1.0未満ヒロインズ
福本丸太
第1話
そんなだから割と人気のある女子で、僕――
「大鍋くん、あなたのことが大好きです」
ある日の放課後、学校の職員用駐車場。その彼女が僕に向かってそんなことを言う。彼女の頬を赤らめているのは梅雨が明けて強くなった日差しのせいだけじゃなさそうだった。
この告白を唐突には感じなかった。ここ何日か、ひとりきりになったタイミングで話しかけられる日が続いて、それが「趣味はなんですか?」だの「恋人はいますか?」だのと〝この先〟を期待させる質問ばかりだったからだ。嫌でも「もしかして」と空想してしまう。
「趣味は特にない」
「恋人はいない」
ひとつの質問にひとつ返事をするとすぐ走り去ってしまうのが不可解ではあったものの、今日ここに至って納得できた。
それは全部この時の為、覚悟が固まるまでに必要な時間だったのだ。
校内のヒエラルキーだけで言えば僕なんかと話すならもっと高圧的であってもいいくらいなのに、彼女は祈るようなポーズで震えている。それだけでイタズラ目的の告白じゃないと真剣さが伝わった。
「もしよかったら私と、付き合ってください!」
その緊張を解いてあげたいと誰だって思う。彼女が望むならなんだって叶えてやりたいと僕も思う。
しかしながら、回答は決まっていた。
「それどころじゃないんだよォ!」
重ねた浅いコンテナを台車へ乗せながら言い放つと、副島さんは目を見開いて何度も瞬きした。肩口で奇麗に切り揃えられた毛先やグロスが光る唇だとか、覚悟も準備も整えて決行したのだろうけれど、こっちの心境は今の一言に尽きる。
「なぜならば両親が夫婦揃って倒れましてねェ? うちは三人家族一丸でなんとか切り盛りしてる弁当屋なんだよ。どんな事情があろうと食材の仕入れや支払いはやって来るんだ。なら僕が! ひとりで! なんとかするしかないでしょ!」
だから返事は必然――
「それどころじゃないよねェ?」
元々店は手伝っていたので商品は問題なく用意できても、高校生がたったひとりじゃ普段と同じ営業は諦めるしかない。そこで学校へ掛け合って、学校内での昼食の販売を一時的に認めてもらった。職員室で誰彼構わず泣いて縋って手に入れたチャンスだ。
「昼休みに弁当を売っていいことにはなったけど、その代わり始める以上当てにして登校する生徒が出てくるから『安定した営業を一定期間続けるように』って校長と約束したんだ。実際やってみてから『あ、コレ辛い』って思っても今更やめられないんだよ! 現に今! 辛いと思ってます!」
様子見で少なめに持ち込んだ初日は散々で、しかし次の日から売れ行きは一気に伸びた。嬉しい誤算だったけれど、ひとりで搬入できる数は限られる。
夏の早い夜明けよりも早く起きて、具を調理し飯を炊き詰めた弁当を台車に乗せゴロゴロ押して学校と往復。授業の合間も抜け出してやっぱり往復。学校が離れた所にあったら地獄だったと思う。それでももうやめたい。辛い。
「明日の仕込みがあるからサッサと帰りたいのに、そこへ立ち塞がるのがホラお前だァ!」
僕にとっても憧れの、みんな大好き副島さん。こんなにも邪魔に感じる日が来るなんて。
彼女はどうやら諦めていない。強い視線を揺らさずに、自分に言い聞かせるように小さく頷くと一歩前へ進み出た。
「あの、私、副島依央って言います。別のクラスで――」
「あぁんもう、知ってるよォ!」
言い終わる前に声を被せると、副島さんはとうとうビックリしてちょっと縦に伸びた。そんな動揺にも付き合っている暇は無い。
「こう何回も意味ありげに声をかけられてたらさ、そりゃ誰だって意識しちゃうよね? 正直以前から気になってましたし!」
昼休みに弁当を売り、売れ残りと一緒に空になったコンテナを駐車場に置かせてもらっている。それを何度かに分けて弁当屋兼自宅に持ち帰る。その最中に話しかけられることが多かった。だから最悪だ。
「忙しいんだよ! 売れ残りの廃棄で悩んでるときに、ちょいちょい質問して逃げてくのやめてくんない? なぜならばそれどころじゃないからだ!」
最初こそ期待して浮かれもしたものの、「鬱陶しい」という感想に変わるまで時間はかからなかった。
「安定営業するって約束があるせいでこだわりのラーメン屋みたく品数を限定して『今日はもうこれでおしまい』ってわけにはいかないんだよ。だから苦労して運び込んだ商品が廃棄になるのは仕方がないとしてもだよ? 放課後こうして取りに来たら、売れ残った数から減ってんの! 盗まれてんの! まったく、この学校の人間はクソだな!」
副島さんとなんの関係もない愚痴になってしまっている。気持ちが昂ってもう収まりがつかない。
「盗まれた弁当でも、それで食中毒とか起こされたらこっちの責任になるんだよ。ココは屋根もないし目隠しのシートが日除けになってるだけだから、傷んだっておかしくないよね? じゃー僕はどうすりゃーいーんでしょーか!」
食品を扱う商売にとって、食中毒騒動はまったくもってシャレにならない。とりあえず営業停止、復帰しても大手を振っては販売できなくなる。致命的だ。
そんな問題で苦しんでいるところへ、みんなのアイドルが恋愛脳でノコノコやってくるわけだ。今日もいるわけだ。
「あの、返事はすぐじゃなくっていいから。私、待つから」
副島さんは視線を泳がせて戸惑いながらも、なんとか食らいつこうとしている。なんてしつこいんだ。油汚れか。
「それどころじゃないねェ! 本当に本当にそれどころじゃない。『勉強・部活に集中したい』とかいうのは断りの決まり文句らしいけど、僕はもっと切実だ。なんてったって家業がかかっています! 告白よりお買い上げください! 〝胃袋にガツンとデラックスボリューム弁当〟、おひとついかがでしょうか!」
「そんなに揚げ物が多いとカロリーが気になるからちょっと……」
「なんだよ! 僕のことが好きなら、うちのメニューのことも好きになりなよ!」
こんなに時間が経っていたら売れるはずもない弁当をコンテナへ戻し、一際大きな声で吠える。
「当店からの回答は以上、次回は営業時間内でのご来店をお待ちしております! つまらない愚痴を聞いてくれてありがとうございました!」
好きな人が折角聞かせてくれた告白を最悪な形で打ち返した。
