真似をする男

 ノゴーリャの街に、一行は入った。夏の嫌な陽が四人の影を短く焼き付けている。ウラガーンが地に叩き付けられて出来た河という伝説の通りに蛇行するアーニマ河に面しているから、少しは暑さはではあるが、暑いことに変わりはない。特に理由もなく陽射しを嫌うサヴェフなど、汗を垂れ流しながら灰色のフードの中にいる。


 やはり、かつてのような賑わいはなく、旅人の姿もほとんど無い。これは、暑さのせいではなかろう。

「世が、乱れているのだ」

 とザハールとサヴェフがもっともらしいことを言うが、それすらもこの街の中では一層空虚であった。猫が一匹、彼らの前を横切ろうとして、何かを思い出したように引き返してゆく。

「宿はどうする、ザハール」

 今の段階では、金のことはザハール頼みであるから、ペトロもそう訊かざるを得ない。

「そうだな。まずは宿で、話を集めてみるのがよいだろう」

 サヴェフが、情報を欲しがった。それを理由として、金を使って宿を取ることにした。



 この時代の宿というのは、大抵、酒場が併設されている。後代に出現する、国家への反逆を目論むウラガーンという組織も、酒場を兼ねた宿を根城にしていた。人が集まるから、情報が集まり易いのだ。もっとも、のちの世とは違い、この時代の酒場というのは酒と、あとはせいぜい小麦の粉を練ったものが出てくる程度であるが。

 夕方から、酒場は開く。旅人は少ないが、少しは集まって来るはずだ。

 それを待っているのは、彼ら四人だけではなかった。



「なんだろう、あれ」

 イリヤが、酒場に向かう大通りで、何かをしている男を見つけた。その男は痩せていて、栗色の髪をしている。歳は若く、二十に満たないだろう。身なりは良くない。そういう観察は出来ても、その男が何をしているのか、四人には全く分からなかった。

 その男は、通りをまばらにゆく街の者に向かって、犬の鳴き声を発していた。無論、誰も気にも止めず、むしろ避けるように歩いている。


 しばらく、四人はそれを観察することを続けた。

 犬の声が駄目だと分かると、今度は猫の声になった。犬も猫も、驚くほど似ていた。仕草も、猫そのものであった。四人は、その男の滑稽な様を遠巻きに眺めているうち、だんだんおかしくなってきた。

「おい」

 ついにたまりかねて、ザハールが声をかけた。

「何をしているのだ、さっきから」

 男は、人間に戻った。

「動物の真似をしているんです」

「何故、そのようなことをする」

「旅人がいれば、これで、銭がもらえます」

「旅芸人か」

「いいえ」

「では、お前は何者だ。どこから来た」

「この近くの森で、大勢で暮らしています」

 四人が、身構えた。とすれば、森の賊の一員ということではないか。

「俺は、他の奴みたいに力がないから、一緒になって暴れたりすることが出来ないんです。でも、生きなきゃいけない。金を、かしらに納めないと、殺される。だから、こうして」

 犬や猫の真似をして、旅人から僅かな銭をもらっているのだと言う。


 サヴェフは、内心、しめたと思ったろう。この男に手引きをさせれば、上手く森の賊の中に入り込めるかもしれぬ。

 ザハールは、別のことを思っていた。彼はおもむろに愛剣ミェーチェ・スリョージ涙の剣の柄に手をやると、眼にも止まらぬ速さで抜き放った。

 男の首が、胴から離れたように思った。しかし、男はいるはずの場所にいなかった。

 ザハールが眼を上げると、男は酒場の建物の石塀の上にいて、猫のような姿勢を取っている。

「やるな」

 ザハールは、やはり、というような表情をしながら、微笑わらった。

「ああ、びっくりした」

 男は、塀の上から声を降ろしてきた。

「なにをするのだ、ザハール」

 サヴェフがザハールの肩を掴み、初対面の人間に対する無礼を咎めようとする。サヴェフにしてみれば、この男を足掛かりに森の賊の中に入ろうと思っていたのだから、より慎重に接していたかったのだ。

