であり、拙作「ウラガーン史記目録」後代のパトリアエ宰相のリョートと同名である。


 リョートは、村の主な仕事である家畜の世話を終えると、いつもさっさと自分で建てた小屋に引きこもってしまう。

 村の娘などには、その謎めいたところも含めて人気があるらしい。

 普段、村の娘が彼の気を引こうと食べ物などを夕暮れ時に持って行っても、彼は、

「せっかくだが、いい」

 と言い、その戸を開けることはない。

 だが、村の娘が、彼の小屋の中に招き入れられる、たった一つの方法がある。それは、

「リョートさん。面白い噂話を、聞きました」

 と戸外から声をかけることである。そうすると、リョートの方から扉を開き、娘を中に招き入れる。


「それで、噂とは」

 この四八七年の冬の手前の頃のある日も、娘のために炉に火を入れてやり、リョートは言った。平地ではまだそう寒くはないが、東方の山脈を背負うこの地域は、標高も高く、寒い。

「グロードゥカが、またユジノヤルスクのお城を一つ、陥としたそうです」

 と、娘はこの密室で憧れのリョートと二人きりである高揚を隠し切れぬ様子で答えた。

「そうか。これで、八つになるな」

 リョートは、娘のその様子など眼に入らぬ様子で、なにごとかを考えている。

「あの」

 その沈黙を破ろうと、娘が話を向けた。

「その剣は——」

 小屋の壁に立てかけられた剣。鞘には傷が無数に刻まれていて、使い込まれている。娘は、リョートが剣を使えるということを知っていたから、てっきり彼は剣が好きなのだと思い、気を引こうとしたらしい。

 しかし、リョートは乗ってこない。暫くしてから、

「何か、言ったか」

 と、きょとんとした顔を見せた。

「あの剣は——」

 再び、娘が剣に眼をやる。

「ああ、あれか」

 リョートは、少し笑ったらしかった。その笑顔が自分に向けられたと思い、娘は頬を赤らめた。

「もう、剣を捨ててもよいのだがな。また、あれを使う日が来るのだ」

「どこかに、行ってしまわれるのですか」

 娘の顔が、曇った。何の変哲もない、赤髪の二十にも満たぬ娘であるが、十ほども歳の離れたリョートのことがよほど好きらしい。

「ここに来たとき、村長むらおさにも言った。ひととき、留め置いてくれと。税の代わりに、村の仕事を手伝っている」

 娘も、知っていることである。しかし、娘にしてみれば、リョートがこの村を去る日が来るなど、あってはならないことだった。


 都市部などてはそうでもなくなっているが、この時代の人というのは、様々な意味において放胆であり、特に性については後代の倫理に比べれば遥かにであった。

 未婚であれば、男女は気さえ合えば簡単に関係を持つ。そういう古代からの風習を、特にこの辺境の農村などにおいては色濃く残している。


 だから、娘も、思い切った行動に出た。リョートをこの村に長く留め置くならば、彼の子を宿すしかないではないか、と思ったのだ。

 それを、行動に移そうとした。

「おい、何だ」

 にわかに抱き付いてきた娘をどうしてよいのか分からぬ様子で、リョートは声を裏返した。

「よせ」

「よしません」

 娘は、必死であった。

 だが、その試みが成ることはなかった。

「——待て」

 リョートが声をひそめたものだから、娘もその動作を停止した。ただ、炉で燃えている火に当てられたかのような熱い息だけは、鳴り止まない。

「何か、おかしい」

 リョートは、戸外の気配を聴いている。

 そのまま娘を突き放し、剣を取り、飛び出した。

「リョートさん!」

 娘がそれを追おうとする。

「来るな!扉を閉め、決して開けるな」

 そう背中で言い、リョートは小屋のある坂を駆け下りて行った。


 やはり、賊であった。中央で激しい戦いが繰り広げられているために、住処を奪われた賊が、このような周辺部に流れてきており、治安はすこぶる悪化していた。

 賊もまた、奪われた者。そして、このようにして村を襲い、村のものを奪う。

「——ああ、ここでもか」

 リョートは、武器をちらつかせながら我が物顔で村の街路を歩く十数人の賊どもを見て、嘆息した。

「何もねぇ村だな」

 頭目とおぼしき男が、街路の水桶を蹴った。その転がった先に、リョートの足があった。その距離、十歩ほど。

「なんだ、お前は——」

「この村に、お前達を潤すものはない。去れ」

「こいつ、偉そうに」

 賊どもが、騒ぎ出す。

「若造のくせに。そんな細い腕で、一丁前に剣なんぞ握りやがって」

「何も無いなら、せめて、お前のその剣を寄越せ」

 頭目が、リョートをからかった。

「断る」

 リョートは、即座に答えた。

「ほう。ならば、お前の命をもらうことになるが」

「それも、お前達には無理だ。だから、去れ」

「話の分からない奴だな——」

 頭目が、剣を振り上げた。

「リョートさん!」

 娘である。リョートが心配で、飛び出してきたのであろう。

「来るなと言ったはずだ!」

 リョートは、少しだけ首を回し、背後に向けて言った。

 賊の一人が、それに向けて弓を引いた。

 リョートが応じようとしたときには、もう矢は放たれていた。

 矢は娘の胸に突き立ち、娘は仰向けに倒れた。急いで娘に駆け寄り、抱き起こす。

「リョートさん」

 口からは血泡がこぼれ、息が冬の戸から吹く隙間風のような音を立てている。肺腑を貫かれたらしい。

「リョート、さん——」

 娘は、すぐには死なぬ。肺腑を貫かれたなら、肺に血が溜まり、呼吸が出来なくなり、溺れ死ぬようにして死ぬのだ。

「済まぬ——」

 その苦しみを和らげてやる方法は、無い。救ってやる方法も、ない。

 リョートは、ゆっくりと娘の身体を横たえた。

 リョート目掛けて、賊が矢を放つ。

 風が切れる音を聴き、リョートは後ろ手で飛来する矢を掴んだ。

 それを捨て、自らの剣の柄に手をかけた。

「俺が、もっと早く、この剣を抜いていれば——」

 ゆっくりと、抜く。

 

 涙を溜めた眼が、リョートを見上げている。なお何かを伝えようと、口を開いたり閉めたりしながら。

「——許せ」

 リョートの剣が、暮れ切った闇を濡らす月を跳ね返した。

 それはそのまま月の光を湛え、娘の心臓に突き立った。

 娘を苦しみから解放したことを見て取ると、リョートはその剣を引き抜き、振り返った。

「——国は乱れ、世も乱れ」

 一歩、土を踏んだ。

「己が己であることすら、奪われ」

 賊どもが、思わず後ずさりをした。

「それでもなお、求めるものがある」

「何だ、こいつ」

「やっちまえ!」

 得体の知れぬ恐怖を振り払うように、賊どもが一斉に駆け出す。

「それなのに——」

 剣が、再び光を宿した。

「——俺は、なお剣を抜くべき時を誤った」

 一人。腹を裂き、はらわたを飛び散らせた。

 二人。肩口から背骨まで断ち割り、崩れ落ちる。

 三人、四人、五人。流れるようにして。

 六人。恐怖で震える剣を払い上げ、開いた胴を串刺しにした。それを蹴倒して抜き、七人。真横にいた者の顔面を割り、それが坂道に転がって、八人。

 そして、頭目らしき男。

「お前、一体——」

 その続きを、言葉にすることは出来なかった。代わりに、頭目の口からは、断末魔。

「もっと早く、剣を抜くべきであった。今も、これまでも」

 リョートは、血の海の中、ただ膝をついた。

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