台車を押して郊外へ出る頃には、もう後悔は始まっていた。
(ああ……、なんであんなこと言っちゃったんだ……)
目が回るくらい忙しくて切羽詰まっていたのは事実だ。もし告白を受け入れていたら、きっと日常も業務も手に付かなくなる。
家業を手伝う以外は平々凡々と過ごしてきた生活に訪れた両親の入院という急降下、からの憧れの人に告白される、という乱気流。飲まれて元の軌道に戻れるはずがない。
だから断ったはずだったのに、翌朝になって何度も思い出して悔やんでは家でも学校でも所構わず転げ回りたい衝動に悶えている。そんなだから作業も同じことをしているのに昨日より時間がかかって、そのせいで今朝は遅刻してしまった。
拒絶したのに心は副島さんの虜だ。どうせ同じ結果になるのなら受け入れておけばよかった。ついそう考えてしまう。
それに、嬉しい変化のはずだった。客商売なんて何処までいっても不安が大きい家業は放り出し両親に恨まれてでも、副島さんを選んだってよかった。
(けどそんなこと、どうでもいい)
昨日のことで反省しなければいけないことは、副島さんを傷つけてしまったことだ。断るにしてもあの態度はなかった。
(放課後、謝りに行こう。搬出なんて遅れてもいい。ゆるしてもらえなくても、『改めて』なんてチャンスはもらえなくても、謝りに行こう)
ひとつ決心すると少しだけ胸の重しが軽くなった気がした。
たとえもう嫌われているとしても、彼女の為にできることはしたい。
今日もまた昼休みが始まった。即ち弁当の販売時間。これで営業活動までグズグズにしてしまったら副島さんを拒絶した意味さえなくなるのでがんばりたい。
昇降口前のスペースが学校から許可された戦場だ。
「はーい。すぐ準備できますんで、ちょっとまってくださいねー」
長机の脚を伸ばしながら、早速集まり出した生徒に声をかける。客入りは昨日と同じくらいのようだ。早く捌き切りたい。
そうしていよいよ準備が整い弁当をひとつ手に取ったところで、昨日の光景がフラッシュバックした。副島さんの赤面と、身勝手な自分の言葉。弁当を売る為に犠牲にしたもの。
「あ……えっと」
思考も体も固まって、
そんな憂鬱な予感は、唐突に横から伸びてきた手によって断ち切られた。
「ありがとうございます。……ねえ大鍋くん、コレいくら? 胃袋にガツンなデラックスボリューム弁当」
千円札を受け取りそんなことを聞いてくる副島さん。制服の上にエプロンをかけ、ショートカットを三角巾で覆っている。これはまるで弁当屋の装いだ。
「……400円」
なんとか口は動いても、心は「なんで?」から離れない。
役立たずの僕に代わって、副島さんは脇に用意してあるケースから釣銭を返しチラシを添えて弁当を渡す。それから僕の顔を覗き込むみたいに小さく頭を下げてほほ笑んだ。
「言われた通り営業時間内に来てみました。よかったら私にお仕事を手伝わせてください」
僕も憧れる、みんな大好き副島さん。彼女はタフだった。
告白を聞けないほど忙しいなら手伝おう。そういうシンプルな行動を自然にできてしまう彼女への尊敬と、面倒な労働を買って出てまで諦めないでいてくれることがありがたくて、気が付けば叫んでいた。
「僕と付き合ってください! ……僕と、付き合ってください!」
昨日の暴言よりも大きな声で繰り返して、これであの記憶を塗り潰してしまいたかった。
副島さんが噛み締めるみたいに首を縮めると閉じた唇が膨らみを増した。それからほっとした顔で頷く。
「うん。こちらこそ、よろしくお願いします」
お互いに吐き出したため息は、乱気流と呼ぶにはあまりにも安らいでいた。
メニューと料金をメモに書いて机に張り付けると副島さんはパッと見ただけで憶えてしまったようで、一度も戸惑うことはなかった。客と金と商品が目まぐるしく出し入れするうちに混乱して引き算が出来なくなった経験が何度もある身としては感動を覚える。
「はい、ちょうどですね。ありがとうございます。明日もよろしくおねがいします」
愛想の良さについては僕と比べようもない。客は男子生徒が多いので、どうせなら可愛い子のほうがいいと思って応対は任せた。分業で品出しに集中できる。
「……副島さんは働き者だなあ」
限られた時間に早く昼食を手に入れたい生徒たちが詰めかけているというのに、つい感想に囚われてしまう。
「うん。そんなに何回も褒めなくていいのに。それよりホラ、からあげちょうだい?」
副島さんは手首で口元を隠して笑った。照れる仕草も可愛い。
「この子、僕の彼女なんですよ。いいでしょ?」
誰かも知らない生徒に話しかけると、困った風に笑って弁当を受け取った。
「これから食うっていうのに、腹いっぱいになっちまうよ」
販売開始直前に突然の告白劇を演じて、その様子を見せつけられた生徒たちも同じような顔をしながらも手を叩いて祝福してくれた。
「なんてあったかい学校なんだ。炊き立てだ」
「うん。今はお弁当売ろうね」
昼休みが半分過ぎて客足が途絶えてもすぐに店じまいというわけにはいかない。校長と約束した〝安定した販売〟というのはそういうことだ。
「そろそろ僕らも食べとこうか」
売台に使った長机をそのまま使って、弁当をひとつ取って開く。副島さんは少し迷ってからハンバーグ弁当を選んだ。
「じゃ、食べようか」
僕たちは恋人同士になった。そうなってから初めて、落ち着いて向かい合う時間。「恋人同士の会話」と意識すればなんだか気恥ずかしくて、どういう話題を持ち出せばいいのかわからなくなる。
でもとりあえず、ごはんを食べる前の一言は決まっている。
「「いただきます」」
声が重なって、そんなことさえ嬉しかった。
「お客さん、あんまり女の子いなかったね」
「明日からはもっと男子が増えるんじゃないかな。副島さんと話したくってさ」
僕も買いに来たいところだ。売る側から離れられない自分の立場を呪う。
「えっと……喜んでいいんだよね? 営業的な意味で……。そうだ、このチラシ少し貰っていいかな? 教室で宣伝しておきたくて」
なんと副島さんは明日からも手伝ってくれるそうだ。しかもかなり意欲的。助かるどころかもの凄い営業効果が見込める提案なのでかえって恐縮してしまう。
