瞬く
冬を迎える前には、窯が出来た。さすがにその頃になるとアガーシャも訝しんで側近と共に様子を見に来たりもしたが、参加している人数がことのほか多いことに面食らったのか、あまり多くは言わなかった。
サヴェフも、巧みにアガーシャに取り入ろうとしている。
「あの窯は、一体何なのだ」
サヴェフは、この頃になるとアガーシャの暮らす家に呼ばれ、話すことが出来るほどにまでなっている。ただ、その家の中には、いつも五人の男がいて、サヴェフとアガーシャが話す間、武器を持って彫像のように突っ立っている。小心な男なのだ、とサヴェフはアガーシャのことを理解していた。そこを突けば、崩れるとも思っている。
「アガーシャ。取り立てて言うことでもないと思ったから別に黙っていたが、あれは、我らにとって、とても大きな利をもたらすものなのだ」
「なんでも、噂では、焼き物を作るとか」
「その通りだ。これで、つまらぬ村を襲い、食い物を奪ったり、家畜を奪って僅かな金に替えたりするよりも多くのものが得られる」
「商いをしようというのか」
「そういうことになるかもしれぬ」
「あまり─―」
アガーシャ程度の男の心の運びなど、サヴェフにかかれば足元の小石を指すほどのことでしかない。アガーシャが言うのに被せて、
「─―新しいことはしたくはない。大きな動きになれ、皆が戸惑うからな。だから、我々から進んで人を集めたりはしていない」
と彼の思考を先回りしたことを言った。我々から進んで人を集めたりはしていない、というのはほんとうである。しかし、この頃になると、参加する者の活き活きとした様子に釣られ、どんどん人が加わってくるようになっていた。
「だから、出来るだけ大きな動きにならぬようにしたいのだ、アガーシャ。それでいて、出来るだけ大きな利を、皆と分かち合いたい」
「器とは、それほど売れるものなのか」
アガーシャの経済感覚は、鈍いらしい。しかし、利そのものには
「売れる」
サヴェフは、まだ作ることに成功もしていない器について、断定的なことを言った。
「貿易の道からもたらされるものは、とても民が手をつけられるようなものではない。だが、我らでそれを作れば、だいたい十分の一くらいの値段で売れる。民は、こぞって求める」
「果たして、そうだろうか」
「そうだ」
やはり、サヴェフは断定的である。不思議なもので、この色の薄い髪と髭を持つ、骨格のしっかりとした背の低い男がまっすぐに眼を合わせながら断定的なことを言うと、アガーシャは安堵に似た気持ちを覚えるのだ。
「今、この国は、富む者と貧しい者に分かれている。その開きが、どんどん大きくなっている。世が、乱れているのだ。だから、民の間では、富む者への憧れがなお強い」
サヴェフは、イリヤのことを思い浮かべていた。彼の卑屈さと臆病さと、ときに見せる激しさは全て、憧れから来ていると思っている。
「ちっぽけな器でも、それを手にすることで、人は安堵する。富める者と同じ場所でなくても、自らは世の掃き溜めにはいないと。器は、そのしるしになるのだ」
「ふむ─―」
アガーシャは、もうその利が上がり、更に楽をして自らが美味い飯を食い、美しい女を抱いている姿を思い浮かべる段階に入っている。
「アガーシャ。これは、私の利ではない。我々皆の利なのだ。私は、ここで生きる道を得たと思っている。だから、それに見合ったことがしたいのだ」
言葉遣いは対等であるが、サヴェフの方が、おもねるような姿勢でいる。
「アガーシャ。あなたは―─」
国に対して憎しみや怒りを抱いているか。と問いかけて、やめた。
「─―見守っていてくれればよい。この森の主は、あなたなのだから」
別のことを言い、立ち上がった。
五人の武器を持った男の視線が、それを追ってきた。
「サヴェフ」
家の扉に手をかけたサヴェフを、アガーシャが呼び止めた。
「俺は、お前を信頼している。あまり、大きなことはしてくれるな」
釘を刺してきた。サヴェフを心から信頼していないし、妙な真似をすればどうなるか分かっているだろうな、という威圧であるとサヴェフは受け取り、それに笑顔で答え、退出した。
「なかなか、上手くいかない」
ぺトロとイリヤが、出来上がった窯で試しに焼いた器を手に、首を傾げていた。
「今度は、火が強すぎるのか、土が硬いのか」
冬になれば、薬草は栽培しているもの、自生しているもの含め集めにくくなる。なんとか、この冬の間に器作りを形にしなければならない。窯の側には幾つかの新しい小屋が立てられていて、そこで同心する仲間達が、一心に粘土を捏ねている。皆で知恵を出し合い、硬さの違う土を何種類も作り、試行錯誤しているのだ。
「ふむ、では、もう少し柔らかい土で試してみるか」
