ロッカーズ

タチバナエレキ

ロッカーズ

アマネさんが今日も放課後の音楽室でピアノを弾いている。


ピアノが得意な彼女は合唱部の手伝いをしている。

いつも部活が始まる前の数分の余白、部員や顧問が集まって来る前に彼女は走って音楽室に行って練習と称して好きな曲を一曲弾く。

弾いているのは大体ジャズの名曲だ。

この学校内でこの曲がわかる人間が一体何人いるというのだろうか。


放課後の校内に、彼女の跳び跳ねるようなピアノの音が響き渡る。


1年の時から同じクラスのアマネさんは少し変わり者だ。

年の離れたお兄さんと音大に通うお姉さんの影響でクラスメイトが余り知らない少し昔の洋楽ロックやジャズにとても詳しい。

渡り廊下でヘッドフォンについて理系クラスの男子と真剣に語り合っていたりする。

そしてそういうタイプの割に特に選民思想が高いわけでもなく、クラスメイトが好きだと言う流行りのアイドルや日本のロックバンドの話もニコニコと聞いていたりする。

でもアマネさんがクラスの中で1番仲が良いのはビジュアル系の追っ掛けをしている伊藤さんだ。

ビジュアル系も昔はとても流行っていたそうだが、今は好きな人はちょっと少ない。

伊藤さんは伊藤さんで、お母さんやお兄さんがヘビメタとかの激しいロック好きなのだそうだ。

客観的に見ると彼女たちは「努力はしているがなんとなくはみだしてしまっている者同士」で、それなりにうまくやっているようだ。

アマネさんは子供の頃からヤマハのエレクトーン教室に通っていたのだと言う。


1度僕が所属する軽音部も手伝ってくれないか、となんとなく言ってみた。半分冗談のつもりで。

アマネさんは「部活の掛け持ちとかめんどいし、そもそも軽音部は合唱部のライバルだから」と笑って適当に交わしてきた。

でも僕の軽口にうっかり軽音部の部長が乗り気になってしまい、時間を掛けて説得して「学祭で1曲位ならゲストで出てもいいよ」というところまでなんとかこぎつけた。


課題曲のスコアをコピーして渡して、動画サイトのアドレスをラインで送る。

「ケチだなあ、CD-Rに焼く位してよ。パソコン持ってるんでしょキタノ君」とアマネさんは笑いながらスコアに目を落とす。

「まあこれはよく知ってる曲だからいいけどさ」

ちょっと変わったアイドルの曲だったから、アマネさんが知ってるなんてなんとなく意外だな、と返すと、アマネさんは「更に意外だろうけどこの曲、伊藤に教えて貰ったんだよ」と言う。

驚いた。

伊藤さんこそ女子アイドルなんて聴かなそうなのに。

「あの子のお兄さんが最近このアイドルの追っかけしてるんだってさ。最近ロック色の強いアイドルってほんと多いよね」

成る程。そういうことか。

「でも私、合唱部の練習だけじゃなくて予備校もバイトもあるんだよ。軽音部の練習に付き合えるのは土曜の放課後だけかな。学祭まで3回?4回?あと私が頑張って時間作ってもプラス1~2回かな。それでほんとに良いかな?」

大丈夫。アマネさんのピアノは信頼してる。

アマネさんのピアノはしょっちゅう聴いてるのだ、全校生徒が。


数回の練習で、なんとか見せられるレベルに仕上げた。

アマネさんも頑張ってくれたけど軽音部だってめちゃくちゃ頑張ったのだ。

しかしアマネさんはどこ吹く風で、軽音部の練習をした後スキップしながら第二音楽室の合唱部の練習に戻っていく日もあったし、逆にスキップしながら合唱部の練習から軽音部の練習に顔を出す日もあった。