「本当にいいの? そこまでしてくれるなんて、悪いよ」
「うん。だって、彼女ですので」
答えははにかみつつ返って来た。
「ただ単純に一緒にいたいの。苦労したっていいんだよ」
副島さんに好かれるなんて冗談みたいな話だけれど、もう「夢のようだ」なんて疑わない。好かれている、その確信が嬉しい。
「そうなると女子も増えるかな。副島さん、友達多いもんね」
人付き合いをナチュラルに商売と繋げて考えてしまう僕は交友関係が疎かだ。そこは年齢が二桁になった頃から従業員に数えられていたせいにしたい。当たり前だけれど副島さんは違って多方面に顔が広い。
「うん。宣伝してみる。でもあんまり期待はしないでね? 今日来てた女の子って……みんな運動部の子たちだったし……」
メニューのチラシを眺めて顔色を曇らせた。どうやら副島さんは品揃えについて深くツッコんだ話がしたいらしい。
「昨日も言ってたけど、やっぱりカロリーが気になる?」
その方向へ水を向けると、副島さんは箸を置いてすまなそうな顔をした。
「えっと……少し手伝っただけで、余計なこと言っちゃったかもです。……ごめんなさい」
視線を落ち着きなく横へ飛ばし、狭めた肩を震わせる。心配になるくらいの萎縮ぶりで仔犬を叱っているような気持ちになった。
もしかすると昨日のことが尾を引いているかもしれない。なにしろ彼女の目の前にいるのは〝告白したら好き勝手に喚き散らした情緒不安定男〟なのだから、怯えて当然だ。
そう言えばまだそのことを謝っていない。
「あの、昨日はごめん! ちょっと忙しかったっていうか、いっぱいいっぱいだったんだよ。なのに今日副島さんが自分から来てくれてホントに嬉しかったんだ。しかも仕事まで手伝ってもらって、すごく助かった。明日からも来てくれるんだから、もうあんなことしないよ」
言いながら「これは脅迫では?」という気がしてきた。「手伝わなければまた喚き散らしてやる」と解釈されかねない。
「あっ、違うんだ! 副島さんの話をちゃんと聞くっていいたいだけで、迷惑に思ったりなんかしないからなんでも言ってほしい」
部外者がメニューに物申すなんて普通なら「うちの経営方針に口を出すんじゃない」と撥ね退けていいところかもしれない。しかし一緒に弁当を売った今副島さんを〝部外者〟とは考えられなかった。親身になってくれているとしか思わない。
「っていうか僕、副島さんの声が好きでね? もっと近くで聞きたいって前から思ってたんだ。だからなんでもいいから話してほしい――っていうのは別に内容を聞いてないとかいう話じゃあなくってね? 僕はなにを言ってるんだろうね?」
混乱している間、副島さんは感じ入った様子でほほ笑んでいた。どうやら心配しなくてもよかったようだ。
僕は混乱する意識を締め上げて言葉をまとめる。
「あーっと……好きです。副島依央さん」
まだちゃんと言っていなかった。副島さんからは昨日聞いていたのに。
副島さんはハンカチで目元を拭って腰を上げ、一度畳んだパイプ椅子を動かし僕の隣に座り直した。
顔が近付き、唇が耳元へ寄る。
「私も好きです。大鍋梵士くん」
湿り気を感じるような距離で吐息が触れる。「近くで声を聞きたい」と伝えた願いを早速叶えてくれた。
僕はこのひとに一体なにを返してあげられるだろう。彼女の勇気と献身に報いるには弁当の現物支給だけじゃあまりにも足りない。
「メニューのことだけど、何かアイディアがあるの?」
放課後、家に向かって台車を押す道すがら副島さんに尋ねる。横からコンテナを押さえていてもらえるので一度に多くの数を乗せられた。今日からはもう往復しなくて済みそうだ。
「うん。女子向けのメニューがあったらいいかなって」
「って言うと、やっぱりカロリーかあ。うちは美食やヘルシーで売ってるわけじゃない昔ながらの弁当屋だもんね。満腹にさせることが唯一の目的っていう。……よし、じゃあヘルシーダイエット弁当を考案しよう」
「えっと……それってまさか商品名じゃないよね?」
「ダメかな」
「女子向けのメニューがあるって喜んで、そんなこと言われたら卒倒しちゃうよ」
自分に置き換えて想像しているのか、副島さんの顔色が青くなる。時々反応がオーバーで、見ていて面白い。
「それじゃあ弁当の内容は僕が考えるから、名前は副島さんに任せてもいい?」
「えっと……一度持ち帰りまして検討させていただきます」
「ハイ、よろしくご検討ください」
なんだこのやり取り。
今になって考えてみれば、副島さんを一度拒絶した自分に呆れる。なにを怖がっていたんだろう。副島さんに夢中になって家業が疎かになると心配していたけれど、むしろ副島さんのほうが仕事のほうに寄り添ってくれている。手伝わせている後ろめたさについては精一杯埋め合わせをすれば済むことだ。バイト代も払おう。
「大鍋くんの家って、この商店街にあるんだね」
「ああ、
「うん。なんていうか……」
「寂れてるでしょ。駅があるからラッシュ時にはそこそこ混むんだけどね」
アーチ形の古ぼけた看板。点々と並ぶよく手入れされた花壇。二十店舗少々が居並ぶ商店に挟まれた通りはハッキリ言って閑散としている。
昔々この辺りには小さな漁村しかなかったそうで、そこに線路が通りやがて隣町へ勤めに出るひとたちが住むようになった。その後も住宅団地を増やしながら純粋にベッドタウンとして成長してきた町だ。勤め人以外では漁師や農家がほとんどで、目立った産業はない。みんな買い物をするにも遊びに行くにも他所へ出かけていく。
そうしたわけで我らが愛すべき朝霧町商店街は駅前通りであるにも関わらず、何十年も前から風景がほとんど変わらないらしい。
強いて言えばここ数年でシャッターを開けない店がぽつぽつ出始めた。これは不況の煽りというよりも時代の流れと受け止める他なかった。
「だってホラ、今はナコアがあるからさ」
数年前、近くに超大型モールができた。デパート・スーパーマーケット・ホームセンター・各種レジャー施設を兼ね備えるという、近隣すべての需要を吸い上げる恐ろしい悪魔的ショッピングモール、ナコア。我々地元の商売人にとっては「死ぬがよい」と言われているに等しい。
「あそこって大きな駐車場があるからさ。みんな車かバスで行くし、そこの駅より利用者多いんじゃないかな。商店街は大打撃だよ。もう瀕死」
