第10章 遅れてきた探偵(7)
それは正に、スローモーションでビデオでも見ているような気分だった。
円香の細い体が、左右に揺れた後、そのまま音もなく後ろへ倒れていくのを、僕は全く動く事さえできずに、それを見ていた。
「円香!」
横にいた脩が、崩れ落ちる寸前で抱きとめた。
「……秋緒くん…」
円香の白過ぎる顔が、更に白く変わったのを見て、僕はこの事を話した事に、後悔した。
部屋にいた全員が、円香を見ている。
ある者は、怯えたように。
ある者は、好奇な目で。
そしてある者は、汚いものでも見るかのように―――。
円香の桜色の唇が、微かに動いて僕は半歩、歩み寄る。
「……どうして?」
「あの…円香さん……僕…」
「どうして、知っているの?」
僕への非難か、もしくは反論かと思っていた僕は、円香の思いがけない言葉に、差し出そうとした手を止めた。
「―――え?」
「どうして? どうやって知ったの?」
―――ドウシテシッテイルノ?―――
円香は、覗かれていた事を知っていた?
自分の祖父に、部屋を覗かれていた事を、知っていたというのか。
僕は、自分でも知らずに、円香を奇異な目で見ていたらしい。その視線に気が付いて、円香は僕から目を逸らした。
「円香! 本当なの?」
「まさか…!」
一志と悦子が、慌てて円香に駆け寄る。
「お母さん…」
「円香っ!」
悲鳴のような母親の声に、円香は悦子を見つめ、スッと目を逸らし、小さく頷いた。
大事な一人娘が、舅である男に部屋を覗かれていた事実を知って、悦子の顔が、みるみる赤くなった。そしてその怒りの方向は、息子である一志に向けられた。
「変態っ! やっぱりアンタの家は、きちがい揃いなのよ!」
「何だと?」
悦子の暴言に、一志は太い眉を上げた。
「じいさんも! 弘二も! 皆イカレてんだわ! 変態家族!」
「どういう意味よ!」
「今言った通りよ!」
乱入してきた万沙子にも、悦子はかみ付く。
「孫の部屋を覗いていたですって? 信じられない……! 変態じゃないの!」
「悦子!」
「あの…っ」
目の前で、いきなり繰り広げられた言い争いを、僕は何とか止めようと声をかけるが、頭に血の上った彼らには、僕の声など届いていないらしい。
まだ話の途中であるのに、これでは先へ進めない。
「黙りなさい!」
鋭い一喝と共に、部屋ににパンッという音が響き渡った。
その場にいた全員が、思わず口を閉ざし、音と声のした方を見る。
「大事な話の途中です。そういうお話は、後でお願いしますよ」
丁寧だが、威圧を含んだ口調の主は、椎名刑事だった。
部屋の片隅で、腕を組んで黙っていた刑事は、いつもの猫背を軽く伸ばし、悦子らを睨み付けた。
その椎名の視線に、言い争っていた三人は口を噤み、バツが悪そうに顔をそむけた。
「さぁ、秋緒。続きを話して」
「あ、うん」
椎名刑事とは違い、のんびりした口調の父に、軽く背を押される。
あの一喝が効いたのか、部屋の中は先程よりも静かになる。
「…僕は」
発した声が、妙に掠れていて僕は一旦、持っていたペットボトルの水を口に含んだ。
「僕が、その……円香さんの部屋を覗いているんじゃないかと知ったのは、あの屋根裏に昇って見たからです」
何人かが、上を見上げる。
「そこは見てわかる通り、人一人が腹ばいになって、ようやく入れるくらいの小部屋ですが、一ヶ所だけ板が外れて、出られるようになっていたんです。それは刑事さん達も、知っています」
「はい。その通りです」
間髪入れずに、佐久間刑事の声がした。
「僕は、板を外して、小部屋から出てみました」
狭く薄暗い屋根裏で、光りの筋を見付け歩いて行ってみた事。そして、その光りのあった場所は円香の部屋の上だった事。
僕はあの時の光景を――円香の着替えの事以外は――話す。
「でも…そんな年寄りが……」
無理だろう、と脩が円香を支えながら僕に訴えた。
だが僕は、軽く首を振った。
「東郷さんの目的は、そうやって屋根裏から円香さんの部屋を覗く事と、日記を隠す事だったんですから」
「でも…」
脩は、まだ信じられないといった様子だ。
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