第5話

「いや~、村中で勇者騒ぎが起こってるからもしかして、と思ったらやっぱり君だったか」


「ラケルさん……あなたもなせる君を捕まえに来たのですか?」


「いやいや、違うよ。むしろ助けに来たんだよ」


「助けに、来た? それはどういうことですか?」


「まあまあ、落ち着いて、話しをしようじゃないか」


 そう言うと手近にあったイスに座って、かばんから薬品の入った瓶を取り出した。


「こちらに取り出しまするは摩訶不思議、一口飲めば立ち所に別人になれる、その名も、人体偽装薬!」


「別人に、なれるって……?」


「そうだよ。なせる君のためにぃ、お姉さんがぁ、作って来たんだよ?」


 目をぱちぱち輝かせて、薬を押し付けてくる。すっごく、わざとらしい演技だが、こう顔が近いとドキッとするね。


「飲んで……くれるよね?」


 今度は上目遣いで目をうるませながらこちらを見つめてくるので、理性が蒸発しかけた。


「だがことわ「飲めよ」……る」


「……はい」


 一生に一度は言ってみたかった名台詞を途中で止められた。


 言ってみたかっただけ! 言ってみたかっただけだから!

 そんな凄みのある顔でにらまないでください。

 怖いです。

 すごく怖いです。


「なせる君、無理しなくて良いからね?」


「そうだよ! こんな怪しい薬、飲むことないよ!」


 ああ……二人とも、なんて優しい人達なんだ。


 僕にとってはシロニャさんとクロニャは心のオアシス。

 この二人の居る場所こそがユートピアなんだ……!


「何よ、怪しい薬って! 全然、怪しくなんて無いわよ! 怪しい振りならいつもしてるけど、怪しい薬を使ったことなんて、まだ一度も無いわよ!」


「……まだ? ということはいつかはやるってことじゃ……?」


「な、なななーんのことでしょうねぇ。と、とにかく飲みなさいよ。なせる君のために作ったのは本当なんだから」


「えー、でもなー、何か怖いし、やっぱりやめときます」


「あぁ? なせる君よぉ……あんた、まだ、治療費払ってねーだろうが? 借金があるんだからこんなところに引きこもってる暇はねーよなー?」


「……はい」


 押しに弱い、僕なのでした。


「ラケルさん! こんなにかわいい子供を脅すような真似をして大人気ないです!」


「そうだ! そうだ! お母さんの言う通りだよ!」


「ああ、もう! 話しがちっとも前に進まないじゃない! もう、こうなったら無理矢理にでも飲ませてやるんだから!」



 そう言うとラケルさんは、持っていた薬瓶やくびんふたを外して、口に含むと次の瞬間、シロニャさんとクロニャが止めに入るもあっけなく、僕のファーストキスは奪われた。


 ファーストキスの味はすごく薬品臭くて苦かった。


「んくっ!? な、なにを!?」


 突然のことで、口に流し込まれた液体を飲み込んでしまったけれど、そんなことよりもラケルさんの唇がすごく柔らかくて、吐息がくすぐったくて、すごく気持ち良かったことの方が重要だ。


 キスってこんなにも良いものだったのか……


 正直、もう一度したいです。


「ああああああ! なせるくんとのファーストキスがああああああ!」


「あら、あらあら、ど、どうしましょう? 」


「ごちそうさまでした」


 みんなが慌てふためく中、僕がよこしまなことを考えている間に「私となせるくんの記憶を飛ばせばまだファーストキスよね」とか「擦り切れるまで洗えば大丈夫よ」とか物騒なことを言い始めていた。


 ……落ち着かせなければならない。


「皆さん落ち着いてください。僕は今まで一度も女性とキスをしたことがありませんでしたが、今のは決してファーストキスなんかではありません! 薬を口移しただけの医療行為です! ですので何も問題はありません! ノーカウントです! ノーカン! ノーカン!」


「ノーカン? 違うわよ? 口移しのついでにキスしてやろうと思ってやったから純然たるキスだよ? ファーストキスだったら良いなと思っていたけど本当に初めてのキスだったんだね! お姉さん嬉しい!」


「ちょっまっ!? 何、言っちゃってるんですか!?」


 ダメだこいつ、早く何とかしないと……


 そりゃあ、嬉しかったですけども。

 せっかく落ち着かせようとしてたのに、ここで爆弾投下はマジで勘弁してください。


「戦争よ。ええ、戦争ですとも」


「あらあら、クロニャったら、うふふ。お母さんも久し振りにキレちゃったわ。どう落とし前つけましょうか?」


 ああ……もう、ダメだ……お終いだ……


 何か、何か無いか? 他に何か、手があるはずだ。何でも良い。この危地から逃れる方法を!