「へ、へ~……」
見れば副島さんは微妙な顔で聞いていた。
愚痴なんて聞かされて楽しいわけがない。いくら僕を含む商店街一同がナコアを憎んでいるとしても、副島さんには無関係な話だ。
「あっ、でもウチはコンビニみたく日常に密着した経営体系だからあんまり影響ないんだ。元々あんな郊外型の超大型施設が近所にできるような田舎はそのうちこうなることは目に見えてたんだよ。ベッドタウンとして完成していく中で商店街は消える運命――ってそんなワケあるか!」
自分で想像した未来図を、胸の奥から吹き上げた商店街愛で焼き尽くす。
「本業を別に持つ巨大資本が異業種参入ってズルいだろ! こっちの土俵でいくらヘコましたとしても、別のトコにある本体からずっと輸血されて死なないんだ。体力勝負で大企業に勝てるワケがない! ああ! かわいそうなセ〇サターン!」
ナコアの経営母体のそのまた上は工業部品かなにかを作っている企業だ。〝敵〟ということ以外を詳しく知らない。
副島さんは怯えるような顔でこっちを見ていた。彼女の前で突然喚き散らすのはこれで二度目だ。
「……現実としてはヘコますことなんてできないんだけどね」
どっちみち聞き苦しいという点で自虐ネタはフォローにならない気がする。
再び台車を押し、すぐに家に着いた。自宅兼店舗の〝おかずの大鍋〟は表のシャッターに「都合により~」のチラシを貼り出して黙りこくっている。店名はおかずだけを売っていた頃の名残りだ。今でもコロッケやからあげなど、いくつかのメニューは個別で販売している。
「……寄ってく?」
交際初日に家へ誘うのは難易度が高いだろうか。それでも、このまま別れてしまうのはマズい気がして声をかけた。
やっぱり、副島さんは首を振った。
「ううん。大鍋くん疲れてるだろうから、また明日学校でね」
笑顔は自然なものだったと思う。優しい彼女はきっと心から気遣ってくれた。
そういう風に受け止めてそれ以上は考えないよう意識しながら、店舗から入ってすぐの所に倒れ込んだ。
床で休んでから服を着替え翌朝の仕込みをしていると、不意に店舗の電話が鳴った。
事前予約の大量注文に限り配達も請け負っている。もしそうだったらこの状況では対応できないので断ろうと心構えをしながら受話器を取る。副島さんだった。
電話番号は弁当の箸袋に環境にやさしい醤油インクで印刷されている。副島さんのことだから昼間見たときに憶えたんだろう。
なにを話せばいいかと迷うのも束の間、「明日の朝何時にそっちへ行けばいいかな?」と来た。本当に彼女はタフだ。
毎日、副島さんは本当に手伝ってくれた。昼休みの販売だけでなく朝の搬入と放課後の搬出。それに女生徒向けのメニューの発案とネーミング。
ごはんの領域を一部おからに譲り全体の量も半分に減らした新メニューは、翌日から好調な売れ行きだった。副島さんは本当に宣伝をしてくれたらしい。
「こんなに量を減らして売れるのか不安だったんだけど、全然心配なかったね」
「うん。私としては男子の食事量のほうが不思議だけど。太らないなら羨ましい」
今日もハンバーグ弁当を選んだ副島さんが脇腹を突いてくる。
共に協力して戦場を生き延びたことで、ちょっと普通の恋人同士とは違う距離の近付き方をしている気がする。それが特別に思えるから嬉しい。
「この販売を始めてからむしろ痩せたよ。副島さんも弁当屋と付き合うからにはもうちょっと太る覚悟をしてもらおう。やっぱり食べ物屋は太ってるほうが説得力あるし」
「う~ん。それは気を付けたいところですね」
笑い合って、箸を口へ運ぶ。食事の時間が楽しい。些細かもしれないけれど、大切なこと。
副島さんには感謝をしてもし切れない。本人が苦にしていなくても、副島さんは明らかにアルバイトに望む以上のことをしてくれている。
弁当保管場所に理科準備室を借りれるよう交渉してくれたこともそうだ。これでもう職員室に置いておいて「うまそうな匂いがして困る」とありがたい苦情を言われなくて済む。その度に「取り置きしておきましょうか?」と返すのは好きだったけれど。
「副島さんの給料、ちゃんと払うからね。時給で換算するとしょっぱいことになっちゃうし、額については経営者じゃないから決定できないけど、ちゃんと満足いくようにしてもらうから。そうじゃなきゃオヤジの入院を長期化させる」
「ううん。それあんまり気にしなくていいよ。私アルバイトしたことなかったから、新鮮な体験で楽しかったし。ところであの……ご両親の入院の理由って?」
そんなに聞きにくそうにするような繊細な事情じゃないので笑って答える。
「夫婦揃ってギックリ腰。オヤジが先で、仕事中に動けなくなって救急車呼んだんだ。そんで『商売があるのであとはお願いします』ってお辞儀したかーちゃんもそのときやっちまって2台目を呼んだ」
「それじゃ、深刻な病気とかじゃないんだ。よかった」
副島さんは本気で心配していたようで、ホッと息を吐いて緊張を緩めた。
「僕としてはそのあと急にひとりで店に残されてからのほうが泣きそうだったよ。ていうか、泣いてた」
パニックを起こしながら注文を取っていたら客が気を遣って「やめとこうか?」と言い出すほどだった。「買っていってください」と更に泣いた。
「休業したら潰れるほど苦しいわけじゃないから親が退院するまで休んだってよかったんだけどさ、仕入れ先との付き合いがあるからね。こっちの都合で『しばらく仕入れません』なんてコトになったら向こうが困るでしょ? それで学校で商売することにしたんだ」
なのでひとつも売れなかったとしても当初の目的だけは果たせる。
「それがまさかこんなに儲かっちゃうとは思わなかったよ。全部副島さんのおかげだ。それで給料とは別にお礼をしたいんだけど、週末の予定は空いてる? デートしよう」
「えっ」
副島さんは目を見開いて固まった。驚いている。
恋人にデートに誘われた反応には見えない。今のところ働かせてばかりいるからきっと喜んでもらえる。そう思ったのに、これには動揺した。
(あれ……? おかしいな。まさか告白はドッキリ? いや、労力かけ過ぎでしょ。そんなわけない。副島さんがそんなことするわけないじゃないか……!)