サヴェフはそれを検分し、ぺトロとイリヤに指示を出した。
「ザハールは、どうした」
「器を作っている」
「案外、熱中しているようだな」
「ザハールは、こういうのが好きらしいんだ」
人は、好ましく思っている人間の意外な一面を知ると嬉しい気持ちになる。同じ表情を、その場にいる者が共有した。
ザハール。
冬も近いと言うのに、上半身を剥き出しにし、汗でそれを光らせている。
何かが、見えそうなのだ。
それが見えそうになる度、急いで土を捏ねる。しかし、捏ね始めてみると、その土の中から押し出されるようにして、何かが抜けていく。出来上がる器は、つまらない形のものであった。彼が見たことのある東の国のものは、同じような形であっても、もっと深みがあった。
その違いが何なのかが分からない。
指先の力。手首の使い方。姿勢。何度も何度も繰り返すうち、段々、分かってきてはいる。しかし、肝心な何かが大きく違うらしい。
大きな息を一つ吐いた。
新しい粘土の塊を持ち出し、板の上に置く。
それを、見つめる。
その中に、幼き日の自分がいた。
家に仕えていてザハールの世話をずっとしてくれていた者がいた。それに、ザハールは剣を教わった。士たる者とは、という教育も受けた。ものの数え方、読み書きの仕方も教わった。ザハールが隣家の娘に恋をしたときも、その者に教えを乞うた。その者は笑って、
「それは、私に聞きなさるな」
と言った。
「では、誰に問えばよい」
ザハールは、頬を膨らませた。
「その娘にこそ」
結局、こっぴどく振られたが、ザハールは晴れやかな気持ちであった。
父は、罠に
「何故です、ザハール様」
半分、涙を浮かべているその者の顔が、ザハールが今向き合う粘土に浮かんだ。
「父のそばに、いてやってくれ」
「それは、そうしとうございます。しかし、私は、ザハール様が気掛かりでなりません。父君も、ザハール様と共にゆけ、と仰せでございます」
「いや」
ザハールは、家宝として伝わっていた、涙の剣を手に取った。
「俺は、一人でもやってゆける。それだけのものを、父も、お前も、与え続けてくれていたではないか」
そう言われれば、その者は言い返す言葉がない。ただ、大いなる愛を両目から流すのみであった。
「これを、今生の別れとはせぬ。俺は必ず、家を、誇りを取り戻し、お前を、父を迎えに来る」
戦いの中へ。
今まで剣を合わせた者が何人か、土の中に現れた。共に手を取り合ったルスランの姿もあった。
土を、捏ね始める。
その静かな音は、大地を血が叩く音に似ていた。
微かに立ち上る香りは、草が血を吸うときに似ていた。
いつしか、土に力を入れるのと、自分の鼓動とが重なった。
そして、それらも全て土の中に混ざって消え、ザハール自身も混ざり、溶けていった。
いつまで、そうしていたのか分からぬ。ふと気付くと、真っ暗な闇の中であった。ザハールは土を捏ねるのをやめ、外に出た。
彼の眼に、星が飛び込んできた。それがひとつひとつ、別の意思をもって瞬いている。やはり、同じことを思い返した。幼い自分。家を失ったときのこと。そして、戦いの日々。
それには、続きがあった。
その続きを、彼はまだ知らぬ。
だが、星は、何かを囁き、示し、伝えたそうに彼に向かって瞬き続けている。北の空にある七つの星。ナシーヤでは、大精霊の羽根と人が呼ぶ星たちである。東や西の国では、また別の名で呼ばれるらしい。
空に瞬くあれらが、一体何で出来ているのか、誰も知らぬ。だが、おそらく、何かしらの意思をもって瞬いていることは間違いないだろう。その証に、ときに流れたり、墜ちたりもする。
「俺のゆく末を、知っているのか」
問うても、答えはないことは分かっている。
「ザハール」
問いかける前に、向こうから語りかけてきた。そう思ったが、それはサヴェフの声であった。
「どうだ、器の方は」
サヴェフの誘いに応じ、
「ああ、良いと思う」
小屋の中、台の上に、我を忘れて捏ねた土が置かれている。あとは、器の形にするだけである。まだ、求めるものには遠い。しかし、今捏ねた土は、昨日捏ねたものよりも、幾らか良い器になりそうな気がしていた。
「ベアトリーシャが、石から硝子を溶かし出し、
器ができる、と簡単に言うが、それが難しいのだ。
だが、充実している。
ぺトロも、イリヤも、ジーンも、大工も、他の者も皆、生きるための新たな術について一心に工夫を重ねている。
もしかしたら、あの星達も。
自らの生を生きようと足掻くとき、より光り、ときに瞬くのかもしれぬ、とザハールは思った。
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