「あの! ……えーっと……そのぅ……あ! そうだ! 薬っていつ頃、効き始めるんですか?」


 我ながら完璧な話逸はなしそらしを思いついたと褒めてあげたい。


「そーねぇ、もうそろそろ始まっても良い頃なんだけど、もう少し待っててね」


「そうですか……」



 それから5分くらい経っただろうか。

 体には何も変化が起きず、胃がキリキリするような嫌な沈黙が続いている。


 シロニャさんとクロニャはラケルさんを睨み続けているし、ラケルさんの方は僕の体に変化が起きない事に対して何か考えているようだ。


 そんなこんなで、この重苦しい空気は、長年のヒキニート生活でストレス耐性がゼロになった僕の精神をむしばみ続けて、僕の胃のキリキリ具合を加速度的に悪化させていった。


これ以上は耐えられそうに無いので、とりあえず何でも良いからこの重苦しい空気から逃れるために口を開いた。


「あー……あ、そうだ! 鏡! 鏡、取ってくれます? 体が変化した時、どんな感じになるのか見てみたいので」


「えっ、ええ、そうね。鏡、鏡っと」


 シロニャさんが引き出しから手鏡を取り出し、僕の方へ渡そうとしてくれたので、手を伸ばし、受け取ろうとした瞬間、全身に、電流走る――!


「ひぎゃアアアあア! グガガが、ぐゲゲゲげげ、オゴゴゴゴ! おブぶぶブブ! ボッ!」


「きゃあああああああ!」


「なせる君!? なせる君が!? いや、嫌あああああ!」


 全身の骨という骨が砕け散った感覚と、肉という肉がうごめいて、風船が膨らむかのようにブクブクと膨れ上がって行き、限界に達したのか耐えきれず大爆発した。


「やっと効いたみたいね」


 爆発で肉片が部屋中に飛び散ると同時に時間が巻き戻る様な感覚とバチッと体が引き締まる感じがして意識を取り戻した。


「ハッ!?」

「えっ!?」

「あら?」


 え? 今、何が起きたの? 体中がすごく気持ち悪い動きをしていたけど、何が何だか訳が分からないよ……それにすごい気持ち悪い。気持ち悪、きも……


「オエええええええ! ゲボボボボボ、オエッ!」

「うわっ!」

「あら大変!」


 うー……いったいどうなってるんだ?僕の体すごく変だ……

 やっぱり、ちゃんと断っておけば良かった……


「成功よ! なせる君!」


 ラケルさん……? 成功って?


 冷や汗をかきながらラケルさんの方へと顔を向けた。


「なかなか効き目が現れないから分量でも間違えたかと思ったけど、無事に成功したみたいで良かったわ」


「あれで無事って……」


 このマッドサイエンティストにとって、あの程度のことは日常茶飯事なのだろうか……?


「言ってなかったけど、副作用で全身の老廃物や溜まってた毒素なんかが一気に排出されるから、今はスッキリ爽快なはずよ?」


 確かに、スッキリ爽快にはなっていますけど、吐くなら吐くと先に言っといてくださいよ……

 というか、それ以前に僕の体が爆散して部屋中に肉片が飛び散り、阿鼻叫喚な感じになったような気がしたんですけど、それは大丈夫なのだろうか?

 辺りを見回しても肉片らしい物はどこにも落ちていないけども……


「そんなことよりも、ほら、鏡で自分の顔をご覧なさいな」


 ラケルさんが床に落ちていた手鏡を拾って手渡してくれた。かろうじて吐瀉物としゃぶつは手鏡に掛からなかったようで良かったけど、後で掃除しないとなぁ……


 そういえばさっきからシロニャさんとクロニャが僕のことを見つめているけどそんなに変な顔になっているのだろうか?


 裏返った手鏡をひっくり返して自分の顔を見てみると、そこには元の世界の子供だった時の自分に似ている女の子が映っていた。


 通りで、先程から声のキーが高いなとは思っていたんだ。


「これが……僕?」


「そうよ。これで勇者として追われることも無いって訳。でも何で女の子になっているのか不思議ね。私の唾液が混ざったからかしら?」


「そんな、適当な……というか何で元の世界の僕の体に変わったんでしょうか?」


「元の世界? なせる君、別の世界の人なの?」


「あ、でも正確に言うと、子供時代の僕が女の子だったらこんな感じに育ってただろうなってことで、元の世界では大人で性別も男でしたよ」


 心は子供のまま、体だけが成長したということは、あえて言ったりはしないのである。


「そっかそっか。うんうん。私は信じるよ。でも他の人にはそういうことは言わない方が良いかな……頭のおかしい子と思われるのがオチだからね」


「そ、そうですか。気をつけます……」


 という事は、話しを聞いていたシロニャさんとクロニャも僕の事を頭のおかしな人だと思っているのだろうか……?


 心配になり二人の方を見てみる。


「なせるくんが女の子になっちゃった……しかも別の世界の人で、本当は大人の男で……アハハ。……もう、頭がどうにかなりそうだよ……」


「クロニャちゃん、こういう時はあるがままを受け入れなさい。とりあえず部屋の掃除をしましょう。なせる君、いえ、なせるちゃんも手伝ってね」


「あ、はい……」


 ちゃん呼びか……そこは言い直さなくても……


 クロニャの方は混乱しているみたいだけど、流石はシロニャさんだ。すごく冷静だ。


「掃除が終わったらゆっくりとお話しをしましょうね。お母さん、クロニャは良いとしても、なせるちゃんが女の子同士でも気にせず結婚してくれる人かどうか、すごく心配よ……」


「え? は、はい……?」


 結婚って……


 どうやらシロニャさんは全然、冷静じゃなかったみたいだ。


 とりあえず掃除が終わったらシロニャさんとクロニャ、それにラケルさんにはちゃんと話しをしようと思う。僕もこの世界がどういうところなのか知りたいし、その辺の事も聞いてみよう。

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