自分に言い聞かせながら引き続き顔色を窺う。
「デート、ですか……。ふぉぉ」
横へ逃げる視線。不安そうに指を動かす手遊び。挙動が怪しい。口はなにかを言おうとして開いては閉じる。
たまらなくなって、聞かずにはいられなかった。
「嫌なの? デート」
「……そういうのはまだ、早いんじゃないですかね?」
衝撃を受けた。
(デートが早いってなんだ? じゃあ恋人同士って、一体なにするんだ?)
経験がないだけにわからない。一緒に弁当を売っても絆は深まるにしても、そこに特別な関係性は感じられない。ふたりきりで出かけることだってそうだ。恋人同士に限るわけじゃない。なのに、断られた。
「いやあの、どういうこと? ふたりきりで出かけるのに困るコトってある? 早いとか遅いとか、ABCならまだその気はないよ? そりゃゆくゆくはあわくよばと考えてるけども、むっつり下心はしっかり
「わ、私のことも揚げ物にする気ですか!」
お互い混乱してよくわからないことを言い始めてしまった。加熱は止まらない。
「だっておかしいよねェ? なにも今スグここで『貴様の唇を奪う』とか『乳を揉む』とか言ってるわけじゃないんだよ? 役場の保健衛生課がずっと見張ってるワケじゃないんだ、永遠に健全で衛生的な付き合いなんてしない!」
「今はホラ、お弁当を売るコトで頭がいっぱいで……」
「その状態の僕を引きずり込んだのは誰だァ!」
ふと気が付けばいつの間にか、近くに生徒が来ていた。呆気に取られた顔で500円玉を差し出している。
「あぁぁあ――いらっしゃいませェ!」
「100円のお釣りです」
錯乱が続く僕と違って、お釣りを渡す副島さんはすっかり平静に戻っていた。
一体なんなんだこの子は。
午後の授業を挟んで放課後を迎えたときには、どうにか落ち着きを取り戻せていた。
「正直副島さんがなんで嫌がるのかわからないけど、気が向くまで待つよ」
理科準備室から売れ残りを回収して、台車に積む。
昼休みは何を言っていいかわからなくて声もかけずに別れたので「ギクシャクするかも」という心配はまったくの杞憂だった。副島さんは堂々現れて、こうして手伝ってくれている。
「えっと……ゴメン、ね?」
申し訳なさそうな態度。また挙動不審になっている。
「気にしなくっていいよ。仕事の手伝いしてくれるだけで死ぬほどありがたいんだし」
浮かれているんだと思う。たくさんお世話になっているのでお返しをしたかったのは本心だ。でもそこには「かっこつけたい」という見栄があった。迷惑をかけるばかりの男じゃないと、副島さんに胸を張りたかった。副島さんは不満なんて少しも言わなかったのに。
「僕が副島さんを好きで、副島さんが僕を好きならそれでいい。それ以上に恋人らしいコトってないと思うから」
「うん。私は大鍋くんが好きだよ」
不意打ちに照れる――よりも、不思議な違和感があった。
さっきまでのオドオドぶりとは打って変わっての柔らかい笑顔。
豹変と呼ぶにはあまりにも静かな変化であるものの、違う人間を相手にしているように錯覚した。
(……考え過ぎだよな。大体、豹変ならお互い様じゃないか。また怒鳴っちゃったし)
副島さんはこういうひとなんだろう。なにを任されても平然とこなす優等生なイメージがあって、実際弁当の販売でも理科準備室を借りるときにした先生との交渉でも頼もしかった。けれど、時々崩れる。
先入観通りじゃなかったからといって別にガッカリはしない。それだけ強い影響を与えるほど自分は彼女にとって特別だということだ。恋人の知らなかった一面と思えばこれはこれで可愛らしい。
それでもやっぱり、「どうして副島さんはデートを喜んでくれないのか」という疑問だけは胸に刺さって残った。
世の中にどんな不思議があろうと恋人に謎があろうと、必ず営業時間はやってくる。
夜明けに起きて弁当を詰め学校へ搬入し昼休みに売り放課後残りを持ち帰る。このローテーションを毎日続けた。二日目には死にそうな気がしていたものの、すぐに副島さんが手伝ってくれるようになってからはぐっと楽になった。それは手伝ってくれるからという表面的なことだけでなく、精神的な支えになってくれるからだった。
なにしろ楽しい。隕石が直撃して学校ごと昼休みが無くなれば仕事をしなくていいのにと祈ることもなくなり、副島さんに会える喜びで明日が待ち遠しくなった。
体の調子が良くて疲れも感じない。「恋とはなんてすばらしい」と自然に口から出てしまっても、副島さんは呆れずに笑ってくれた。
そして迎えた本日は金曜日。即ち明日は土曜で学校がない。突然教育改革が起こって昔はあったらしい土曜授業が復活したとしても、半日授業で昼休みはない。
「今週最後の営業時間を乗り切ったー!」
昼休みの終わり際、客の波もすっかり引けたのを見計らって腕を突き上げた。副島さんは隣で拍手してくれている。
学校での弁当販売計画。ひとりではきっとうまくいかなかった。全部彼女のおかげだ。
(どうにかして感謝の気持ちを伝えなきゃ。もう一回、デートに誘ってみようかな?)