合唱部のスコアと軽音部のスコアをまとめてピンク色のファイルに束ねて。


1度、2人きりで帰宅した日があった。

アマネさんが教室に忘れ物をしたというのだが「暗くて怖いから着いてきてよ」と腕を掴まれたのだ。多分その時最も至近距離にいたのが僕だったから。

少し肌寒い帰り道。

ふと思い立って、途中のコンビニで彼女に肉まんを奢った。

無理を言って軽音部まで手伝わせているのだ。これくらいのギャラは払うべきだと思って。

なんとなく音楽の話をして、ぼんやりと進路の話をした。来年には受験生だ。

彼女は音大にでも進むのかと勝手に思っていたらそのつもりはないと言われた。

福祉関係の大学に行きたいそうだ。まあそこから音楽療法士になるという手もあるしね、と肉まんを頬張りながら話すアマネさんの横顔は笑っているがとても大人びて見えた。


学祭当日。

軽音部が部室にしている第2視聴覚室。

「体育館で軽音部の私の出番が10時半じゃん?そんでその後お昼の1時から合唱部なんだよね。私何気に忙しいね。お昼何食べようかな?」

「後で調理部のマフィン買っておいてあげるからそれ食べなよ、アマネ、目ぇ閉じて。ほら動くなアイラインがズレる」

部室の隅っこで伊藤さんがアマネさんにメイクをしている。

伊藤さんは地味に文芸部なのだが「今日は午後に店番すればいいだけだから。クラスの方の店番は明日だし」と真剣な顔でアマネさんの顔と向き合っている。

少しだけギャルっぽい伊藤さんが文芸部を選んだのは「本読むのは好きだし、活動が緩いんだよ。だからバイトとかライブ行くのに差し支えないし」というのが主な理由だそうだ。

「伊藤はね、見た目はこんなんだけどバンドマンの影響で難しい本ばっかり読んでるんだよ。ドグラマグラとか」

ドグラマグラ。

現代文の授業でタイトルだけは目にした事がある。勿論読んだことはない。

同じロックが好きなはずなのに僕と伊藤さんは余り話したことがない。同じようなものが好きなのに住んでいる世界がずれている。それもなんだか不思議だなと思った。

むしろ今回の事があるまで、アマネさんとも凄く仲が良かったわけではないのだが。

「アマネ、あんたいつも一言余計なんだよ」

メイクが終わり、伊藤さんに手鏡を渡されたアマネさんは満足げな表情を浮かべる。

「終わったら即これでメイク落とすんだよ、合唱部は素顔じゃないと怒られるでしょ」

伊藤さんはメイク落としシートをカバンから取り出す。

アマネさんは軽く「サンキュー」と言ってそれをブレザーのポケットに突っ込んだ。

伊藤さんの方が小柄なのに保護者に見えた。


僕は優しいからフルメイクのアマネさんと伊藤さんのツーショットを彼女らのスマホで撮影してあげた。

スマホを仕舞ったアマネさんは僕の方を向いて「ありがとう」ニヤリと笑う。


メイクをした彼女はびっくりする程綺麗だった。


「じゃあ今日はよろしくね、キタノ君」

そう言いながらアマネさんは僕に握手を求めてきた。

「………おう」

ギターケースを背負ったまま、僕はその華奢で真っ白な手に軽く触れた。

伊藤さんがいる手前、あんまり強く手を握るのは躊躇われたから。

異性の手を握るのはなんとなく恥ずかしいではないか。

「テンション低いな、ギタリストの癖に」

伊藤さんは苦笑いしながら先に部室を出ていった。

恐らく伊藤さんはいつも僕なんか比にならない位カッコいいギタリストを何人も見ているのだろう。

アマネさんは去り行く伊藤さんの背中にずっと手を振っていた。

それは友達に対する、愛のこもった笑顔だ。


その横顔を見た瞬間、僕の心臓が不意にミシリと強く動いた。


彼女の横顔を見るのは初めてではないのに。


伊藤さんに立派なメイクをしてもらったアマネさんは浮かれた様子で、いつものように軽くスキップをしながら体育館に向かっていった。

僕はその後ろを早足で追った。

ポケットに雑に突っ込まれていたメイク落としが落ちて、慌てて拾い上げて更に追い掛ける足を早める。


アマネさん、待って。


揺れる彼女の髪から良い匂いがした。

彼女の鼻歌を聴きながらふと思う。


これを人は恋と呼ぶのだろうか。

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