神託



「うふふ……さぞかし、彼女の前へと“現れた”御方に驚いてるでしょうね―――……」


 ベッドの前に両膝立ちし、胸の前で手を組み光源へと視線を送るアルナを見つめながら、聖霊ネネイは声に出してそう呟いた。

 声量を落とした訳では無く、すぐ傍にいるアルナにその声が聞こえて然るべきなのだが、今のアルナに周囲の音が耳へと届いている様子はない。

 

「……はい……いえ、そんな……はい……ありがとうございます」


 彼女だけが聞く事の出来る、彼女だけが感じている“御方”と、アルナは熱心に会話している。

 

「……それは……はい……そう……です……」


 それまで、どこかウットリとした表情で話していたアルナだったが、徐々にその顔にはかげりが射し、ドンドンと意気消沈して行く。


「どうやら、話の核心に近づきつつある様ね―――」


 それを見て、ネネイはニコニコとした表情を浮かべながら、そう理解した。

 聖霊ネネイにも、今アルナが聞いている声を聴く事が出来ない。

 故に、ネネイはアルナの表情と言葉から状況を推察するしかない。


「ええっ!? やはりそれは……本当なのですね!?」


 アルナは驚きに目を見開き、完全に動きを止めてしまった。

 本日二度目となる、衝撃の事実をアルナは聞かされたのだった。


「うふふ……アルナも、流石に“あの方”から告げられれば、その真実を微塵も疑わない様ね―――」


 腕を組んで様子を見続ける聖霊ネネイが、アルナへと視線を向けてそう零した。

 その内容は言わずもがな、エルスが魔道に堕ちた事を指している。

 聖霊ネネイの言葉では、信じないと言う訳ではないにしろ、何処か受け入れられずにいたのだろうが、流石に“あの御方”からの言葉は「信じない」と言う選択肢自体無いようであった。


「……“光の神”直々のお言葉……つまりは“御宣託”なら、信心深いアルナが信じない訳……無いよね―――……」


 そうして、ネネイの口からはアルナが今、どの様な存在と話をしているのかが呟かれた。

 絶望に心を奪われたアルナを、それでもその言葉に耳を傾けさせる存在など、この世の中にそう多く存在しない。


「……でも……何故……エルスは……」


 そこでアルナは、かねてからの疑問を口にした。

 尋ねているのは、彼女の宗派に在って全能の神である。答えが返って来ない等と言う思いは微塵も持っていなかった筈であった。


「……でも残念ね―――……。光の神であっても、その事に応える事は出来ないの」


 彼女の説明は、今のアルナに届かない。

 その代り、アルナの台詞によってその事が肯定されたのだった。


「な……何故ですかっ!? 何故答えて下さらないのですかっ!?」


 アルナの語らう相手は、全能を司る神……その一柱である。

 人知を超える力を以て、人々を導く存在。

 世界の営み全てに携わっている存在なのだ。

 エルスの身に起きた事を知らないと言う事など、ある筈も無かった。

 

 そして神は、決して嘘をつかない。


 投げ掛けられた質問に対して、は嘘偽りなく答えてくれる。


 ―――だが、答える事の出来ない回答の場合は……どうするのか?


「神様は、答えられない回答には……沈黙を以て答えとする……のよね―――……」


 それが事実だと言う事は、先のアルナの台詞でも明らかだった。

 アルナの疑問に、“光の神”は答えをもたらさなかったのだ。


 ……その代り……。


「……っ!? そ……そんなっ!」


 彼女の疑問をどう解消するかではなく、話を別の事へと切り替えたのだった。

 “光の神”の言葉は、アルナを絶句させるに十分ない威力を有していたのだった。


「わ……私には……私には出来ませんっ!」


 何を言われたのか、アルナは強い口調で“神の申し出”を断った様だった。


「……いえっ、そんなっ! ……私の信仰心は……貴方様だけの為に……」


 しかし、直後に神から信仰を疑われたのか、アルナは必至で弁明していた。


「うふふ……信仰心は、その身を以て……行動を以て証明しなければだめなのよ……」


 押し黙ったアルナに、更なる言葉が投げ掛けられたのだろう、彼女はすがる様な視線を中空へと向けた。

 

「いえ……でも……それだけは……それだけはっ!」


 アルナの表情は必死だ。必死な上に、苦悶の表情を浮かべている。

 