肩の力が抜けた今ならまた断られる不安を忘れてチャレンジできる。副島さんもこの勢いでオーケーしてくれるかもしれない。
だけれどどういうわけか、肩どころか全身の力が抜けてその場に崩れ落ちてしまった。
目覚めれば保健室で、副島さんから事情を聞いたらしい保健の先生から「過労じゃないかしら」と告げられた。気が抜けたところで押し寄せてきた疲れに負けてしまった。なんというか、典型的だ。
副島さんはベッドに椅子を寄せ、今にも泣き出しそうにしている。いきなり目の前でぶっ倒れられたらこうもなるだろう。
体は特になんともない。むしろスッキリしている。だからと言ってここで飛び起きて「ダイジョーブ、元気元気!」とはしゃいで見せても余計に心配させる。笑いかけるくらいしかできない。
「あー、今は授業中? 売り場の片付けとか……あと、売上金は?」
商売人としてはそこがなにより気にかかる。
副島さんは手持ちの金庫を見せてくれた。
「えっと、お弁当は運んだけど机はそのまま。先生に事情を伝えてわかってもらえたから大丈夫。今はもう放課後」
たどたどしく、それでも必要なことを欲しい順に教えてくれる。なんとできた従業員か。
「大鍋くん、よく寝てたよ。ムリしてたんだね。……もっと早く手伝ってたらよかった」
少しだけ声を震わせて、目の端をハンカチでそっと抑える。
(また、迷惑かけちゃったなあ……)
いっそ本当に従業員というだけなら全部任せても心は痛まないが、そういうわけにはいかない。彼女は恋人だ。なんとしても埋め合わせをしなければ見限られてしまう気がする。
「ねえ、やっぱりデートしようよ。明日か明後日――できれば両方、副島さんに会いたい」
モジモジ身をよじった副島さんは気まずげに金庫を指で撫でた。
「でも大鍋くんは倒れるくらい疲れてるんだから、しっかり休まないと。来週もお弁当売るんでしょう?」
「もちろん。一度掴んだ客を手放したくない」
「私、作るところから手伝おうか?」
「日の出頃から作業するのに、それじゃ副島さんが大変過ぎるよ。今度は副島さんが倒れる。そんなのは嫌だ。それよりデートをしてほしいんですけど」
「うぇぇ、困ったなあ……」
だからどうして困るのか。
戸惑って言葉に詰まったとき、保健室の扉が開いた。
「ボンジー、いるー? ……おやっと、噂の彼女だわこりゃ」
元気よく踏み込んで来て、僕と副島さんを見るなり腰を引いた女生徒。
緩い癖毛、常にビックリしているみたいなでっかい眼、緊張感を寄せ付けない緩んだ口元。どれもよく知っている。
「倒れたって聞いたのに、イチャつく元気があるなら平気そうだね」
「ああ、イチャつく元気はある」
副島さんとはまだ手も握っていないけれど、意気込みだけは答えておいた。
当の副島さんは闖入者に怪訝な視線を送っている。
「ええっと、たしか……同じ学年の……?」
「僕とも副島さんとも別のクラスだけど、顔くらいは知ってるよね?
商店街組合からの頼みを断り切れずにご当地アイドルなんてやっていたりするけれど、ここではまあいい。
紹介して身分が明らかになったというのに副島さんはかえってギョッとした。
「それじゃ、ふたりは幼馴染?」
「ん? ああ、そういうことになるかな。小さい頃からお互い知ってるし」
「『ボンジー』って、ナニ?」
「なにって……あだ名? いや僕梵士だから、そのまんまだよ」
「ひぇ~、そういうことですか……」
副島さんの顔色がどんどん青くなって挙動不審が再発した。膝に乗せた金庫をカチャカチャ揺らしながら絶望的な表情でニーナを見ている。なんだこれは。
「ニーナお前、副島さんと因縁でもあるのか? 言っとくが僕は副島さんの味方をするからな。副島さんがお前の一族を根絶やしにしていたとしてもだ。僕がトドメを差してやる」
「あのねー、そーゆーコト言う? アンタの代わりにアンタの親の見舞いに行ってあげてるこのアタシに」
「代わりに親の見舞いを!?」
突然興奮した副島さんが立ち上がって、その肩にポンとニーナが手を置く。
「ダイジョーブ。ボンジーとは幼馴染だけど、そーゆーんじゃないからマジに。商店街は持ちつ持たれつでやってるだけ」
ゆっくりと首を振る、訳知り顔が無性に腹立たしい。
が、文句を言う前に廊下へ身を躍らせて出て行ってしまった。
「ほんじゃあ任されることないみたいだし、もう行くから。彼女さん、ボンジーをヨロシク。また今度話そ? ボンジー、お大事に。入院してもアンタの見舞いにはいかないかんね」
「おう。僕には副島さんがいるから平気だ」
しっしと手を振って追い払う。
隣の副島さんはアワアワした様子でうろたえていた。
「えっと、大鍋くん!」
「はい。……えっ、なに?」
すがるような気の弱い眼差しに見つめられて動揺がうつる。
「少々お時間をいただきますので、しばしご歓談ください!」
「ご歓談って……話す相手他にいないけど」
僕の疑問を置き去りに副島さんは金庫を脇に置いて大急ぎで出て行った。
(なに、トイレ? って言うより、ニーナを追いかけてくみたいなタイミングだよな)
本当になにか因縁があるんだろうか――なんて勘違いはしない。
ちょっとだけ恐れ多い予想だけれど、副島さんは妬いているんだと思う。できたばかりの恋人に異性の幼馴染がいて慌てている、そんな風な反応だった。
「なんてカワイイんだ」
思わず口から出た。
(僕とニーナの仲を疑うなんてなあ……ありえないのに)
こぼれた笑いが収まる前に副島さんは戻ってきた。顔がやたらと赤い。
「大鍋くん、デートをしましょう! えっと、なんだか予断をゆるさないようなので!」
なんてカワイイんだ。
