第10章 遅れてきた探偵(10)



 普段の文子とは、まるで人が違っていた。

 震える円香を横目で見つつ、誰も二人の間に入れずにいた。

 文子の口から語られる言葉は、どれも円香を傷つけるものだったが、きっと誰もが真実を知りたいのだろう。

 それは事件の真実ではない。

 文子の言う、東郷氏と円香のおぞましい関係というものが知りたいのだ。

 かくいう僕も、そうだった。

 文子を止める事もできずにいた。








「今まで、隠しておいてあげたけど」

 たっぷりと間を持たせ、勿体つけたように文子は口を開く。

「やめて…お願い。お願い、おばさん……」

 小さな声で、そう懇願する円香を、ちらりと見やる。

「この子はね、昼間の庭で、あのじいさんと抱き合ってたのよ」

「――やめてっ!」

「それだけじゃないわ! キスしてたのよ!」

「―――――!!!」

 円香の声にならない叫びが、部屋中にこだました。

 その場に崩れ落ちた円香以外、誰も動く事ができなかった。

 

 抱き合って?

 キスしていた?


 僕は頭の中で、その言葉を何度も繰り返す。

 この二人の関係というものは、東郷氏の一方的な感情によるものだと思っていたが、そうではないと言うのだろうか。

 頭の中が、真っ白になるとはこういう事なのだろうか?

 目の前に、霞がかかったように白いもやのようなものが現れて、視界が霞んできた。

 ショックだった。

 円香が? あの円香が―――?

「秋緒」

 名前を呼ばれ、軽く背中を叩かれる。

 はっとして振り向くと、父がいつもの笑みを浮かべて立っていた。

「しっかりしなさい。まだ終わっていないんだよ」

「…父さん」

 父は黙って頷く。僕は持っていた日記である手帳を強く握り締めた。

 そうだった。

 まだ全て終わっていないのだ―――。

「……三月七日。円香はあまり学校へは行っていないようだ。だがそのお陰で、一日中円香と居れる」

 僕は手帳の真ん中辺りを開き、端から読み上げていく。

「三月十日。円香が部屋から出て来ない。心配になって屋根裏から覗く。元気そうなので安心した」

「ほら。そういう内容なのよ。気持ち悪い」

 日記の内容に、文子は腕を組み大きく頷く。

 僕は手帳を閉じると、勝ち誇ったような顔で円香を見下す文子に向かった。

「……そして、あなたはこの日記を隠そうとしたんですね」

「そうよ。だって円香が知ったら、可哀想じゃない」

「違います。あなたはこれで、ゆすろうとしてたんだ」

「人聞きが悪いわね!」

 文子は、あくまで否定する。

 だが、僕は続けた。

「いや、そうなんだ。いつも自分で持ち歩いていたあなたは、探偵が来ると聞いて焦ったのでしょう? 警察と違って、何か別の捜査があるかもしれないと思ったんだ」

「……」

「どこか隠し場所を探していた時、脩さんが来る事を知った悠里さんが、この家に来たんだ」

 悠里は脩を諦める事ができなかったのだろう。

 夜、タクシーに乗り込み東郷家へ来た時、日記を隠そうとしていた文子に、ばったり出会ったのだ。

 文子は、この日記を持って帰ってくれさえすれば、脩との仲を取り持ってやると持ちかけた。悠里は日記を受取ると、急いで東郷家を後にした―――。

「悠里さんが、ここへ来た事は、タクシーの運転手が知っています」

「……憶測を話されてもね…」

 そう言って、僕から目を逸らした文子に向かって、悠里が叫んだ。

「その子の言う通りよ! あなた、私に言ったじゃない! 脩と話をつけてやるって!」

「…私は、あんたなんか知らないって言ったじゃない」

「嘘つかないでよ!」

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