「彼女にしてみれば、正しく“究極の選択”……なのかしらね―――?」


 笑い声を押し殺して、ネネイはアルナの姿を楽し気に見つめている。


「そんな事はありませんっ! 他の事でしたら……他の事ならば何でもっ! でも……それだけは……それだけはっ!」


 彼女の瞳からは。大粒の涙が流れ出していた。

 心からの懇願。

 それを正しく、自身の信仰する主神に向けてしているのだ。


 ―――だが……神とは最も無慈悲な存在なのかもしれない。


「……そんな……」


 絶句したアルナが、ガックリと項垂れて沈黙する。


「彼女が拒んでも、その役目が他の者へと引き継がれるだけ……なのよね―――。エルスに、彼女の言う“御慈悲”は与えられない」


「あ……ああ……あああ……」


 頭を抱えて苦悶するアルナ。彼女には、到底選ぶ事の出来ない選択が“光の神”によって投げ掛けられているに違いなかった。

 腕を組んでアルナを見つめるネネイは、その口端を吊り上げたまま、彼女が下すその“決断”を待っていた。


「神の裁定は絶対。彼女がどれだけ泣いてお願いしようと、それを拒もうが、結果はどうなるのだとしても神の意向は順守される」


「あ……ああ……あああっ!」


 頭を抱えたまま、天を仰ぎ見るアルナ。

 その瞳が何を捉えているのか、それはアルナ本人しか分からない。


「でも、あの瞳を見る限りでは……とても素晴らしいものの様には……思えないけどね―――」


 ネネイの言う通り、アルナの瞳は焦点を捉えておらず、止め処なく涙が流れ続けている。

 苦悶と言うにはこれ以上ない苦悶を浮かべているアルナが、神々しい神の姿や、美しい未来の姿を捉えている様には見えなかった。


「ああああ―――っ!」


 アルナが絶叫すると同時に、彼女に降り注いでいた光の柱は、その光量を一気に拡大した。

 直視し続けるのも困難な程の光柱を、それでも聖霊ネネイは動じることなく状況を見つめている。


「ああ……結論を出したのね……アルナ? なんて素晴らしい……なんて美しい光なの……。いつ見ても……何度見ても……これほど美しい光は他に存在しません……」


 聖霊ネネイが、とろける様な程の恍惚とした表情を向けた先には、まるで苦しむ様な……いや、歓喜に打ち震えているかのようなアルナの姿があった。


「うわあああぁ―――っ!」


 アルナの絶叫と共に、彼女を捉えていた聖光が弾けた。

 

 そしてその跡には……。


 薄っすらと光を身体に纏い、美しいなびかせた、僅かに笑みを浮かべるアルナの姿があったのだった。


「おめでとう、アルナ。あなたは今、この瞬間に生まれ変わったのよ」


 ただ立ち尽くすアルナを、聖霊ネネイは妖しく光る瞳で見つめているのだった。




「なんやっ!? アルナ、その髪はどないしたんやっ!?」


 ―――翌朝……。


 集まった一同を驚かせたのは、アルナの変容した姿。

 だが、その後には更に驚きを隠せなくなる。


「何でもない。それよりもお前達、に対してどの様な行動を起こすのか決めたんだろうな?」


 その雰囲気、何よりもその口調が、昨日までのアルナには程遠い……まるで別人の様になっていたのだ。


「そ……そんな事より、アルナ……? あんた……ほんまにアルナなん……」


「くどいぞ、メルル。それよりも、エルスをどうするのか、ちゃんと決めたんだろうな?」


 気遣う言葉を発したメルルを、被せた強い語気の言葉で封じ込め、アルナは再度確認する様に問い詰める。


「……アルナ……。お前……自分が何を言っているのか、分かってるんだろうな?」


 不安を隠せないシェキーナが、それでも凛とした姿でアルナの前に立つ。

 そんなシェキーナに、アルナは表情を崩して返答した。


 ―――いや……表情を歪めて……と言った方が適切だろうか……。


「ボケたか、シェキーナ? 自分の言葉を理解出来ない者が、この場にいる訳がないだろう。まずは私の結論を述べておく。私は魔王エルスを追う! そして、その場で魔王を討つ!」


 アルナの言葉は、勇者パーティの一員ならば、なんらおかしいものでは無い。

 だが、その魔王と人物が問題なのだ。

 そして何よりも、その魔王と称される人物は、アルナにとって掛け替えのない人物だと言う事を、この場の誰もが知っている。


 それにも関わらず、アルナは自ら口火を切って“エルス討伐”を謳ったのだ。

 これには、その場の誰もが驚きの余り動きどころか声すら出せずにいた。


「……ならば、あたしもアルナに同行しよう」


「なっ!? シェラッ!?」


 沈黙を破ってアルナに賛同した意見を出したのは、「極戦士」シェラだった。

 彼女の表明に、メルルが絶句してしまう。


「それじゃあ俺も、アルナに付いてくぜ―――」


 次に彼女に賛同したのは、「無音」のゼルだった。

 

 次々に“エルス討伐”を明言する仲間達に、未だその立場をハッキリとさせない者達は、その状況を見守る事しか出来ずにいたのだった。


「ベベルは、こちら側だよな? ……で? お前達はどうするんだ? シェキーナ、メルル、カナン?」


 ベベルの意見を聞くまでもなくそう断じたアルナは、残る3人にその真意を問うた。

 

「私は、私の考えに従うまで。アルナ……お前とはともに行けぬ」


「ウチもや。ウチはウチのやり方でエルスを探す! んで、説得する!」


 まるで対決でもするかのように対峙する両陣営。

 アルナとシェキーナ、メルルの鋭い視線が交錯する。


「……ふん、やはりな。……それで? カナン、お前はどうするんだ?」


 最後に残ったカナンに、アルナは冷ややかな視線を送りながらそう問いかけた。

 それは、答えを聞くまでもないと言った風情を醸し出している。


「俺は俺の道を行く。魔族も魔王も、俺にとってはどうでも良い」


 それはアルナの想像通りな答えだったのだろうか。

 彼女はその言葉を聞くと、歪に口端を吊り上げてカナンを一瞥した。

 やがてアルナはクルリと部屋の出口との方へと踵を返した。


「……お前達がどうしようが、私には関係ない。……だがなっ!」


 シェキーナ、メルル、カナンに背を向けたままアルナは、強い口調でそう切り出した。


「もし私の前に立ち塞がるような事があったら……殺すぞ」


 それだけをその場に言い残し、アルナは迷う事の無い歩調で部屋の出口へと向かい、それに他の3人も続いて行った。

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