副島さんと一緒に保健室を出るとまず昇降口前の長机を片付け、それから運んでもらっていたコンテナを理科準備室へ取りに行くと部屋の戸にメモが貼り付けられていた。見覚えのある横長なクセ字で「ココは任せてお前はイチャつけ! 家の前まで運んどいてあげる」とだけ書いてあった。
メモを取って部屋の中を確認するとコンテナと台車が無い。
「ニーナの字だ。やっといてくれたんだな」
「い……い~ヒトだね~ぇ?」
副島さんは複雑な表情をしている。
コロコロ変わる反応を見ているのは楽しいけれど、そんなことで喜んでいるのは悪趣味に感じる。
「あのさ、ニーナのことなら心配要らないから。たしかに昔から知ってて仲は良いし、悲しいことに唯一ではあるけど、ただの友達だよ。異性としては見てない。僕が恋してるのは副島さんだけなんだ」
言い終えたあとで「ここで手でも握ればよかった」と思った。今更思いついても実行に移す勇気はない。
副島さんは既に感じ入った様子で頬を持ち上げている。
「……信じます。大鍋くんが恋をしているのは私です」
「それじゃ、帰ろうか」
今度こそと差し出した手に、副島さんはおっかなびっくりしながら指を乗せた。
「さあ、放課後デートに行こう」
「えっと、信じるからそれは一旦なしというワケには?」
「ダメです。安心したからって今更ダメです」
やっぱり挙動不審に変わった副島さんが逃げ出さないようにグッと握る。台車もコンテナもない、初めて間に仕事を挟んでいない副島さんとの距離は嬉しくもむず痒かった。
デートである。行先が商店街で、通学路から離れなくても、これはデートである。
この辺りで遊ぶ所となると漏れなくナコアになってしまう。放課後に出かける場合でも大通りを循環しているシャトルバスがとっても便利な商店街の敵。副島さんが「どうしても」と言い出さない限りは絶対に行きたくはない。もし言い出したら血の涙を飲む。
幸い副島さんは「まだ疲れてるだろうから」という気遣いから遠出を望まなかった。それで商店街の隙間にある、教室より多少広い程度の公園を目指すことにした。
「まあどうしても『デートってなんだろう』って気持ちにはなるけど、副島さんと一緒ならどこでもいいや」
ここは滑り台と鉄棒にあとはベンチがひとつあるだけの小さな児童公園で、少子高齢化と集客力の低下というふたつの理由で大抵静まり返っている。今も他に誰の姿もなかった。
高校生なので遊具では遊ばない。目当てはベンチだ。隣合って座り、早速緊張する。
「静かだねえ。すぐそばに我らのメインストリートがあるっていうのに、とっても静かだ」
「えっと……うーん、えっと……」
副島さんは学校からずっと、というより手を繋いでからずっと動揺しっぱなしだ。
(横でこう慌てられてると、少し冷静でいられるよなあ……)
それが狙いというわけでもないけれど、手は離したくない。
本当は間に手を繋ぐスペースがあることさえもどかしい。エロ心とはちょっと違って、もっと単純に副島さんと近づきたい。
副島さんだって同じ気持ちはあるんだと思う。だからこそ、より近い位置にニーナがいると勘違いして不安になった。
(おかげでこうしてデートすることになったんだし、ニーナに感謝だな。もし本当に副島さんと敵対してるんならちょっとだけ庇ってやろう)
きっかけは貰いもの。ここからどうするかはふたりで決めていくことだ。
恋人なんてできたことがないので、どうすればいいかはわからない。思春期男子の欲望は一通り揃っているものの、ここでそれをすべて解放するのはいかがなものか。
なにしろ付き合い初めてまだ3日目。副島さんは徐々に段階を踏みたいと考えていそうだ。なにしろ今だってこうしていっぱいいっぱいになっている。
(このままでも……充分幸せだよな)
合わさった掌の熱を感じる。
思い付きで手をスライドさせて副島さんの指と組み合わせてみた。所謂〝恋人つなぎ〟というやつだ。
このくらいはいいだろうと思ったら副島さんにはハードルが高かったようで、口から「ぷひゅう」と妙な音を出して息が抜けた。赤面が増していてそろそろ完熟が近い。
「副島さんって可愛いよね」
「えっ、なんですか急に」
「従業員としてはたくさん褒めたけど、こういうことはまだ言ってない気がしたのだった」
「『のだった』って、えぇぇ? そんなことも、なかったかと……」
「副島さんの可愛さに見合うまでには足りない」
「もう、もう、今日は満額ですので……」
恋人らしいイチャイチャができた気がする。しかし、副島さんをなんだか追い詰めてしまっている点では反省が必要だ。自分ばかりが楽しんでいるわけにはいかない。
「副島さんがしたいコトってない? 大抵のお願いは聞けるよ。昼休みの販売で出た利益を全部注ぎ込んでも構わないし、足りなきゃうちとニーナの店を担保に借金する」
「どうしてそこで水流添さんの名前が出るのかな!」
元気が出て来て嬉しい。
「それで、なにがしたい?」
副島さんは口を開けて首を右に左に何度も傾け、悩む素振りを見せた。そして唐突にスマホを取り出す。
「えっと、メールしたいです」
そう言えば店の電話番号だけで、個人の連絡先を交換していなかった。どうせ学校で会えるから、なんて考えは恋人として怠慢な気がする。なにより気軽にメッセージのやり取りをできるようになれたら嬉しい。
そう思って自分のスマホを出そうとしたら、そうじゃなかった。
「メッセージアプリ、僕あんまり使わないから……。あれっ?」
副島さんは先にスマホをいじり始めていた。僕の番号もアドレスもまだ渡していないから、当然ながら送信は僕宛てじゃない。
「あのー……おーい」
声も聞こえないくらい一心不乱に打ち込んでいる。「メールしたい」と言ったのは「他の誰かと」という意味だったようだ。
(もしかして、僕とばっかり一緒にいるせいで付き合い悪くなっちゃってたのかな?)
