第11章 夏が来るたび(1)
持参してきた袋に、汚れた服と、そうでないものを、手際良く分ける。
それを大きめのカバンに入れようとして、底にあったノートを見つけ、僕は取り上げた。それは、ここで進めようと思い持って来た、宿題用のノートだった。
結局、これを一度も開く事はなかったな、と苦笑いする。
その時、ふいに背後の襖が大きく開かれ、幼馴染が部屋へ飛び込んで来た。
「終わった~?」
「何だよ! 急に開けるなよ!」
宿題のノートを見れば、この無遠慮な幼馴染は、きっと呆れて、それから笑うのだろう。
僕は急いで、それをカバンの奥底へとしまう。
「いいじゃん別に。え~? なになに? まだ片付けてんの?」
「……終わったよ」
カバンのチャックを閉めると、僕は勢いよく立ち上がる。
実際、荷物など殆どないのだ。
ここへは遊びが目的で、来た訳でもないのだから。
「おじさんがね、タクシー呼んだんだけど、ほらまだ色々あるじゃん? だからここから少し離れた所にお願いしたんだって」
「そっか…」
事件は解決した。
文子、賢三、そして奈々はそのまま警察へ連行された。
事情聴取の為、日記を渡されたモデルの悠里も、連れて行かれた。
この騒ぎに、テレビや新聞の記者、関係のない野次馬らが屋敷の周りに溢れ、ひとしきり大騒ぎになった。
世話になった椎名刑事らと、慌しく挨拶を交わし、気をきかせて家政婦と江里子が作ってくれた、塩むすびを少し食べたのは、つい二時間前の事だ。
昨晩から一睡もしていないのに、不思議と全く眠たくはなかった。
それは美凪も同じらしい。
少し眼が赤かったが、いつも通り元気で、白いカバンを抱えている。
「なんか、あっという間だったね」
「うん」
美凪は、「よっ」と一声上げて、抱えていたカバンを持ち直す。
カバン自体、僕の物より大きいのに、妙に膨らんでいる。
一体何が入っているのだろう。気になって聞いてみると、美凪はカバンを足元に置いて、指折りながら答えてくれた。
「えっとね。着替えと下着とタオルとか? あと携帯と充電器とゲーム器。それと化粧カバンと水着と、あとそれからね…」
「もういい、もういい」
宿題を持って来ていた僕に、人の事を言えた立場ではないが、ゲームや化粧品に水着とは呆れてしまった。
聞いておきながら、途中で遮った僕を、美凪は軽く睨んできたが、何も言わずそっぽを向いた。
「いいかな?」
「え? あ、はい」
そう言って部屋に顔を出したのは、弁護士の守屋だった。
「父なら、別の部屋に…」
「ああ、いいんだ。さっき会ってきたからね。君達に挨拶しておきたかったんだ」
守屋はきちんと折り畳まれたハンカチで、額に浮いた汗を拭取りながら、にこりと笑った。
「あ、その僕の方こそ、色々お世話になって…」
「うん? いいんだよ。君は礼儀正しいね。遊佐さん……お父さんは厳しいのかい?」
「…はあ、まあ」
僕は曖昧に答える。
父親は特別、厳しくもない。どちらかというと放任だ。
厳しいのは、むしろ美凪の母親の方なのだ。
「秋緒君は、お父さんの仕事は継がないんだってね」
「……ええ」
「そうか。素質ありそうなのに……残念だな」
「すいません」
本当に残念そうな守屋の顔を見て、僕は思わず謝る。すると守屋は慌てて「いいんだよ」と申し訳なさそうに首を振った。
「あの、守屋さん」
挨拶を交わし、部屋から出て行こうとした守屋の背に、僕はためらいがちに声をかける。
「なんだい?」
「僕、どうしても一つ気になることがあって…」
守屋は開いたままだった襖を、ゆっくりと閉めた。
「気になる事?」
「………あの、東郷さんという人は、どうして遺言状を二通も作ったんだろうと思って…」
東郷家の人々を困惑させた遺言状は、二通共財産の全てを円香に譲るという内容だった。
守屋は、考えるように軽く天井を見上げ、それからゆっくりと僕の目を見て、口を開いた。
「…そうだね。あれには私も驚いたよ。一通目の内容は知っていたんだけどね、もし死んで、死因がはっきりしたら、もう一通開けてくれと、渡されたものなんだ」
「そうだったんですか…」
「うん。あのね秋緒君。東郷さんは、とても我が侭で怖い人だと皆言ってるだろう?」
「え、ええ」
我が侭、自分勝手――会った事は勿論ないが、それでも写真から容易に想像できた。厳しい、あの顔を思い返す。
「でも結構、ユーモアのある人でもあったんだよ」
「ええ?」
僕と美凪は、思わず顔を見合わせる。
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