「サヴェフ。この男は、猫になっている。さっきまでは、犬」

 ザハールは、涙の剣を鞘に戻しながら、サヴェフに向かって言った。

「どういうことだ」

「この男は、今、ほんとうに猫になっていたのだ」

「それが、どうした」

「お前」

 ザハールは、塀の上の男に向かって言った。

「凄いではないか。よく、そこまで猫になり切れたものだ。ふつう、なかなか出来ることではない」

「そうかな」

 男は嬉しそうに、恥ずかしそうに塀から降りた。その足音のないことや、しなやかな着地まで、猫になっていた。

「よほど、ものの真似をするのが好きと見える。きっと、一心に猫や犬のことを観察し、自分の中に染み付けたのだろう」

「わかるかい」

 男は、いよいよ嬉しそうだ。

「俺には、これしかない。他に、何もないんだ。だから、これが、俺の全てなんだ。初めてだよ。褒めてくれた奴は」

「俺は、ザハールと言う」

「ジーンだ。いい人に出会えて、俺はよかった」

「そうか」

「これで、俺は救われた。じゃあな、ザハール」

「待て、どこへゆく」

「どこって、森に帰るのさ」

 サヴェフが、口を挟む。

「死ぬ気か、ジーン」

 言われて、ジーンはちょっと身を小さくした。

「金を納めねば、殺される。そう言ったな」

「そうさ。もう一月も、金を納めていない。金が駄目なら、女。それも、俺には無理だ。だから、死ぬしかない。いいさ。あんたらを知れたんだ。俺は、もう死ねる」


 ジーンも、この時代の男だった。彼らが持つ共通の心の働きを、持っていた。

 乱れた世において、人と人を繋ぐもの。

 忠で繋がるなら、人は利のために人を裏切る。

 利で繋がるなら、人はより多くの利のために、人を裏切る。

 義で繋がるのは、それらよりも強いかもしれぬ。


 しかし、それでもまだ足りぬ。

 人と人は、互いの繋がりがより強固であると示し合うため、彼らのような名前のない感情を見せ合う。たとえば、ヴィールヒのため、サヴェフが行動しているような。サヴェフとザハールが通じ合ったような。

 それは、義ともまた少し違う。たとえば、中国の戦国期や秦末の頃に見られたような心理に近いかもしれぬ。士たる者、己を知る者のために死ぬのだ。とか、他人の飯を食う以上、その者のために死ぬのだ。とかいったような心持ちである。


 生死とは、言わずもがな、自らの存在そのものである。それを相手に投げ与えるような仕草をしてはじめて、乱世において人と人はほんとうに繋がれる。


 今のジーンの言葉にも、そういった時代の匂いが溢れている。

 この史記の終わりの頃には、そういった心はやや薄れ、もっと別のものを人の心は求めるようになる。だから、この史記の原典を編んだ者は、きっとこの時代のこういう激烈な気風のオクタン価の高さに強い憧れを抱いたに違いない。今の筆者も、そうである。

 そして、この時代において、その姿勢を見た男は、それに答えなければならない習性を示す。



「待て、死ぬことはない」

 とサヴェフが言い、ザハールが懐から残りの金貨と銭の入った袋を取り出したのが、そうであろう。

「これを、お前にやる」

 ジーンは、ザハールから受け取ったそれが何なのか分からぬ様子で袋の口を開け、あっと声を上げ、投げ返した。これを受け取ってしまっては、もうジーンは自分の都合で死ぬことは出来なくなるのである。

「ジーン。死ぬな。共に行かぬか」

 サヴェフが、ジーンの肩に手をやり、力をそっと込めた。それは、ジーンが驚くほど熱かった。夏だからか、もっと別の熱のためか。

「行くって言っても、あてはあるのか」

「ある」

 サヴェフの手に込められた力が強くなる。

「森だ。お前が来た、森」

「なんだって」

 はじめ、ジーンはこの四人が自分と一緒に死のうとしているのか、と思った。だが、それならば金を与えようとした説明がつかない。金を与えるということは、頭目にそれを納め、ジーンの命を繋ぐことである。では、四人は何をするのか。ジーンの頭は激しく旋回するが、答えは出ない。


 サヴェフが、それに得意気な表情をもって答えた。

「森の賊に、私たちを入れろ」

「なんだって。やめておいた方がいい。かしらは、人間じゃない。とても恐ろしい奴なんだ。どんなに腕の立つ奴でも、頭の前ではそれこそ猫のように大人しくなってしまう」

「構わぬ」

 サヴェフは、四人の企てを、ジーンに打ち明けた。

「まあ、早い話が、俺達が、森の賊ごと人も金も頂いてしまうっていうわけさ」

 ぺトロが、ジーンにも分かり易いように言い直し、説明をしてやった。

「彼らも、もう奪わずに済む。頭に怯えることもない。街や村の人も、怖い賊がいなくなって安心する。あんたらは、そのヴィールヒって奴を助けるための人と金を得る。たしかに、悪いことは一つもないが──」

 ジーンは、存外ものの見える男らしい。

「──それは、あんたらの企てが成れば、の話だろう」

「そうだ。だから、なんとしても、森の賊を手に入れる」

「どうやって」

「それは、入ってから考える」

 ザハールが、珍しく笑いながら言った。ジーンは、お手上げと言った様子で、

「わかった。案内する。どちらにしろ、失敗すれば死ぬんだ」

 と遂に受け入れた。



 十聖将の一人、ジーン。これが、出会いであった。

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