なにしろ始業前も昼休みも放課後も、副島さんを独占してしまっている。そうしてできた友達との隙間を一生懸命埋めようとしているのならこの熱中ぶりも理解できた。
(悪いことしちゃったかなあ……。僕のせいで友達失くすなんてダメだよね)
なら見守ろう。それだけで今日残りの時間をすべて使い切っても仕方ない。次からの弁当販売はピークが過ぎれば抜けてもらおう。
そう決心して黙っていると、すぐに副島さんのスマホがポコポコと音を鳴らした。多分メッセージが届いたんだろう。僕のスマホはとても大人しいので着信音には詳しくない。
立て続けに何度も鳴った。副島さんは友達が多いのでやり取りも長くなる。本当に今日はそれで終わってしまうのかもしれない。
かと思ったら副島さんは急にスマホをしまった。視線はマボロシを見ているかのようにぼんやりして、指先で触れる唇はブツブツと小声で震えている。最後に「よし、入った」とだけ聞こえた。
「あの……返信はしないの?」
送って、受け取って、その返事をしていない。たった一往復で薄れた友情は取り戻せるものだろうか。
不安を感じていると、副島さんは屈託なくほほ笑んだ。
「うん、大丈夫。それより大鍋くんにしてあげたいことがあるんだ」
聞き返す前に肩に手を添えて引き寄せられた。体が横倒しになって、頭が副島さんの膝の上に乗る。膝枕だ。
「これなら恋人っぽくて、大鍋くんも体を休められる、良いデートです」
「……なるほど。でも精神状態的にはあんまり休めないような」
太ももが柔らかくて心拍数が、なんというかヤバい。でも副島さんがせっかく考えてくれたんだからがんばって安静にしたい。
なにしろ副島さんの献身ぶりにはもの凄いものがある。付き合って数日しか経たないのにたくさんのことをしてもらった。
家業を手伝ってくれた。それだけじゃない。何もかもひとりで抱え込んで思い詰めてこの世のすべてが敵のように思えた――そんな荒れた心境から救ってくれた。
まずは言葉で、感謝を伝えたい。
「副島さん。ありがとう」
「うん。でもそこは……名前で呼んでほしいかな」
「じゃあ――依央さん、ありがとう」
「うん。梵士くん」
家業を手伝わされてプライベートどころではなくて、そうやってひたすらに人生が消耗されていくんじゃないかと想像していた。なのにまさか、こんな素敵な恋人ができるなんて。
(あれ? でもなんで……)
思えば当然の疑問が胸をよぎる。
「なんで僕のコトが好きなの?」
気になって体を起こし顔を見つめる。
僕と接点がなくて一方的に憧れるくらい存在感に差がある高嶺の花。なのに告白したのは僕からじゃなく副島さん――依央さんからだった。普通ならそうなるはずがない。
「うん。梵士くんのことは前から知ってたけど、意識したのはつい最近。先週なの」
学校で目に留まるようなことをしていないのでムリもないし、別に秘めた想いを数年抱えてほしかったわけでもない。気になったのは「先週」という言葉だ。
「……なにかやったっけ……? あっ、まさか」
先週の出来事と言えば両親が同時入院した。学校とは直接関係ないけれど、関連して思い当たることがある。
「ちょっとこの話もうやめようか! 商店街の未来とかの暗い話をしよう!」
「私頼まれごと多いからたまに職員室行くんだけど、そこで梵士くんを見かけたの」
「……見かけちゃいましたか」
目撃したことだろう。けっして「見かけた」なんて生易しい表現じゃ済まない、珍妙怪奇な風景を。学校での弁当販売の許可を貰うべく、先生方に土下座して床を這い回る僕の姿を。
「あのー、アレって全然カッコいい場面じゃなかったと思うのですけど」
人生最悪レベルで情けない場面を馴れ初めのように話されても恥じ入るしかない。
でも、ほほ笑む依央さんは大切な思い出のように続きを語った。
「えっと、そんなことないよ? とってもカッコよかったと思うのですけど。……とっても、『がんばって生きてるひとだなあ』って思ったんだから」
なんだろうこれは。ハチャメチャに嬉しい。あまりにも嬉しくて、依央さんがハンカチを貸してくれた。
「……僕、がんばったんだよ。ひとりで全部やってかなきゃいけないって思って、なんとかしなきゃいけないって考えて、がんばったんだよ」
ヘトヘトで帰ってから仕込みをしても、自分ひとりの家では誰も褒めてはくれない。早く起きて袖で目をこすりながら支度をしても誰も感謝してはくれない。
なのに今は隣で頭を撫でてくれるひとがいる。
「うん。がんばったね。これからは私が手伝えるから、もう大丈夫だよ」
「ああ……やだな。情けなくてみっともなくて、先週から何も変わってないじゃないか」
「そんなことないけど、そうだよ。情けもみっとももなくないけど、変わってないよ」
なぞなぞみたいな物言いにうまく言い返せない。
「だって梵士くん、また仕事のことで学校に頼み事しなくちゃいけなくなったら、また同じことするよね?」
返事は迷わない。
「もちろん。何回だって土下座する。それが必要なら誰にだって頭を下げる。僕のプライドはそんな小さなことで傷つくほどヤワじゃない」
どれだけ惨めに見られても構わない。依央さんに呆れられることになっても仕方ない。きっと納得する。多分大丈夫。大丈夫じゃなくってもどうしようもないし。
ちょっと不安になっていると、依央さんは満足そうに頷いた。
「うん。梵士くんがそういう一生懸命なひとだって知ったから、私は好きになったのでした。私もそういう風に生きてみたい。一生懸命なひとと一緒にいたいって思ったんだよ」
依央さんに比べたら、僕の動機のほうが曖昧で不純かもしれない。見た目が可愛いからとか、声や雰囲気がいいからとか、誰もが好きになるように好きになってしまった。
でも、今感じているこの気持ちだけは本物だと胸を張れる。
「依央さん、君を好きになってよかった。僕を好きになってくれてありがとう」
借りたハンカチを受け取ろうとする手を捕まえて、ぎゅっと握る。視線が重なる。
今のままでも充分だと思っていたはずなのに、欲が出た。
「依央さん……」
手を肘へ滑らせ、脇から背中へ回して引き寄せて顔を――唇を近づける。
「――イデッ!」
閉じかけた視界に火花が散った。下から顎をかち上げられ、間を置かず頬を打ち抜く二連の掌底。美しいワンツーだ。
「そういうのは! 少々お待ちください!」
「うぐぐ……焦り過ぎたのはわかったけど、少々ってなに?」
転げ落ちたベンチに復帰すると依央さんはもの凄い速さでスマホを操作していた。痴漢として通報されると一瞬恐れたものの、そうじゃなくてメッセージを送信しているらしい。
(この状況で、なんで?)
呆気に取られて見ているうちに着信音が鳴って、スマホを覗き込んだ依央さんはまたブツブツと始めて「よし、入った」が聞こえた。
スマホを置いてひと呼吸、今度は依央さんのほうから手を握ってくる。
「梵士くん……」
手を肘へ滑らせ、脇から背中へ回して引き寄せて顔を――唇を近づける。
「いやいやいや! おかしいおかしい!」
さっきは嫌がったことを今度は自分からしようとする。二面性があるとかそういうことじゃもう納得できない。
肩を押して体を引き剥がすと、依央さんはやっぱり目が泳ぐ挙動不審になっていた。
「だってキスするんでしょ? したいんでしょ? ちゃんと台本通りにやってくれないと困るよ!」
「『台本』つった今! 依央さんアンタ、アレだろ? 誰かの指示通りに動いてるんだ。ああっ、クソ! やっぱりドッキリだった! おかしいと思った!」
「そ、そうじゃなくて」
「じゃあアレだ。自分に自信がないから普段は優等生演じてるけど、台本から外れた行動するとパニックになっちゃうやつだ! 漫画で読んだコトある!」
「そうそれ」
「『そうそれ』じゃないでしょうよォ!」
依央さんがスマホで受け取っていたメッセージの正体。僕の好きな人には中の人がいました。そういうことらしい。
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