第9章 屋根裏の犯罪者(2)
いつまでも玄関にいるわけにも行かないので、部屋で飲み物を出してもらおうと言う円香に、僕はひとり断って、自分に与えてもらった部屋に戻っていた。
一人部屋にしては広い、いかにも客用の部屋だった。
元々は僕ではなく、父親の為に用意していたものだ。
僕は鞄の中から、手帳を取り出す。ここへ来る前に、父に言われた通り、事件のあらましを書き連ねたその内容を読み返しながら、僕は必死で涙を堪えていた。
―――悔しい。
己の無力さに腹が立つ。
どうしてもっと、真剣に教えてもらわなかったのだろう? それよりも自分でもっと、勉強して来るべきではなかったのか? これでは彬に、何を言われても仕方ない。
「………」
僕は溢れてきそうな涙を、急いで拭う。
女の子みたいに、泣いている場合ではなかった。少しでいい。ほんの少しでもいいから、ここへ来た意味を証明しなくては―――。
「秋緒?」
襖がそっと開いて、美凪がひょっこり顔を覗かせた。
「なんだよ」
「入ってもいい?」
そう言うと、美凪は僕の返事を待たずに入り込んで来た。手には麦茶の入ったグラスを二つ乗せた、小さな盆を持っている。
「……入っていいって、言ってないだろ?」
「いいじゃん別に。飲み物貰ってきたんだよー」
そしてさっさと自分の座布団を、部屋の隅から引きずってくると、当たり前のように僕の横に座ると、グラスを口に付けた。
「どこから考えようか?」
「なにが?」
突然の美凪の発言に、僕は眉を寄せる。
「何って、事件の事だよー。ね、秋緒はどう考えてるの?」
「……別に…まだ」
「じゃ、一緒に考えよ。二人で考えれば、何か見えてくるかもよ?」
「………」
図々しくて、人の気持ちなんかお構いなしで、いつも自分勝手な幼馴染。
いつもなら邪険に扱っていた僕だったが、今は普段通りのそんな美凪が少し羨ましく、そして何故か嬉しかった。
僕は美凪の言葉に、素直に頷いた。
陽は傾きかけていたが、部屋の中は結構暑かった。
美凪が、部屋の隅から大きめの扇風機を引きずり、スイッチを入れる。ブゥンという音と共に、涼しい風が頬を掠めた。
「あー、気持ちいい」
扇風機を独り占めした美凪が、本当に気持ちよさそうな声を出す。
そして、少し風にあたった後、くるりと僕の方を振り返り、にぃっと笑った。
「じゃ。そろそろ考えよっか!」
「…あ、ああ」
僕は持って来ていたタオルで、顔の汗を拭うと、メモ帳を広げる。そこには、ここに来てから書き溜めた事件の事柄が、箇条書きではあるが、記してある。
小さなメモ帳に、美凪と二人、額を突き合せるような格好でその内容を目で追っていたが、読み終えた美凪は体を離し両腕を組んで、少し難しい顔をし唸った。
「ん~…。わからない事がいっぱいなんだよね」
「そうだな」
「例えばさ。小説とかだと、だいたい証拠とかさ、ダイイングメッセージとかさ、そういうのが残ってたりするんだけどね」
僕はため息をつく。
「……推理小説と一緒にすんなよ。そう都合よく証拠なんか残すかよ。だいたい残ってたら、すでに警察が見付けてるよ」
「そうだよね…」
美凪もため息をつく。
「ねぇ。秋緒はさ、二人の事件ってどういう風に考えてるワケ?」
「どういう風って?」
「あたしはさ。犯人って同一人物じゃないかと思ってるんだけど」
「…東郷さんと、弘二さんの事?」
そう聞くと、美凪は頷き持って来た麦茶を口につけた。
「最初はさ。あたし、あの弘二って人が一番怪しいな~って思ってたんだ。だって仕事しないで家にいたんでしょ? 足も悪いみたいだったし、一番財産が欲しかったのかもしれないってね」
「ふぅん…」
美凪なりに、色々考えていたらしい。
だが、僕が最初に睨んでいたのは、万沙子達だったのだ。事情徴収の時から、一番財産に執着しているように見えたからだ。夫の基は小説家ではあるが、そんなに売れているわけでもないらしく、次男の彬の養育費その他に、とてもお金が要りそうだった。
僕の話に、美凪は「成る程ねぇ」とまた頷いた。
「でも僕も、同一犯と決め付けられないけど、この二つの事件には、きっと共通するものがあると思うんだ」
「へぇ? それは何?」
「……まだわからないよ」
「なーんだ」
あからさまに、がっかりしたような声の美凪に、僕は少し肩をすくめる。
そうかもしれないが、まだ僕にもわからない事が多いのだ。すると美凪がいきなり立ち上がった。
「それならやっぱり、現場からだよね」
「現場?」
「そうだよ。現場! 行って見ようよ」
現場―――つまり東郷氏の部屋だ。二人が首を吊っていたあの部屋だ。
「だけど、警察の人がいる筈だよ…まずいよ」
「なに言ってんの? あたし達は捜査で来てんの! 遠慮なんかしなくていいんだから!」
「あ、うん…」
そうだった。
美凪の言う通りかもしれない。遠慮などしていては、何もはじまらない。僕はすでに氷が溶けてしまった麦茶を、一気に飲み干し、メモを握ると立ち上がった。
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